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ある貴族の女装趣味に対する一考察

 長年、我慢していたがもうこれ以上、耐えるのは私の精神衛生上よろしくないと思われるので、洗いざらいぶちまけてやる。

 ぶちまけると言っても、公の場での告発だとか暴露だとかではない。

 そうしてやりたいのはやまやまだが、事はあまりにも馬鹿馬鹿しく、そのくせ壮大で当事者は無駄に重要人物、というよりこの国の最高権力者なのだ。

 こう書くと、何やら私が重大な秘密を掴んでいて、少しでもそれを洩らせば抹殺されかねないことを恐れているように思われるかもしれないが、それは違う。断じて違う。

 そうだったらどれほど良かったか。

 今現在、他人の秘密を知ったばかりに身の危険を感じている連中には大変申し訳ないが、私に言わせれば、秘密を握られて慌てふためく可愛げがあるだけ、まだましである。

「命が惜しければこのことは誰にも言うな」

「わかりました」

 私と奴…いや、私とあの方の間でこんな会話は間違っても成立するまい。

 正しくはこうだ。

「言いたければ言えば?」

「絶対に言いません」

「そこまで内緒にすることじゃないのに」

「内緒にすることです!あなたには恥も外聞もないのですか!」

「それって、答えが必要なの?」

 ああ、思い出すだけでも頭痛がしてくる。

 ちなみにこれは朝の会議前の会話である。今朝だけではなく、ほぼ毎日のように私と陛下の間で交わされる恒例行事となっている。

 出発点も着地点も変わらない会話に何の意味があるのかと思われるだろう。私も同感だ。

 しかしわかっていても言わなければならない、言わずにはいられないことが人にはあるのだ。たとえその相手が、百回言ってもわからない馬鹿であったとしても――これは不敬罪にあたるかもしれない。後で削除しなくては。

 なぜ、私が延々とこんなことを書いているかというと――積年の鬱屈が爆発しかねないから、と言ったら些か唐突だろうか。

 実際、ここまで三十行近く、私は核心に触れることを避けに避けていた。

 おそらく好奇心でこの手帳を開いた者はとっくに退屈して投げ出してしまっているだろう。それはそれで結構なことだ。暴露してやる、と息巻いたものの、私としても暇人どもの暇潰しのためだけに恥をかくのは忍びない。

 とはいえ、こうして詳細を書き残すことを決心するまでには長く、馬鹿馬鹿しい葛藤があった。

 今も迷っている。ずばり言ってしまうにはもう少しかかりそうだ。

 仕方がないので、私がそもそもこんな文章を書きはじめたきっかけを先にお話ししよう。

 



 私、ルードヴィヒ・フォン・フレイザーは高貴なる家の生まれである。バルトライヤ王国初代国王陛下の代から、代々王家に忠誠をもってお仕えしてきた一族フレイザー家の、長男として生を享けたのはかれこれ二十六年前のことだ。

 以来、紆余曲折を経て当代の国王陛下にお仕えするようになったのが十一年前、公的な役職を頂いたのが五年前のことである。

 現在の私の肩書は宰相補佐だ。

 若輩の身でこのような高い地位を得られたのはひとえにたゆまぬ努力のおかげ、ではなく、陛下の強権発動によるところが大きいだろう。

 陛下が即位されたのも丁度五年前のことであり、突然の即位の不安からよく知った者を側に置こうとされたのだろう、と周囲も私も思っていた。

 結論から言えば、それは大きな間違いだった。

 が、今はその話は置いておこう。

 ここで重要なことは、私が陛下にお仕えした年数が約十一年に上る、ということだ。

 十一年。

 ストレスが蓄積するには十分な時間ではないか。

 最近の胃痛、肩こり、倦怠感の原因が陛下であることを、私は信じて疑わない。

そのことを陛下の前でうっかり口にしてしまったのが三日前。その場で医師の診察を受けることを命じられ、受けるまでは陛下の御前に上がることを禁じられた。診察を受けなければ陛下と顔を合わせなくてもいいのか?と思いこれ幸いと政務に励んだまではよかったが、目の前に心配の種がいないということであらぬ想像が掻き立てられ、いてもたってもいられずに王宮典医殿を訪ねたのが昨日のことである。

 どう低く見積もっても推定年齢は八十歳以上と思われる典医殿が、もごもごとほとんど歯の無い口を動かしながら下した診断は「単なるストレス」だった。

 予想していたことなので、驚きはない。

 むしろなんらかの病に罹っているよりも、ストレス性の肩こりの方が余程ましというものである。

 しかしせっかく典医殿がいるのだから、何か改善策はないかと訊ねてみると、

「ストレスの原因を取り除くことだな」

 と、何とも素晴らしい答えが返って来た。

 それができれば苦労はしない。

 私の仏頂面に気づいたのか、典医殿は苦笑いした。

 陛下を診察することもある典医殿は、当然、私のストレスの原因にも思い当たっているはずである。

「まあ、なんだ。早まるでないぞ」

「どういう意味です」

「お前さんがある日突然、陛下を暗殺した罪で逮捕されてもわしは驚かん。そういう顔をしておる」

 どういう顔だ。

「やはり典医殿も、あれはおかしいと思っているのですね」

「それはまあ、な……誰が見てもおかしいだろう、あれは」

「陛下と話していると、おかしいのは私の方なのではないかと思えてきて、恐ろしいのですよ」

「……お前さん、相当疲れておるな」

「ええ……やはりおかしいですよね。男性が、女装をして喜ぶなんて」

「……」

「……」

「……知っておるか?」

「何をです」

「陛下が今度、舞踏会を開かれるらしい」

「何か問題が?」

 と言いつつ、脳内では既に警鐘が鳴っている。

 悲しいことに、こと陛下に関することでこの予感が外れたことはない。

 そしてそれは、この時もそうだった。




「陛下!!」

「あら、ルディ。どうしたの?そんな怖い顔して」

 執務室には陛下しかいなかった。常と変らぬ麗しき容貌が、天使のごとき微笑を浮かべて私を見るが、今更そんなものに騙される私ではない。

 なぜなら陛下は、このどこからどう見ても貴婦人にしか見えない陛下は、正真正銘の男なのだ。

 国王としてはルシアス三世で通っているが、本人は絶世の美女ルシアを名乗っている。

 いっそのこと私も、陛下が女性であると今からでも思いこみたいぐらいである。その方がお互いに幸せだったのかもしれない、とすら考えることがある。

「陛下……正直にお答えください。舞踏会を開くというのは、本当ですか?」

「あら。誰から聞いたの?ルディには内緒にしておいてって言ったのに、口の軽い人もいるものね」

「そんなことはどうでもよろしい。本当なのですね?」

「ええ、本当よ」

「ではその舞踏会が、全員女装必須というのは本当ですか?」

「ええ」

「……出席が強制というのは?」

「当然でしょう」

 何の迷いもなく陛下が言い切る。

 何がどう、当然だというのか。激しく問い詰めたい衝動に駆られるが、ここで自分を見失うようでは陛下に丸めこまれるのがおちである。

「なぜ、そのような愚挙に及ばれたのかお聞きしても?」

「愚挙って…」

 陛下は苦笑する。

「ねえ、ルディ。私、考えたのよ」

「考えたとは?」

「私は間違っていたわ」

 やっとわかったか、と安堵しかけるが、その「間違っていた」が私の思う意味とは違うからこそ全員に女装強制などと言い始めるのである。

 危ない。気をしっかり持たなくては。

「私はずっと、女であることを心がけて、努力してきたわ。美しい姿、優雅な仕草、女としての心構えとは何か。考え過ぎて、夜も眠れなくなるくらいにね」

「そんなことで…」

「ルディ、お前から見て、私ってどう?どこか女として、不自然な所ってあるかしら?」

「男性なのに、ご婦人の格好をされている点が甚だしく不自然です」

「もう!そんなことはどうでもいいのよ」

 どうでもいいのか。

「まあ、お前に聞いたのが間違いよね。本当は褒め称えたいのに、内心の先入観が正直な意思の発露を拒むなんて、よくあることだわ」

「いえ、私はこの上なく正直に」

「大丈夫。お前が本当に言いたいことはわかっているわ。私の美しさに怖れおののいているのでしょう?その気持ちは有難くもらっておくわ。でもね、それだけじゃ駄目なのよ」

 ばん、と陛下が机に両手を叩きつける。

 その勢いに思わず後ずさりしそうになり、危うく踏みとどまる。

 なぜ、私が気圧されなくてはならないのか。陛下の女装にかける熱意が、私の常識を上回っているとでもいうのか。

「だ、駄目とは?」

「全然、駄目よ。確かに私は、高みに上ったわ。けれどこの間、ふと思ったの。私だけが美しくなるのは間違いじゃないかって」

「…どういう意味でしょう?」

「自分だけが美しくなったとしても、それは所詮自己満足じゃなくて?私は特別なのよ、と一人で悦に入ったところで、周りの者たちがその素晴らしさを理解していなければ、価値も半減よ。美しくなる喜びを他者に伝えてこそ、真に美の求道者として堂々と名乗りを上げられるというものよ」

 私は眉間を押さえた。

「陛下……陛下は求道者ではなく、国王です。第一、美を伝えたいと言われるなら、女性に伝えるのが筋というものでしょう。なぜあえて男性に、なのですか」

「わかってないわね、ルディ」

 なぜか陛下が得意気に鼻を鳴らす。

「女性というものはね、言われなくても自ら美しくなろうとするものよ。これは本能よ!私を見て頂戴!わかるでしょう?」

 わかるわけがない。

「一方で、男は何?美を作りあげる努力をしようともしないで、つまりその価値をわかりもしないで、結婚するなら美人がいいなんてほざいているのよ?だから私は彼らに機会を与えようと思ったの。自らが美しくなろうと努力する過程で、美の素晴らしさ崇高さをあやまたず理解して欲しいのよ」

 私には全く理解不能の自論を語り終えて、陛下は満足げな顔をする。

 ……本当に、どうしてくれようか。この阿呆。

 こんなのでも一応国王であり、それに相応しい権力も持っている。本気で勅命でも出せば、最終的に逆らい切れないことは目に見えている。こんな馬鹿げたことで勅命を使うわけがないだろうという期待は、陛下に限っては裏切られること前提で考えなければならない。

 以前、陛下がドレスを新調した時など酷いものだった。

 その悪趣味さと金額の凄まじさといったら、本物の王妃や女王も卒倒ものだったろう。財務官から泣きつかれて事前に書類を抹殺したまではよかったが、あろうことか陛下は勅命で自分の衣装に関する特別予算枠を設けようとする始末だ。

 その時は何とか思いとどまらせたが、今回も下手に刺激しては何をするかわかったものではない。

 私は策を練るためひとまず退出した。




 そして今に至るまで何の解決策も浮かんでいない。

 一人、陛下をお止めすることのできる人物に心当たりはあるのだが、いかんせん陛下の命に関わるかもしれないと思うと決断できない。私もまだまだ甘い。

 今のところ、その方のお名前を出して牽制しているが、相手はあの陛下だ。いつまでもつことか。

 最終手段として拉致監禁も考慮に入れねばなるまい。

 



 この手帳は厳重に保管しておくことにしよう。

 ストレス発散のために今後も使えそうだ。思っていることを率直に書き残すだけで、これほど心が軽くなるとは知らなかった。読み返して、微妙な気持ちになることはなるが……。

 もし陛下に耐えきれなくなったら、これを持って隣国にでも亡命することにしよう。  

 


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