糸
僕は人の身体から
『糸』が出ているのをよく見る。
最初は、服のほころびを
見つけたのだと思った。
彼女の首元を触り、
「でているよ」と教えてあげた。
ハサミで切ろうとしても、切れない糸。
ハサミの切れ味が悪いのだと
気にしないでいてくれた彼女。
それから彼女以外にも
糸が出ている人をよく見ることになる。
腕、足、首、背中。
たまにすごく長い糸の人も見る。
彼女もそうだ。
日に日に伸びていって、
今や腰にまで伸びきっている。
彼女は糸の存在には気づいていない。
僕にしか見えない糸。
怖くなって、
体調は大丈夫か、ときいてみた。
いつもどおり「大丈夫だよ」と返す彼女。
ある日僕は残業を頼まれ
疲れ切った様子で帰路につく。
ただいま、と家の玄関のドアを開ける。
いつも聞こえる
彼女の、おかえり、が聞こえない。
頬に風が掠める。
風の居所に僕は目を向ける。
そこには窓を全開にして
柵を乗り越え
外を眺めている彼女。
『糸』がもう
彼女の足元まで伸び切っている。
彼女は振り向き涙を浮かべ
『ごめんね』
気づいたら僕は窓に向かって走っていた。
彼女から出ている『糸』が
風で揺蕩っている。
糸をつかもうと必死な僕に
少しの笑みを見せ
彼女は飛び立った。
掴めたはずの『糸』が
僕の手のひらをすり抜ける。
ドン、と鈍い音が、はるか下で聞こえる。
なにをやっているんだ、僕は。
ふと横にあった
彼女お気に入りの全身鏡を見る。
疲れ切った僕。
その首からは
短い『糸』が一本垂れていた。