第九十四章 女性の雇用問題
少し固い話になります!
予想より早く帰宅した主夫妻を目にして、これは何かあったなと執事のパークスは思った。二人とも顔を赤らめて俯いて馬車から降りてきたので。
少しは仲が進展したのだろうか? 正直傍目で見ているとイライラするほど純情なカップルだ。
旦那様は一国を改革出来るほどの切れ者、辣腕家なのに、妻を前にすると途端に腑抜けになる。しかも気が利かない。
奥様もそれはそれは美しい上に優しくて優秀なのに、自己評価が低すぎる。
しかも我慢強い方なので旦那様に文句一つも言わないどころか、何も要求しないし甘えない。
まあ、これまでは国の大改革で大変だったのだから致し方なかったが、これからはゆっくりお二人の時間を持って頂いて、お早めに跡継ぎを・・・と思っていた。
と・こ・ろ・が・だ。
今度は旦那様に新しく作る組織の長になれだと? しかも奥様にも婦人部立ち上げの委員になれという、半ば命令のような打診が来た。
さすがのパークスも、マーラやナラエ達同様に『ふざけるな!』と叫びたくなった。我がザクリーム侯爵家を何だと思っているのだ!
旦那様は間違いなく断るだろうと思った。元々侯爵家は役人勤めなどをしなくても、領地経営だけで十分豊かなのだ。
それなのに、領地経営どころかまともな夫婦生活を送れない、そんな勤務体制に憤懣やるかたない状態だったのだ。
でもこれでようやく一息つけられる……と思っていた矢先にこれだ。
せっかく屋敷の者達と、新しく何か新規事業でも起こすか!と盛り上がっていたというのに。
だから旦那様はこの話を絶対に断ると思っていた。ただし、奥様はもしかしたらお受けになられるかもと思った。
奥様は元々女官になりたがっていたとナラエから聞いていたし、そもそもとにかく優秀な方なので、このお役目はまさにぴったりだと思ったからだ。
なにせ女性の社会進出を推進する仕事なのだから。
ところが意外な事に結果は逆だった。主は理想通りの職場環境を獲得した上で、仕方無く受諾し、反対に奥様は一切迷いなくその要請を断った。まさしく即決!
「私まで城勤めになったら、侯爵家はどうなるのですか? 使用人に任せろですって? 彼らにも家庭がありますのよ。
今回だってかなり侯爵家のみならず国家のためにと、度を越した仕事をさせてしまったというのに、これ以上彼らに負担をかけろとおっしゃるのですか? それはあまりにも無慈悲というものではありませんか?
えっ? 新しい使用人を雇えばいいですって? 冗談はお止めくだい。我がザクリーム侯爵家の使用人が誰にでも務まると、本気で思っていらっしゃるのですか?
今我が屋敷にいる者達は主と執事が選りすぐった精鋭達なのですよ? 同格の人間をそう簡単に見つけられる訳がないじゃないですか。
仮に良い人を見つけられたとしても、その者を一人前に教育するのに、どれほどの手間暇がかかるとお思いなのですか?
ふぅーっ。
教育の意味や大切さを理解していないから人が育たず、出来る人ばかりに重責を負わせてしまうのですね、この国は。
せっかく改革をして新しい国造りをなさるのでしたら、是非とも一番先に教育制度を見直して頂きたいですわ。
それも私に手伝って欲しいですって? だから先ほども申し上げましたが、私は侯爵家を守らなくてはならないので無理です。
私ではなくても、既に子育てを立派に成し遂げた素晴らしいご夫人方がたくさんいらっしゃるではないですか? その方々にご協力を仰いでは如何ですか?
それに是非ともロマンド伯爵家のミカリナ様に、婦人部準備対策委員になって頂きたいですわ。彼女はとても優秀な方ですから。
私、彼女を夫やアンジェラ先生に推薦したいと思っておりましたの。局長はそれをどうお思いになりますか?」
ザクリーム侯爵夫人の言葉に局長は瞠目した……
最初屋敷を訪れた内務省の人事局長は、傍から見ても奥様を見下している感があった。
いくらザクリーム侯爵家夫人といっても、奥方は学園を卒業してからまだ一年も経たない娘で、特別な実績がある訳ではない。
確かにかなり頭が良くてリーダーシップがあると、娘も言っていたが、たかが生徒会活動と国家の行政機関を一緒になどはして欲しくない。
黒い地味な服装をして眼鏡をかけて、わざと落ち着い大人の女性を演じているようだが、よく見ればずいぶんとおとなしそうな、おっとりしてそうな女性じゃないか。
これではとても官僚としては働けないだろう……そんな事を思っていたに違いないとパークスは踏んでいた。
数日前に先触れを貰った際に調べたところ、人事局長の娘は奥様の学園時代の同窓生で、しかもその令嬢と奥様はとても仲の良い友人同士だったという。そして……
「うちほどじゃないけれど、女性や若い人を軽視する傾向があるお父上のようなのよ。
彼女はとても優秀な方で女官を希望されていたのだけれど、お父上に大反対されて、卒業後に無理矢理に婚約をさせられたみたいなの。でも式を挙げる前に破談になって、本当に良かったわ」
と奥様は言っていた。
しかし、さすがの局長も奥方の話を聞いて、ようやく奥方の能力の高さと、優しくて思いやりのある人柄に気付いたようだった。
奥方が話をしている間、主は一切口出しせずに隣でただ聞いていたが、話が終わった後でこう尋ねた。
「人事局長閣下、私の妻が何を言いたいのかご理解頂けましたでしょうか?」
すると人事局長のロマンド伯爵は、自分の娘のような侯爵夫人に深々と頭を下げた。
「ご配慮、そして貴重なご意見をありがとうございます。急ぎ城に戻り次第検討しようと思います」
彼は神妙な顔付きで侯爵夫妻に感謝しながら侯爵邸を去った。
もし彼が妻の意図を察する能力のない者なら、宰相に彼の任を解くよう進言しようかと考えていた侯爵だったが、取りあえずその必要なかったようだ。
実はこのロマンド伯爵は今、とても苦しい立場にあったのだ。
というのも、伯爵が選んだ娘ミカリナの婚約者が、この改革の騒動の中で機密漏洩罪で逮捕されたのだ。その男はヴェオリア公爵一派へ国家情報を渡していたのだ。
その男自身は中立派だったが、賭博の金欲しさで情報を渡していたらしい。
自白剤を飲まされたヴェオリア公爵家一派の一人が協力者リストを暴露したのだが、その中に伯爵の娘の婚約者の名があったのだ。
人事局の職員から数名逮捕者が出たために、局長の『人を見る目』を問題視する声があちらこちらから湧き上がった。
しかも、逮捕者の一人は局長の娘の婚約者だったのだから尚更だ。
しかし実際のところ、局長自身が職員一人一人に直接を面談して採用している訳でもないのだから、彼だけを責める訳にはいかないだろう。
それに彼自身も深く反省していたようだ。
特に仲介してくれた直属の部下の、真面目で優秀で将来有望だという言葉だけを信じて、簡単に娘の人生の相手を決めてしまった事に対して。
女官になって働きたい。まだ結婚はしたくないと娘に言われたのに、親の勝手な一存で話を進めた結果、大事な娘をキズモノにしてしまったのだから。
娘には何一つ落ち度がないというのに。
『生まれて初めて父から謝罪されて驚きました……』
ザクリーム侯爵夫人は友人であるミカリナ嬢からの手紙で、局長が反省をしている事を知っていたのだ。だからこそ、彼女はお節介を焼いてみたのだった。
まあ、本人は無自覚にいつもお節介をしているので、夫からしたら毎度の事だ。しかも今回の妻の助言はお節介の範疇を超えていると侯爵は確信していた。
今回の大改革では多くの逮捕者を出した。そしてその結果、直接犯罪に関わっていなかったにも関わらず、職を無くした者も多かった。
当主が犯罪を犯した為に取り潰された家の使用人、身内に犯罪者がいたために辞めざるを得なくなった者、離縁となった者、婚約破棄となった者・・・特に働き手のいなくなった家の、女性や若者達の生活困難者が増えている……
このままでは貧困に喘ぐ者達が増えて、益々社会情勢が悪くなる一方だ。それでは、改革の意味がなくなる。
だから、今までの古い既成概念に囚われず、新しい採用方法を考えて雇用を増やしてはどうですか?と、侯爵夫人は女性の視点で提案したのだった。
「この社会には『ジャスト・トランジション』という制度が必要だと思いません? 旦那様?」
以前からミラージュジュは夫にそんな事を言っていた。
「なにそれ、『公正な移行』って?」
「つまりですね、もし一つの炭鉱が閉山になったら、そこで働いていた多くの鉱夫さん達は職場を無くして困りますよね?
その人達は全員が同じ炭鉱の仕事を探そうとしますよね。でも、運良く見つけられてもそれは数人で、他の人達はどうしたって仕事にあぶれてしまいますよね?
ところが別の地域では、街道の拡張工事の為にたくさんの人夫さんが必要とされているとします。
でも、いくら仕事が欲しくてもやった事のない仕事をするのは、誰でもためらってしますよね。しかも働く場所が遠く離れていたとしたら尚更……
だから行政機関が責任を持って仕事のやり方を教えたり、新しい住まいを斡旋して、人の移動をしやすくしてあげればいいと思うのですよ。そうすれば需要と供給のバランスが取れますよね?
これって、個人や自然の流れに任せていては無理だと思うのですよね。
こんな事が可能になったらいいなって、子供の頃、出稼ぎに来て苦労している人達を見て思ったんですよね」
昔ミラージュジュが通っていたテーラー街には私設の職業斡旋所があって、地方から仕事を求めて人だかりができていたのだ。
レオナルドもそれに対する対策を子供なりに考えていたが、ミラージュジュの発想には到底及ばないものだった。
そして今回ミラージュジュは、取りあえず今可能そうな『ジャスト・トランジション』を人事局長に提案したのだった。
困窮している女性達や若者の為に。
読んで下さってありがとうございました!




