第七十一章 カートン伯爵の功績
主の書斎にレオナルドの同朋というか、ブレイン達が集まった。
執事のパークス、主の護衛のジャックスとベネディクト、侍従のアンクルト・・・
主の妻と彼女の護衛のノア・・・
そして近衛第二騎士団の影の団長トーマス=カートン伯爵・・・
このメンバーのうちパークスはともかく、王妃殿下の懐刀カートン伯爵を自分のブレインと呼ぶほどレオナルドは傲慢ではなかった。
しかし、伯爵本人がレオナルドの下で働かせて欲しいと申し出たのである。
これまでの一連の出来事に対する対処や、先日王妃殿下に進言する様子を目の当たりにした時、この若者にこの国を託したいと本気で思ってしまったのだ。
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元々王妃殿下が彼を王太子のブレインにしたいと熱望なさっていた事は知っていた。
しかし、それはあくまでも王太子の側近、そしてそのブレインである宰相の後継者だという認識だった。つまりは補助する側だと思っていた。
ところが実際はどうだ! 今まで長い間自分達が色々と陰で進めてきた改革案などには見向きもせず、ザクリーム侯爵が自ら次々と新しく立案し、それを実行している。
そして王妃殿下や王太子殿下、宰相でさえ、彼の案に納得して承認し、ただそれらを周りに周知徹底するだけの存在になっている。非常に不敬な言い方になるが……
この国をより良い方向に変革したいと望まれて嫁がれてきた王妃殿下の少しでも役に立ちたいと、これまで自分なりに頑張ってきたつもりだった。
しかし結局自分は、愚か者達を改めさせたり、その行動を止める事は出来なかった。そして出来た事といえばその後始末をする事だけだった。
エメランダ様を城から逃して匿ったり、政治思想犯を隣国へ亡命させたり・・・
侯爵が子供の頃には気付いていた教会の悪事についても全く気付けなかったし・・・
ザクリーム侯爵ならば王妃殿下の思いを叶えてくれるかも知れない。
自分では成し得なかったが、彼の側に居れば自分もその偉業をこの目で見届けられるかも知れない。そうカートン伯爵は思った。
だから王妃殿下と久しぶりに顔を合わせた時に殿下と侯爵に懇願をしたのだ。
どうかザクリーム侯爵の側で彼の手伝いをさせて欲しいと。
カートン伯爵は王妃の側近中の側近であり、実質近衛第二騎士団の団長である。
ただ普段から隠密の行動を取らざるを得なかったので、表面的には何の指揮権もない、単なる近衛第二騎士団の相談役となっているらしい。
それ故にこのまま近衛第二騎士団に戻らなくても別段は問題が無いのだという。
道理で伯爵家へ連絡してもいつもの事ですからと、屋敷の使用人達が淡々としていた訳だと、レオナルドとパークスは思った。
普通主が連絡も無しに帰宅しなかったら、たとえそれが数日だろうが大騒ぎするのが当然なのに。
そして王妃殿下はあっさりとカートン伯爵の願いを聞き入れてしまった。
王妃殿下とザクリーム侯爵との連絡を取り合うためにもカートン伯爵が繋ぎ役になってくれれば一番安心だと。
カートン伯爵を王妃殿下と自分の連絡係にするだと? レオナルドは恐れ多くて目眩を起こしそうだった。
確かにカートン伯爵は宰相同様、いやもっと城内の裏側の仕組みや貴族の内情を知っているだろう。彼の助けを得られるのは僥倖だ。
しかしそれはやはり相談役的ポジションとして教えを請いたいと思っていたのであって、自分を下から支えて欲しいなどというおこがましい事を望んでいた訳ではなかったのだ。
だからレオナルドは正直にそんな自分の気持ちを彼に伝えた。
「自分達が今悪と立ち向かえていられるのは、先人の方々、王妃殿下や宰相閣下、そしてカートン伯爵が布石を敷いて下さっていたからこそです。
そもそも私がこの度教会の不正の証拠を集められたのも、ベネディクトを含め、伯爵が亡命ルートを作って隣国へ逃した方々からの協力が得られたおかげです。
私の親友がこの世に生を受けられたのも伯爵が守って下さったからです。
そして伯爵の陰の大きな功績と言えば、この国の隅々にまでフォールズ流を広げて下さった事です」
ミラージュジュの恩師であるアンジェラ=フォールズ=ノート女史。彼女の実家のフォールズ家の生み出したフォールズ流の騎士道は、見掛け倒しで形式的な騎士道ではなく、実践的かつ心や人としての誇りを重んじる流派である。
カートン伯爵は自らこの流派を学び、かつそれを仲間や知人達に積極的に広げていった。
それによって緩みがちになっていた騎士達が自然と自己研鑽に励むようになっていったのだ。
特に昨今ではフォールズ流の騎士道を学ぶ事が、若者達にとっての流行りとなっていた。
そしてこの若者達は一様にヴェオリア公爵家一派の勧誘に乗らなかった。
何故なら彼らにとってヴェオリア公爵は、ただ私利私欲に凝り固まっている老獪な年寄りで、国を食い潰そうとしている悪の権化だったからだ。
多くの若者達がこの国を憂い、新しい国に変えていこう……と志を持つようになってきている。この事はカートン伯爵の最大の功績だと言えるだろう。
新しい国作りは一部の人間だけでは出来ない。多くの人間の賛同と協力を得られない改革など、所詮独裁者のクーデターに過ぎない。
ザクリーム侯爵の思いがけない称賛に、カートン伯爵は不覚にも感極まって泣きそうになった。
今の今まで自分の不甲斐ない年月に気落ちしていたのだから当然だったろう。
「ザクリーム侯爵の言う通りですよ。ヴェオリア公爵家一派は元々のその家の力や財力、そして脅しなどで勢力を伸ばしてきました。
しかしそなたは己自身の力で正道を追求し、それを無自覚ながらも他の人々の事も良き方向へと導きました。
その功績は大変なものです。
それに加え、そなたは長きに渡り私を側で支えてくれました。その忠誠心に、私は心から感謝しています。
そなたが側にいてくれなかったら、私はこの国に嫁いできた意義などとうの昔に捨て、ただ無意味に日々を過ごしていた事でしょう。
本当にありがとう」
王妃のこの言葉に、これまでの自分の歩みは無駄ではなかったのだとわかり、伯爵は心から嬉しかった。
そしてそれと同時に自分達のその志はまだ道半ばであり、それを達成する為には、やはりザクリーム侯爵の下で働きたいという決意を更に強くしたのだった。
そしてこの時、王妃とパークスはこうも思っていた。
カートン伯爵の功績は確かに大きい。しかしそれと同時にザクリーム侯爵の影響もかなり大きいと……
レオナルド=ザクリームが父親の病気を理由に侯爵位を継いだ後、実は多くの若者達が彼を支持し、応援したいと表明してくれていたのだ。そのほとんどがフォールズ流の騎士道を学ぶ若者達だった。
カートン伯爵によってフォールズ流の騎士道を学び始めた若者達は、やがて自分達の理想形をレオナルド=ザクリームに見出していた。
まるで女神か天の使いかのような美しい容姿の持ち主ながら、その所作や動きは流麗というより、一切無駄の動きのない実用的なものだった。
レオナルドは学園に在学中、そして卒業後も様々な剣術や武道の大会に参加しては優勝を飾っていた。
形式美だけを重視し、やけに気取って仰々しい動作をする名高い剣豪達を瞬殺していくレオナルドの様は、若者達を酷く興奮させた。
理不尽な振る舞いの年配者や家柄だけを振りかざす高位貴族に普段から辟易していた若者達は、レオナルドのその姿に胸をスカッとさせ、憧れたのだ。
しかも勝っても奢らず、負けても嘆かず、ただその勝敗の原因のみに関心を持っている彼のその姿勢に皆憧れたのだ。
こうしてフォールズ流の騎士道を学ぶ若者達の中に、秘密裏にザクリーム侯爵に接触を持ち、彼に自らの意志を示してくる者達が次第に増えていったのだ。若き侯爵がいざ行動を起こす時には共に動くと・・・
それら一連の動きをパークス及び宰相や王太子、王妃も把握していたが、誰が反ヴェオリア公爵派として名乗りを上げたのか、その情報は一切手に入らなかった。
レオナルドは彼らの身の安全の為に、彼らの身元がわかるものは全て消去し、決して外に漏れないようにしていたからだ。
自分の仲間になると意思表示してくれた者達の情報は、若き侯爵の頭の中に全てインプットされていたので、何かに書き記してわざわざ残す必要がなかったのである。
ところがだ。何度でも言うが、それらの大切な記憶や情報は、あの事故のせいで失われてしまったのだ。
今となっては誰がザクリーム侯爵と同調しようとしていたのか、さっぱりわからなくなってしまった。
王妃や王太子、そして宰相達が国王陛下への恨みつらみを増幅させたのは当然だろう。
もしレオナルドがこの同調者達の記憶を失くしていなければ、彼らにも協力を仰げたに違いないのだから……
そして反ヴェオリア公爵派の勢力図がわかれば、今後の政局を見極めるのにどれ程役に立ったのか計り知れないのだから……
かつてザクリーム侯爵に同調すると言った者達は、彼が記憶喪失になったと知った後、彼とその周辺の動向を静観している。当然の事だ。
だが、確かにここ二年分の記憶は失くしてしまったが、彼の人格や能力、そして宰相達からの信頼度に変わりがないとわかると、再び接触してくる者も増えてきている。
今回レオナルドは、それらの人物の事をもっとも信頼のおけるパークスにだけは伝えていた。
それというのも、記憶を失い、その後何かのきっかけで以前の記憶を取り戻した時に、今度は記憶喪失中の記憶の方がなくなってしまうという症例がある、と医師に言われたからである。
何はともあれ、フォールズ流の騎士道を学ぶ多くの若者達が反ヴェオリア公爵派になってくれたのは、偏にカートン伯爵のおかげだ。とザクリーム侯爵自身は伯爵に感謝をしていた。
それ故に、そんな立派な人物からの自分の同朋になるという申し出に、彼はただただ恐縮したのであった。
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