第九十三章 国からの報奨
甘々な話ですが、そこには塩辛いものも含まれています。
王城での王室会議が終わると、ザクリーム侯爵夫妻は他の者達に捕まる前に一目散に会議室を出た。
そして国王の最後の仕事として授与された報奨の目録と、報奨金の入った立派な鞄を侍従に手渡した。それから城を出て、侯爵家の馬車を見つけ出すと、急いでそれに乗り込んで帰路についた。
「旦那様、あの鞄とても素敵ですね。私にあれをこの度の報奨として頂けないでしょうか?
メモを入れる為の鞄にしたいのです。前に使っていた物は大分傷んでいるので」
ミラージュジュがレオナルドにこうお願いすると、彼はとても悲しそうな顔をした。
「初めての夫へのおねだりが、国から授与された報奨金が入っていた鞄だなんてあんまりじゃないかね? ジュジュ?」
「えっ? どうしてですか? 私、無茶な事をお願いしてしまいましたか? ごめんなさい。そんなに貴重な物とは思わなかったものですから……」
妻とのトンチンカンなやり取りに夫は頭を抱えたくなった。
愛する妻の為なら何でもしたい、何でも与えてやりたいと思っているのに、結婚してもう十か月以上経つというのに、ろくなプレゼントをしていない。
一応、パーティー用にアクセサリー類は贈った(覚えていない)ようだが、それは贈り物とは言えない。ドレスは姉のお古を着せて、新品のドレスは作っていないし。自分は本当に最低最悪の夫だ。
何か欲しい物はないかと尋ねても、彼女からは何もないと言われてしまうので、勝手に花束を贈っていた。
しかもそれは妻の好きなピンクの薔薇ではなく、妻が好きだと思い込んでいただけの赤い薔薇だった。
したり顔のノアにそう指摘された時のショックは、とても言葉では言い表せない。
最初は、単に彼女が遠慮しているのだろうと思った。しかし、そのうちにようやく、彼女は今まで家族から贈り物をされた事が無かったのではないか?という事に思いが至った。
学園に入ってからは友人から貰えたのかも知れないが、まさか自分からこれが欲しいとは言えなかっただろうし……
きっと彼女は自分から贈り物をねだるという事をした事がないのだろう。それどころか人に甘えたり、何かを要求するという発想さえなかったに違いない。
少し考えれば分かる事なのに、今頃……と、情けなくて彼は泣きたくなった。
しかもそれにようやく気付いたのが、あの大改革真っ最中だったので、その事について対処が出来ずにいた。その結果がこれである。
初めて妻に望まれたのが、人から授かった物。しかもその中身ではなく、それを単に運ぶためだけの鞄だとは……
確かに王家が準備した物で、しかも重い金貨が入っているのだから、それに耐えるだけの立派な鞄なのだろう。
しかし、妻が望めばどんな素晴らしい鞄だって贈ったのに……
クローゼットの中に置いてあった鞄を見た時、確かにボロだとは思ったが、相変わらずミラージュジュは物を大切にしているいい子だなと感心してしまった。
ああそう言えば、あの鞄の中身はメモ紙だったのに、妻が両親から少しは娘として気にかけて貰って、結婚準備をして貰えたんだ、良かった……と勘違いしていた苦い記憶まで蘇ってきた。
情けなくて落ち込む夫を見て、妻の方はただ焦っていた。
裕福な家で暮らすようになって日が浅いので、彼女には正直物の価値が分からなかった。
もちろん彼女の実家は伯爵家でそれなりに裕福だったが、屋敷のメインの場所には出入りしていなかったので、高価な品などほとんどお目にかかった事は無いのだ。
だから、報奨金の入っている鞄を欲しいなどという発言をついしてしまったのだ。
鞄は単に大切な報奨金を運ぶ為の入れ物という認識で、その入れ物の方も高価な品なのだという発想は全くなかった。
どうしよう。図々しい、厚かましい嫁だと思われたらどうしよう。いや、間違いなく思われたわ。
何せ自分の報奨として鞄を欲しいと言ってしまったのだから。普通自分からそんな事を言うべきではないのに。
報奨……そもそも今回自分がやった事は、教会の不正を暴いて、苦しく辛い思いをしている子供達を助けたかったからだ。そして親友のノアを見つけ出したかったからだ。
それに見返りを望むとは、自分はなんておぞましいのだろう。これじゃ私は・・・
ミラージュジュは青い顔をして、レオナルドの金色の瞳を見つめた。なんて美しいのかしら……こんな美しい瞳に自分が映っているのが信じられない。
もし、この瞳が別の女性を見つめるようになったら、私はどうすればいいのだろう。
家族からも使用人からも愛される事のなかった自分が、こんな素敵な人の妻になれると知った時、まさしく夢のような話だと思った。
だから結婚初夜に偽装結婚だと言われた時、悲しかったし絶望したけれど、ああ夢は所詮夢だったのだとすぐに諦めがついた。
あの家から出る事が出来ただけでも幸せだと思わなければ罰が当たるとさえ思った。
それなのに、何故か屋敷の皆さんには優しく親切にしてもらえて幸せだった。義姉達からもかわいがって貰えたし……
それがあの落石事故後、記憶を失くした夫から、好きだとか愛されているとか言われても正直信じられなかった。そして許して欲しいと懇願されたが、別に怒ってなんていなかったので、ただただ戸惑った。
それでもずっとに愛していると言われ、それを態度で表され、しかも周りからもそう言われると、愛を知らないミラージュジュでも、少しずつそれを信じられるようになっていった。
もちろん今ではそれを疑ってはいない。いないのだが、その愛が永遠だとはとても信じられなかった。
夫はその容姿や家柄だけではなく、一国を変えられるほど有能で、皆に信頼されて必要とされている、物凄く貴くて崇拝すべき人間なのだ。『国家の至宝』とは、まさしく言い得て妙だ。
そんな夫の周りには素敵な女性が星の数ほどいるのだから、こんな欲張りでおぞましい女なんて嫌われて捨てられても仕方ないわ……
頭ではそう理解していても、心が酷く苦しかった。何か鋭利な物で抉られているかのように胸が痛んだ。
苦しそうな辛そうな顔をして自分を見つめてきた妻に夫は驚き、どうしたんだ?と声をかけようとした瞬間、妻は夫の胸にしがみつき、細い体を震わせながら言った。
「旦那様、どうか私を嫌わないで下さい!
旦那様に嫌われたら私はどうしていいのかわかりません。
私は、旦那様を愛しているんです。
旦那様しかもう愛せないんです。
以前は誰にも愛されなくても生きていけると思っていたんです。ですから、ノアやお義姉様、ナラエさんやマーラさん、パークスさん、ジャックスさん……お屋敷の皆さんに好いて貰えるだけで、私は十分過ぎるほど幸せだと信じていたんです。
でも、本当は違ったんです。どんなに皆さんに大切にしてもらっても、旦那様に嫌われたら幸せじゃないんです。
もう、旦那様無しでは私はどうやって生きていっていいのかわからないんです。
旦那様の愛を私に下さい!」
「!!!」
思いがけない妻からの告白に、レオナルドの体は硬直した。そして脳天に雷が落ちたような衝撃を受けた。
確かに近頃では妻から好きだと言って貰えるようにはなっていたので、妻の気持ちを疑ってはいなかった。
出会った時、ノアと自分が男だと最初から分かっていたとしても、きっと自分を選んでいたと聞いた時には、天にも昇る心地だった。
だから、自分と同じくらいの想いを彼女にまで求めるつもりはサラサラなかった。
それなのに彼女の最初のお願い事が自分の愛? 嘘だろ? 嬉し過ぎて舞い上がりそうだ。まさしくこれぞ幸甚!
レオナルドはミラージュジュを力一杯抱き締めた後、体をそっと離して、彼女に熱い熱いキスをした。
そしてこう耳元で囁いた。
「今までずっと僕は君に愛を捧げてきたつもりだったけど、足りなかった?」
ミラージュジュはとんでもない、というように激しく頭を振った。それを見てレオナルドは微笑みながら、両手で妻の真っ赤になった愛らしい両頬に優しく包みながらこう言った。
「僕は君と初めて会った十二の時から、ずっと君を愛してる。その気持ちは大きくなる一方で留まる所を知らない。これからも君だけを愛し続けるよ。
でも、ジュジュからも同じ様に愛して貰えて、僕は本当に幸せだ。ありがとう」
「私も、旦那様だけを愛し続けます」
「もういい加減愛称で呼んで……復讐の時だけしか呼ばれないなんて、辛い……」
ミラージュジュは、つい先日のあの女装デートの時の事を思い出して、申し訳無さそうな顔をした。そして少し恥ずかしそうにこう呼んだ。
「愛しています、レオ……」
「僕もだよ、ジュジュ……
だから、僕の記憶はまだ戻っていないけれど、君ともう本当の夫婦になりたい。いいかい?」
ミラージュジュは頷いた。そしてこう言った。
「もし、レオの昔の記憶が戻って、今度は今のこの記憶が無くなってしまったとしても、私がレオを愛してる事には何も関係ないわ。
そして二人の大切な思い出は、私がみんなレオに教えてあげる……」
「ありがとう、ジュジュ……」
レオナルドは再びミラージュジュを強く抱き締めた。そして最後にこう言った。
早く君を抱きたい。しかし、けじめを付けたい事があるから後少しだけ待って欲しいと。
それは偽愛人であったラナキュラスの墓参りだった。
いくら無理矢理に契約させられた偽装の愛人関係だったとはいえ、一時は同じ屋敷に住み、朝食を共にしたというのだから。まあ、使用人の目を誤魔化すためだったようだが。
それに自分が彼女を第二王子の元へ連れて行こうとしなければ、彼女は事故で怪我をしなかったかも知れない。そして、もし子宮を無くす事がなかったら、生きる気力を失わずに済んだかも知れない……
彼女との記憶は全くないのに、レオナルドはどうしてもその罪悪感が消えなかった。悪いのは第二王子と国王、そしてヴェオリア公爵家一派だと頭ではわかっていても。
冷酷無比と言われているのにおかしいと自分でも思うのだが。今自分が幸せ過ぎるからなのかも知れない……とレオナルドはそう思った。
早く訪れたいとずっと思ってはいたが、とにかくその時間が取れなかった。そして今もいくら休みを取る権利をもぎ取ったとはいえ、新しく創設した政務統括庁が軌道、いや見通しがつくまでは、安易に休む訳にもいかないだろう。
夫からその話を聞いた妻は静かに微笑みながら言った。
「その時はどうか私もご一緒させて下さい」
と。
この章の続きは少しだけ後になりますが、ちょっとハラハラドキドキになる予定ですので、楽しみにして貰えたら嬉しいです。
読んで下さってありがとうございました!




