サイドストーリー 風華視点 ランの憤り
飛行艇の部屋の中に広がる尋常でない冷気で風華の顔は青ざめているわけではなかった。目の前で繰り広げられる光景は、義母子のそれではなかった。スミレの腕を容赦なく捻り上げ、地面に押し付けるラン。スミレも最初のうちは痛みで炎を出したり、恐怖で周囲を凍てつくような寒さで襲ったりしていた。しかし、風華が炎を冷たい水で消化したり、冷たい水を浴びた上にさらに自らの冷気で余計に体力を消耗し、今ではスミレは何も感じていないようだった。痛みにも寒さにも慣れ、ただ時間が過ぎるのを待っていた。
「どれだけの時間があった?今までの時間で何ができた?なんで何もしなかった?」
力無いスミレに捲し立てるラン。彼女にとってのイマガミの名にはそれほどの価値があった。しかし、スミレにとってイマガミは自分を縛るものでしかない。
「、、、、ラン様、私が和の国でどんな生活をしていたかご存知ですか?」
急にスミレが話し始めた。風華は驚き、目を見開く。
ーーあれだけの苦痛を伴って、もう諦めに入ったはずなのに何故?それほどまでにランの発言が許せなかったのだろうか。
「私は和で異能に関する教育を受けませんでした。異能は悪。幼い頃から使わないように言い聞かせられ、気がついたら感情を奪われ、普通の姫の教育を施されていた。そして、気がついたら陽煌様によって異能を解放され、彼を、私は殺めました。そして、地下牢に入れられ、ラン様の城へ。やがてセイナリを通り、この飛行艇に来たのです。これまでの時間で何ができるとお思いですか?言い訳と言って鼻で笑いますか?、、、、人は都合の悪い事実を言い訳と言うのですよ。」
風華はスミレの一瞬の瞳の光に気が付かなかった。バチッと大きな音が立ち、ランと風華は反射的にスミレから離れる。電気の異能だった。スミレは感じたことのないほどの怒りを感じていた。
「、、、、勝手な憶測で努力したとかしてないとか言わないで。時間?何ができるの?異能は封じられていた。何もできるわけがない。今まで抑圧されてきた。自由を求めるのはそんなにいけないこと?王族?ラン様の言うことは義務、義務、義務。自分の意見なんてありはしない。あなたの理想を押し付けないでください。私にだって誇りというたいして役に立たないものがあるんです。」
スミレの周りに味方は一人もいない。風華はランをかばうように立つ。部屋を出たココナとシルフィはまだ騒ぎに気が付いていないようだった。
「何人、殺した、、、、。そうですね。私はお母さまを殺し、暗殺者を返り討ちにし、そして陽煌様を殺しました。全部、私が誰に指示されたでもなくやりました。お母さまを殺したこと、暗殺者を返り討ちにしたこと全てアイラから聞きました。彼らがどんな気持ちで死んでいったか。私のせいで悲しんだ人が何人いるか。しかし、王女である以上、華の国との同盟の基となった人間である以上、私はどうあっても死ぬことは許されなかった。もともと世界なんて狂ってます。命の価値が皆違うなら、私が好きに生きて世界が滅んでもいいではないですか。」
スミレはあくまでランと対話しようとしていた。しかしランは一言も話そうとしない。狂ってる。風華はそう思った。イマガミに尋常でないほど固執するランにも、必死でランの同意を得て自由になる、という漠然としたことしか考えていないスミレにも。自由になってもスミレはどう過ごすつもりなのだろう。風華はかすれた声で口にした。
「どんな事情であれ人を殺めた。そんな人が今更自由になれるとでも?」
「誰のせい?」
風華の一言がスミレの逆鱗に触れた。さっきよりも強い電気を帯びるスミレ。ランも風華も盥の水がかかっていて濡れている。ここで電気を出されたら二人とも危険だ。下手に刺激できない。
「ずっと、ずっと自分が許せなかった。けれど異能は操れない。どうしたらよかったの?お母さまを殺したのは私が悪いわ。けれど暗殺者は?陽煌様は?私利私欲のために動いて死んだんです。どう考えても悪いのは私だけではありません。それはあなたたちもそう!」
真っ黒な靄がスミレの体からぶわっと広がった。ランはよけることができたが、彼女をかばうように立っていた風華はその靄をまともに浴びてしまう。風華は自分の体が一気に重くなるのを感じた。尻もちをついてしまったがそのあと立つことができないのだ。風華はランに助けを求めようか考えてしまう。しかし女官としてそれはあってはいけない。風華には耐えることしかできない。スミレから黒い靄が出てそれを風華が受けたのはたった数秒間の出来事だった。しかし、風華にはそれが起こるまでの時間がとても長く感じた。目の前でスミレが膝から崩れ落ちる。突然の出来事に風華はランのほうに振り向いた。振り向くことができた。黒い靄の効果がきれたのだろう。しかし、風華は今、そんなことなどどうでも良かった。スミレを見るランの目が信じられないほど冷たかったからだ。




