第六十四章 王太子の待ち伏せ
これは今からちょうど一年前、王太子がミラージュジュを探しているという事実を、レオナルドが知る直前の出来事です!
ヴェオリア公爵領の情報を外務大臣を通して宰相や王太子に上げたのは、北の隣国の外交官だった、まだ侯爵位に就く前のレオナルド=ザクリームだった。
外交官としてある国際会議に出席した時、たまたま隣りの席に座っていたのが南の隣国の代表で、その彼から思いがけない話を聞かされたのである。
ヴェオリア公爵家の領地の状態がかなり悪く、多くの農民が南の隣国へ難民として流れ込んでいると。
こちらは気の毒に思ってその民達を受け入れているが、貴国の防衛対策はあれで大丈夫なのかと、隣国に心配をされて情けない思いをした。
今まで南の国の外交官からそんな情報は一切上がってはいなかった。ああ、あそこの外交官はヴェオリア公爵家一派だったな、とレオナルドは頭を抱えた。
確かヴェオリア公爵のごり押しだったと外務大臣がぼやいていたが、補佐に別の派閥の者を付けていたはずなのに……
レオナルドは、その情報をすぐさま外務大臣に伝えた。するとそれは宰相へ伝わり、最終的には国王ではなくて王太子へと伝達され、ヴェオリア公爵領について迅速かつ秘密裏に大がかりな調査が入ったのだ…
するとヴェオリア公爵領はかなり酷い状態で、領民の生活はかなり逼迫していた。彼らが蜂起するのもそれほど時間は要しないかも知れないと思えるほどだったらしい。
しかも隣国との防衛は殆ど用をなさない体になっていて、領民が暴動を起こしたら、それにさえも対抗出来ないのではないかと思えるレベルだったという。
この時宰相は王太子にこう懇願したという。
「あそこまで酷い状態になっていては、防衛体制を再構築させるのは一朝一夕には無理です。
その場しのぎにかしかなりませんが、領民流失のお詫びと共に和平条約を守って頂けるようにリンゼーナ姫にお願いしてもらえませんか?」
リンゼーナ姫というのは、王太子の腹違いの姉、つまり王妃が生んだ第一王女の事で、南の隣国の王太子の元へ嫁ぎ、現在は王妃になっているのだ。
この姫は第二王女や王太子と共に王妃から直接に帝王学を学んだ、才女と名高い姫で、嫁いだ先でも国や民のためになる施策をしていて、とても人気が高いという。
❋ ❋ ❋ ❋ ❋ ❋ ❋
外交官として北の隣国に赴任していたレオナルド=ザクリームは、一年ほど前に宰相の命令でお忍びで一時帰国した事があった。
赴任先の隣国と密貿易や人身売買をしている自国関係者を洗い出す方法を話し合うためだった。
そしてそれは、やはりヴェオリア公爵一派が領地の秋祭りに出かけて、王都を留守にしているのを見計らっての帰郷だった。
レオナルドは地味な装いをし、目には『アイガラス』を付けて瞳の色の金色を消してグレーに変えて登城した。
そして真っ直ぐに宰相の執務室へ向かったのだが、なんとその途中で王太子と遭遇した。
王太子はレオナルドを見つけると、それはそれは嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。まるで離れ離れになっていた愛しい恋人にようやく会えたかのように。
レオナルドは身の危険を感じて離れようとしたが、王太子に抱きつかれてしまった。そしてその後王太子付きの近衛騎士に両腕を掴まれて、王太子の執務室へと連行されてしまった。
「会いたかったよ、レオナルド卿」
「ご無沙汰しております、殿下」
「今日は宰相に会いに来たんだよね?」
「左様でございます。ですからこちらにお邪魔している訳にはいかないのですが……」
「でも、約束の時間にはまだ間があるだろう? 君はいつでもかなり時間の余裕を持って行動するからね」
王太子はニッコリと微笑んだ。
彼はレオナルドの行動パターンを読んで待ち受けていたらしい。
何を企んでいるんだと若い外交官は訝しげに王太子を見た。
ただでさえ、第二王子との愛人契約問題に、今回の懸案である密貿易や人身売買の件を抱えていて、彼の許容範囲は限界点に達している。これ以上面倒事を持ち込まれてはたまったものではない。
とはいえ、優秀過ぎる若者には嫌でも察しがついていた。自分が先月に上げた報告に関する件についてだろうと。
案の定話はヴェオリア公爵家の領土に関する事だった。
「君から報告を受けて直ぐに調査をした結果、南方の国境の防衛と、ヴェオリア公爵領からの領民の流失問題はかなり酷い事態になっていた。
君以外に何故これ程の問題を俎上に載せる者がいなかったのかが不思議に思うほど……
もちろん領民の流失も大きな問題だが、防衛の方は早急な対策を取らないと、かなりまずい状態で国家的危機だ。
隣国とは長い間友好関係を築いてきたが、流石にいつでも攻め入って下さい!という状態を見せられ続ければ、いくら平和的な国民だって思うところがあるだろう?
しかも毎日のように逃げ込んで来る難民の悲惨な状況を見せられていたら…
いくら王妃となられた姉上が家臣や民に人気があるとは言え、いつまで抑えられるかはわからない」
微笑んでいた王太子の顔が急に厳しいものに変わった。
「国から騎士団を送り込んでも所詮一時凌ぎに過ぎないし、それを継続させる余裕はない。
と言うより、却って隣国との間に緊張状態を作ってしまう恐れがあるそんな命令を下せるわけがない。
かと言って他に妙案が見つからなくて困っている。
だから君に協力をしてもらいたい。この問題を解決する為の策を一緒に考えてはもらえないだろうか? 君が北の隣国問題で大変な事はわかっているのだが、南の問題も差し迫っているのだ」
「この国は満身創痍状態ですね」
レオナルドはそう皮肉った。
国王と王族と高位貴族達が阿呆だからこんな事になったんだ。長い事都合の悪い事から目を背けてきたからこそこうなったのだ。因果応報だ。それを早急に解決出来る訳がないじゃないか!
腹立たしいとレオナルドは思ったが、目の前の男と次に会う予定の男のせいではないし、彼らがこの国で孤軍奮闘している事はわかっていた。
そうは言っても今の自分は己の抱えている事案で手一杯なので、これ以上この件に関わる事は出来ない。
そこでせめて一つくらいはと思い、子供の頃から頭に描いてきた、机上の空論とも言えそうなある計画を提示してみた。
たかだか一貴族の息子である自分にとっては単なる理想論に過ぎない案でも、王太子ならやろうと思えば夢物語ではないだろう。
要はやる気の問題。どうしてもこの国を守る、この国を変えるという強い意志と、発想の転換が出来る柔軟な頭があれば実行は可能なはずだ。
「殿下のおっしゃる通り、私はこれ以上の案件に関わる余裕はありません。
ただ解決策だけをお望みならば一つくらいはご提示出来ます。ただしそれが実行可能かどうかは、申し訳ないですが私には判断しかねますが…
どうなさいますか?」
「是非聞かせてくれ」
そう王太子に懇願されたので、レオナルドは以前から考えていたプランについて話をした。
その話の途中で王太子は呆気に取られた顔をしていたが、一切口を開かずただじっとその話を聞いていた。
そして聞き終わると深いため息をついて、その後は腕組みをして天井を見上げて考え込んだ。
レオナルドは暫く王太子に付き合ってじっとしていたが、王太子の事務机の上に置かれている時計の針が、宰相との約束の時間に近付いてきた。
そこで、彼が腰を上げようとした瞬間に、王太子がようやく口を開いた。
「この案を一体いつ考えたんだい?」
「三、四年前ですかね… 学園に在学中の頃だったと思います」
「そんなに前からか…… もっと早く知りたかったよ。そうすればこんな最悪な状況に陥る事もなかったかも知れないね」
「そんな無茶な事を言わないで下さいよ。こんな計画が知られていたら、私は今頃国家転覆罪かなんかで牢屋の中だったでしょう。
川の中洲の土地を両国の共有財産にして、共同統治しようだなんて話……」
理不尽な事を言われてレオナルドは眉間にシワを寄せた。あの当時十五、六の自分が誰にあの案を提示出来たというのだ。
確かに当時、既に宰相閣下や外務大臣閣下に目をかけられてはいた。しかし、所詮自分はただの学生の身だったのに。
「すまない、わかっている。ただの八つ当たりだ。
確かに素晴らしい案だが、もしこれ程差し迫った状況に追い込まれなければ、多分私も二の足を踏んでいただろう。
突拍子もない常軌を逸した考え方だからな。
しかし、実際これくらいの対策をとらないと、南方の防衛は出来ないだろう。そしてヴェオリア公爵家を潰す事も・・・」
どうやら王太子はレオナルドの策を本気で採用する気になったらしい。
そしてレオナルドが示した解決策とは・・・・・
読んで下さってありがとうございました!




