未来の話をしましょう
それから色々あった。
弟曰く、私たちが退席した後で侯爵夫婦がムチュコたん素直に好きと言えない説を大声で観衆に説くも、我が家が対抗する第二幕が開演されたらしい。
いつも奴からの高圧的な態度と暴言があったこと、侯爵家で行われる親睦のための茶会から帰る度に手に痣ができるほど暴行まで加えられていたこと、娘も言ったとおり手紙ですら名前ではなく豚と家畜扱いされてきたこと、侯爵夫人から事業の儲けを侯爵家に入れるように言われたことなど、積りに積もった苦情を訴えた。痣の診断書や、侯爵家の娘に対する発言の証人のリストなど、法的に娘が虐げられてきたことを証明できる記録も残していると。
締め括りには「そちらの令息の加虐行為に日々娘は涙していた!ティモール公爵令息に想いを告げる自由が欲しいと嘆いていた!彼が娘と同じ気持ちなら、我々はもうあなたたちには屈しない。娘たちの愛のために戦う所存だ!」と、なかなか恥ずかしい台詞を決めてきたらしい。
ちなみに弁解しておくと、奴にされたことで泣いたことはないし、ティモール公爵令息に対する想いを喋ったこともない。
結局、私有責の婚約破棄ではなく、両家同意の婚約解消に収まった。
私に対する奴の高圧的な態度は社交界では周知の事実。散々虐げてきた女に金と引き換えに縁を切って欲しいと言われた男。片や、金を支払ってでも地位の高い家に望まれた女。
現時点で侯爵家の評判はガタ落ちなのに、婚約破棄をゴネて裁判にまで発展したら、記録を残していた我が家が勝訴になることが必然。ゴネて持ち込んだ裁判でも負けて逆に慰謝料を支払ったという汚名を被らないように向こうは引いてきた。
そう。むしろこっちが訴えて慰謝料をもらうこともできたのだが、あんな家とは金を払ってでも早々に縁を切りたかったのは本当だった。裁判には短期決着だろうと半年は掛かる見込みだったので、それまで裁判所で顔を合わせることすら嫌気がさした私は婚約解消で決着をつけたのだった。
まあ、それで終わればハイキ侯爵家としてはよかっただろうが、あの喜劇っぷりに貴族たちの口はなかなか閉じる事を辞さなかった。
浪費癖がなおらず借金がある、下位の者は下僕だと思っている、裏では鞭打ちをしていた、贈り物のセンスが最悪、などなど。多くの者がハイキ侯爵家の様々な噂をした。
「無駄な親睦会だった時間を、こうして事業の会議に充てられるようになって良かったですね。姉様」
「ええ、それもこれもティモール公爵令息が一役買ってくださったおかげですわ」
「おや、もうシュメルとは呼んでくださらないのですか?」
「あら?あれは婚約破棄しやすくするための演技では?」
弟とティモール公爵令息が顔を合わせる。呆れた顔をした弟は無言で席を外していってしまった。
「私は本気でしたよ。それとも年下は好みではないでしょうか?」
「え!?いえ…そんなことは。ただ家格も違いすぎますし、あなた様の隣に立てるような魅力は私には…」
「……そういえば、なぜ私がお2人の事業に加わりたいと思ったか、全てお話ししていませんでしたね」
苦笑しながらティモール公爵令息は我が家の紅茶を口にした。
「私の母は、肌が比較的弱くて香料が使用された化粧品を使うと軽度の炎症を起こしていました。なので、婦人たちが化粧品の話題をする時はいつも蚊帳の外で寂しいと口にしていたのです」
「まあ、公爵夫人はそんなご苦労を…。あら、もしかして石鹸を知ったのは…」
「ええ、母がきっかけです。使用人から、オシャレな石鹸があると聞いた母が試したら荒れなかったと大層喜んでいました。それから色んな柄を欲して使用人が度々買い出しに出かける事になりまして」
ティモール公爵家の使用人といえば、行儀見習いの男爵家や子爵家のご令嬢もいたと聞く。購入者の中に、お使いで来ていた彼女たちがいたのだろう。
「母をはじめ、肌に使用する物を選ぶ人が多いことを知っていました。母に笑顔をくれたあなた方へ感謝の意として支援をしたい。そして、あなた方と協力して、よりそんな人たちを喜ばせる物を生み出したいと思い、貴族向けの製品を提案させていただいたのです」
本当は製品の配当金は望んでいなかったとも語られたが、おそらくそこまでされると弟は警戒していただろう。
無料ほど怖いものは無いと、よく豪語していたから。
「貴族向けの石鹸が広まってからは、貴族向け石鹸の発信源として話題の中心になれると母が笑っていました。母も、そして母を愛する父も、素晴らしい物を生み出した貴女を尊敬していると言っていましたよ」
「もうご両親も説得済み、ということですね…」
「はい。あの夜会でお伝えした私の言葉に嘘はありません。ピグナ・アガーレ嬢、もし貴女の心に私の存在がいるのでしたら、私の妻になっていただけますか?」
彼は、まだまだ若い。これからの人生、様々な美しい令嬢と出会うだろう。傷モノの私を娶るより、幸せな未来があるかもしれない。
だが、彼の瞳が語っていた。
私と結ばれることこそ、自分の幸せだと。
そんな真剣で、力強くて、熱い眼差しを私に向けていた。
彼の答えがそうなら、私は受け入れよう。
だって私は…
「どうか、愛するシュメル様の妻にしてください」
「……!もちろんです!ピグナ様!」
それから話は驚くべき速さで進められ、私とシュメル様は婚約した。
両家の顔合わせではティモール公爵夫人に会って早々、涙を流していた。
「ピグナさん、今まで酷い仕打ちを受けて苦労されていたと聞くわ…。ウチでは、そんなことが無いように息子を教育しますからね。何かあったら、私に言ってちょうだい。なんたって貴女は私の恩人でもあるんですもの!」
「ティモール公爵夫人…ありがとうございます」
「お義母さんと呼んで!」
「母上。アガーレ伯爵の皆様が困ってますので、その辺で落ち着きましょうか」
シュメル様とティモール公爵は苦笑されていたが、侯爵家には金ヅルとしか扱われてなかったので、これほど歓迎してもらえて感動した。
こんなに素敵な方々との縁に繋がれたのだから、本当に弟と事業を起こして良かったと思う。
あれから数年が経ち、弟とシュメル様は貴族学園に通いながらも事業を着々と発展させた。新商品の中でも、敏感肌の人でも使用できる洗髪剤は、多くの人に体を洗う習慣を与えた。
現在は、貴族でもない一般の人たちが共用で入浴できる施設を作る企画を弟が張り切って考えている。施設の内装デザインを依頼されているので、令嬢たちに取材しておくとしよう。
そういえば、我が家の噂好きな使用人からの話で聞いた話だが、かつて婚約者だった奴の家は無くなったらしい。なんでも賭博で借金返済を臨んだらしいが、大負けして爵位を売る羽目になったんだとか。それでも残った借金は、日銭で細々と返しているが利息分しか返せていないとか。
まあ、私にはもう関係の無いことだから、どうでもいい。
そんな過去を独りで振り返るよりも
「ピグナ、このスケッチは?」
「シュメル様!これは新しい石鹸のデザインです。石鹸の中の花を一輪ではなくブーケにすれば、華やかになると思って」
「可愛いブーケだ。職人も張り切って作ってくれると思うよ」
「よろしくお願いしますわ」
私はシュメル様と未来のお話しをする。