婚約が結ばれてしまった
「おい、そこのブタ!」
「………」
これが私と奴の最初の邂逅の瞬間。
5歳の時に参加した父の学友、侯爵様のご息女の誕生日パーティ。子供に少しでも多くの友人ができればと願った侯爵様が、ありとあらゆる知人のうち、娘と同世代の子を持つ家を片っ端から招待したらしい。
あの日以来、度々こうした貴族の集まりの場で奴は私を探して見つけ次第、罵倒してきた。
1人でいると絡まれる確率が高いので、防波堤になってくれそう…ではなくて、紳士的な対応ができる婚約者を求めて、嫁を欲する家を探そうとした。
すると、どこから聞きつけたのか、なぜか奴の家…侯爵家から婚約の申込みが我が家に来た。
「ありえません。嫡男である彼は私を豚呼ばわりするのですから、向こうとしてもお断りのはずです。宛先を間違えておりますと返しましょう、父上」
「いや、しかし文面には我が家の娘と長男を婚約させようという内容だが…」
「させようって、随分と上から目線ねぇ」
侯爵家から突然届いた不幸の手紙に、家族会議が開かれた。
絡まれたくなかった相手からの手紙に困惑する父と、笑顔でいつもの呑気な口調をしつつも額には青筋を立てる母に、予想を超えた厄介ごとになり申し訳なく思う。
使用人も含め我が家の者は、奴が私を豚呼ばわりすることを全員知っている。初めは、涙ながらに報告する我が子を信じたい気持ちと、上流貴族の子供がそんな下品な発言はするはずがないという常識によって両親は半信半疑だったが、使用人に偵察させた結果から「侯爵家では倫理観は教えていない」と判断した。
「うちの方が爵位は下で、ご長男の容姿はご立派らしいので断られるとは思っていないのでしょう」
「もしかして、弟が可愛すぎて女児と間違えたのかしらぁ」
「「え」」
「下の子は男の子だから結婚できませんよーってお返事しときますねぇ」
それは無いだろうと誰もが思ったが、豚と呼ぶ私と奴を婚約させようとするよりはあり得る話だったため、誰も母を止めなかった。
すると、文が届いた翌日の朝に侯爵家が揃って我が家に押しかけて来た。
迷惑に思いつつも爵位が上になるため追い返せずに話を聞くと、弟ではなく私と奴を婚約させたいと侯爵と夫人が笑顔で話してきた。
侯爵夫人の話を要約するなら「伯爵領程度ではあるが領地経営を過去に履修していたお宅の娘なら優秀なムチュコたんを支えることが出来るだろう。爵位が上で優秀なムチュコたんに嫁げる話を持ってきてやったんだから泣いて喜べ」ということらしい。
悲劇に咽び泣くわ。
確かに可愛い弟が生まれる前は、我が伯爵家の跡取りとして領地経営を学んだものだ。だが、めでたく弟が産まれたので、即座に次期当主の座を産まれたばかりの弟に譲った。当主が女というだけで、余計な絡み方をする人もいる。父には悪いが別に大してやりたい仕事ではないので、早めにやりたい事を探すことにした。
領地経営を学んだことは、嫁ぐまで弟の補佐ができるので後悔していなかったが、こんな奴との婚約理由になって思う。やらなきゃよかったと。
両親は、条件は良いだろうが世継ぎのことも考えると当人同士の気持ちも尊重すべきだと遠回しに断ろうとするが、偉そうに気持ち悪い笑みを浮かべて座っていたムチュコたんが突然立ち上がると私の前までズンズン急接近したかと思いきや、一つ大きな鼻息を私に掛けてから宣った。
「おいブタ!まあまあ頭がいいらしいから、どうしてもって言うなら、しかたなくオレが結婚してやるぞ!」
「あら、照れちゃって!本当は嬉しい癖に」
「ふん!」
この発言で場の空気が変わった。向こう夫婦は微笑ましいものを見るような温かな空気に。対して、我が家は呆れた冷たい空気に。
それから婚約を何度遠回しに断っても、すっとぼけられ続けて、結局は爵位が上の家には逆らえない我が家が屈した。
「まさか侯爵夫婦が罵倒を愛情表現だと受け取る感性だったとは…。彼には敵ながら同情します」
「あ、うん、そうだな…」
その日の夕食で侯爵家への感想を述べると、父はなんとも歯切れの悪い返事をした。
ここから私の忍耐生活が幕を開ける。