2.宿屋 ♡ 添い寝 → ×××
「えー⁉ 空き部屋がない⁉」
街の宿屋【夜のヒバリ亭】の受付にて。
女勇者・シルルカが驚きの声をあげていた。
彼女の後ろには、店主とのやり取りを興味なさげにぼうっと見つめる魔王・エデレットの姿がある。
「空いていないものは仕方ないだろう。そのように詰め寄っても事態は変わらぬぞ」と魔王が口を挟んだ。
「うー……でも、このままじゃ、あんたが泊まる場所が、」
「ぬ、慮ってくれているのか」魔王はすこし感心したように目を瞬かせた。「余の宿泊先であれば気にしてくれるな。アテは既にある」
「本当? あんたがそういうならいいけど……」
任せておけ、というように魔王は口角を上げた。
♡ ♡ ♡
「ふうー……なんだかとっても疲れたわね」
勇者は宿の部屋に入ると床へ荷物を放り出し、そのままベッドに身を預けた。
「そういえば最後に休んだのいつだったかしら。あいたたた……腰がぴりぴりするわ」
「ぬ、痛めたのか? あとでマッサージでもしてやろう」
窓際に佇み、外の通りを眺めていた魔王が言った。
「本当? うれしー、よろしく頼むわね……って、」
がばり、と勇者は上半身を起こして叫んだ。
「魔王! なんで普通にあたしの部屋についてきてるのよ⁉」
「ぬ? さきほど言ったであろう。アテがあると」
「アテってあたしのことだったんかああああい!」
お前以外にだれがいる、と魔王は首を傾げて続ける。
「余には人間族の知り合いなど、貴様以外にはおらぬ。他に行き場所はないのだ」
「自信満々に言わないでちょうだい……っていうか昨日まではどうしてたのよ?」
「人間界には今日来たばかりだ。魔界に伝わる秘蔵の魔法具、亜空間転移門を使ってな」
「だったらそれを使ってまた魔界に戻れば?」
「転移門は一方通行なのだ」
「うー……融通利かないわね。とにかく! あんたをここに泊めるわけにはいかないわ。出て行ってちょうだい」
「ぬ? 余に野宿をしろと申すのか?」
「そうよ。どこか近くのテキトーな森とかで夜を越せばいいじゃない」
「しかしだな」
「なによ?」
そこで魔王は口元に指先をあて、視線を床に落としながらもじもじと言った。
「……よ、夜は暗くて、怖いではないか」
「あんた魔王でしょうがああああああ!」
勇者は思い切り突っ込んだ。
「なんで〝闇を司る者〟ポジションのくせに暗いところを怖がってるのよ! 魚類が『水嫌い』って言うようなものじゃない!」
「先に湯浴み借りても良いか?」
「人の話を聞きなさいよおおおお」
ぜえはあと肩で息をしながら、勇者は顔を引きつらせる。
「なんで完全に泊まる前提になってるのよ!」
「心配するな。相場以上の宿泊費は払おう」
「そういう問題じゃないわよっ」
「他に何の問題がある?」
「だ、だって……仮にもあたしは女であんたは男なのよ⁉ それが……同じ部屋で、い……一夜を過ごす、なんて」
ぷしゅう、と勇者は頭から湯気を出しながら言う。
しかし。
「ふむ――それがどうしたというのだ?」
「はあ⁉」
魔王は変わらず飄々とした顔つきで。
きょとんと首をかしげるばかりだった。
「……なんで悪気ひとつ無さそうなのよ。魔王のクセに」
うー、と勇者は歯ぎしりをして唸ったあと、諦めたように溜息を吐いた。
「はあ……分かったわ。しょうがないから相場の100倍の金額であんたのこと泊めてあげる。だけど絶対に変なことしないでよね!」
魔王は満足そうに頷いた。
♡ ♡ ♡
「はあ。結局いつもより遅い時間じゃない」
夜の支度を整えた勇者が言った。
主行灯の火を消してベッドへと潜り込む。
「今日は早めに寝ようと思ってたのに……まあいいわ。すこしでも疲れを取らなくっちゃ」
窓の外はすっかり日が落ち暗くなっていた。
月明りがレースのカーテンに吸い込まれ、残った光が床に幾何学的な模様を描いている。
「そうだな。余もほとんど初めての人間界だ。いささか疲弊した」
「気持ちは分かるわ。慣れない場所って、ただそこにいるだけで緊張しちゃうものね。……って、魔王さん?」
「ぬ? どうした。そのように怪訝な顔を浮かべて」
「どうしたもこうしたもないわよ。確かに部屋に泊まることは1万歩譲って許可したけど……なんであたしのベッドに入ってきてるわけ⁉ あんたは床で寝なさいよっ」
「ふむ。貴様もおかしなことを言うのだな。こうしてベッドがあるのに、わざわざ床で寝る道理もなかろう」
「道理はあるわよ!」
「どのような道理だ?」
「だーかーらー!」勇者は語気を強める。「つ、付き合ってもいない男と女が、同じ部屋どころか同じベッドで夜を共にするなんて……完全にフツーじゃないでしょう⁉」
しかし魔王は目を瞬かせ。昼間と同じように。
まったくもって的を射ていないような表情を浮かべるのだった。
「……え? やっぱり、ぴんときてないわけ……?」
何かおかしいわね、と勇者もいよいよ首を傾げた。
(そっか。なんだか自然と受け入れてたけど、コイツは本来どこまでも異常な魔王なのよね。どんな育ちをしてきたかは分からないけど、きっと目の前の魔王は『恋愛経験が無い』以上に――)
勇者はごくりと喉を鳴らしてひとりごちる。
「どこまでも〝恋愛常識が無い〟ってわけね……」
魔王は枕に頭を沈ませて言う。
「先ほどからぶつぶつと呟いてどうした? 早めに寝るのではなかったのか?」
隣に寝間着姿の自分がいるのに、やはりなにひとつ気にする素振りを見せない魔王の様子に。
勇者はやきもきしたように空中で拳を振って――
そのうち諦めたのか、魔王に背中を向けた。
「うー……! 言われなくても寝るわよ! だけど、ベッドの半分からあたし側に来たら殺すから!」
「殺す? 決闘か?」
「そうじゃなくてっ! ……あ」
振り向いたところで、魔王と至近距離で目が合った。
遺跡の奥に鎮座する秘密の宝石のような静謐な瞳に。
よく見れば大理石の彫刻よりも整った顔の造形に。
どうしようもなく慣れない〝異性〟の存在に。
「う、うー……!」
勇者の心臓は不自然なほど高鳴ってしまうのだった。
「な……なんとも、思わないわけっ?」
「ぬ?」
「こ、こんなにあたしと……ベッドで近くにいて。あんたは……なんにも思わないの⁉」
ぎゅうと目をつむって。
唇を震わせ、頬を赤らめて。
血液が体中を熱く巡るのを感じて。
勇者は訊いた。
「ぬ……そうだな」
ぴくりと眉を跳ねさせて。
瞳の前に落ちた前髪を片手でかきあげて。
じいっと勇者を見つめて。
魔王は答えた。
「貴様は――可愛い顔をしているな」
「っ⁉」
勇者はひどく驚いたように身体を跳ねさせて。
すこしの間のあと強く寝返りを打った。
「うー……! ばか魔王っ!」
「ぬ? 何か気でも障ったか?」
「知らない! おやすみ!」
「おい。まだ余の質問に――」
「半分」勇者は魔王の言葉を遮る。「超えないでよね。絶対に」
沈黙が夜の部屋に満ちた。
その中でただひとつ――勇者の心臓の音だけが規則的に鳴り響く。
(もう、あたしったら、どうしてこんなにドキドキしてるのよ! 魔王の方はなんにも気にしてないっていうのに……ばっかみたい)
鼻をすんとすすって、シーツを顔までかけて。
意識を無にしようと試みるが――どうにも無駄に終わってしまう。
(だめ、眠れないわ……って、きゃっ⁉)
勇者の身体がびくんと跳ねた。
どうやら背中を急に触れられたらしい。
(今の、間違いなく魔王よね……? そうよ、相手は腐っても魔王。さっきまでは唐変木ぶってたけど、ベッドの上に男女が無防備な状態でいて、なにも起こらないワケがないもの……!)
思考を巡らせていると、ふたたび魔王の手が勇者の背中を撫で上げた。
「ひゃ、ひゃあんっ……!」
たまらず勇者の口から声が漏れる。
(しまった、あたしとしたことが完全に油断してたわ……力ずくでも止めなきゃ。出会ってその日に抱擁なんて、破廉恥がすぎるもの……! そ、それに、あたし――ハジメテだしっ)
勇者は意を決して、拳に力を込めて。
勢いよく振り返った。
するとそこには――
「………………」
くうすかと気持ちよさそうに寝息を立てる魔王の姿があった。
「って、一瞬で寝てるーーーーーーー⁉」
魔王は無意識のまま、手と足をもぞもぞと蠢かしている。
「しかも寝相わっる! 言ったそばから半分越えてきてるし!」
月明りに照らされる中、無邪気に眠りこける魔王の姿を見て。
勇者は安堵した以上に、強烈な恥ずかしさと悔しさを覚えたのだった。
「うー……やっぱりきらいっ!」
どこかで夜鳥が間抜けに鳴いた。