第六十一章 抑えきれない嗚咽
この章は少し長めです!
「どうして旦那様とノアが、私が探していた親友なのだと誰も教えてくれなかったのですか?
私は屋敷の方々全員に、親友をずっと探している事をお伝えしていましたよね?」
輝く金髪に青い瞳の絶世の美少女と、銀髪に緑色の瞳の天使のような美少女。
今ではどなたかのご夫人になっているかもしれないけれど、二人ともとても頭が良くて上品で女神みたいに美しい女性になっていると思う。
だからそんな女性を見聞きしたら是非教えて欲しいと……
ミラージュジュは涙目でマーラを見た。自分が真剣に頼んでいるのをみんなもわかってくれていると思ったのに……
すると、マーラは少し困った顔をしてこう言った。
「どうしてとおっしゃられても、侍女の振りをしていたリリアナが男性だという事は以前からわかっていましたから、まさか奥様のお友達の女の子だとは思いもしませんでしたよ。
そもそも彼の本当の名前がノア……と知ったのは昨日だったんですよ? 奥様と一緒ではないですか。
それに、旦那様が子供の頃に女の子の振りをして奥様とお会いしていたなんて、先程パークスさんにお聞きするまで存じませんでしたよ」
「た、確かにノアの事はわからなかったのかもしれないけれど、旦那様の女装に気付かなかったなんて信じられないわ。
だってこの屋敷の人達は皆飛び抜けて優秀じゃないですか!」
するとマーラはニッコリと笑った。
「私どもが優秀だと思って頂けるなんて大変嬉しい事ですわ。使用人冥利に尽きます。
ですが今の布陣が出来上がったのは五、六年前なんですよ。旦那様とパークス様が一人一人選び抜いた者達なんです。
それに私は旦那様が例の監禁事件に遭った頃は二度目の産休に入っておりまして、侍女の仕事は休んでおりましたのよ。
そしてパークス様は以前は領地の方の管理をなさっていたので、王都の屋敷には滅多に来られませんでしたわ。
ですから、旦那様との関わりもそれ程なく、当然女装の事は知らなかった筈ですよ」
「それでは当時いたこの屋敷の執事や侍女長は・・・?」
「今、領地にいる執事と侍女長ですね。
レオナルド様があの事件後に一年間領地に軟禁されていた事はご存知ですか?」
「はい、先日旦那様のお友達からのお手紙で知りました」
「その軟禁時代に旦那様とパークス様は、このままではザクリーム侯爵家は衰退してしまう、改革しようとすっかり意気投合なさったようで、一年かけて計画を練って実行に移されたんです。その結果、現在のような優秀で信頼のおける使用人の集まりとなったのです」
「そ、それで以前いた使用人はどうなったのですか?」
侯爵夫人は恐る恐る尋ねた。すると侍女長は笑顔のまま答えた。
「問題があると分かった者達は当然解雇しました。侯爵家の情報をもらしたり、お金を使い込んだり、酒癖や女癖が悪い者だったり。
問題がなくとも役に立っていなかった者は、再教育を施して、ましになった者達は領地へ、侯爵家では使えないと判断された者には退職金と紹介状を渡して辞めてもらいました。
ですから今ここにいる使用人は旦那様とパークス様のお眼鏡にかなった者と、新しく他所からスカウトした者ですね」
「つまり、以前この屋敷にいた者達は、旦那様が女装して勝手に市井に出かけていた事に気付かなかったという事なのですか?」
「そうです。ここには王族からも宝玉と呼ばれているお子様が三人もいらしたというのに、以前のここの使用人達はそんな宝を守ろうとする気概が全くなかったという事ですよ。
まあ、使用人というよりも、そんな者達を雇っていた主の方にそもそも問題があったのだとは思うのですが。
侯爵家は国王陛下や宰相閣下からもあの事件後、その警備の不手際や認識不足を注意されたそうですよ。
それで前侯爵様は旦那様とパークス様の提案に従わざるを得なかったのでしょう。
そんな訳ですから奥様、現在この屋敷にいる主な使用人達は、旦那様が女装をなさっていた事を今日まで全く知りませんでした。
まあ、これからもパークス様と私だけしか知る事はないでしょうが。
旦那様の知られたくない過去をわざわざ使用人に話をする必要もございませんでしょ?」
「それはそうですね……」
マーラはそれから優しい笑顔でこう言った。
「騙されていた、嘘をつかれていたと奥様がショックを受けられたのは当然です。許せないと思う気持ちも理解出来ますよ。
ですが、あの旦那様の事ですからきっと訳があっての事でしょう。まずはとりあえず話だけは聞いて差し上げて下さいませ。
それと、旦那様が昔から現在までずっと奥様を大切に思っていらした事だけは間違いありません。それだけは信じてあげて下さいね」
優しく諭されて、ミラージュジュは素直に頷いたのだった。
そして夕方近くになってからレオナルドが妻の寝室に入ると、妻は薄暗くなった景色が見える窓の方に体を向けて横たわっていた。
「ジュジュ……」
「・・・・・」
「口を利きたくないほど怒っているんだね。当然だよ。君がレナをずっと探していると知りながら僕は正体を隠していたんだから。
本当にごめんね。
でも君と会えなくなる直前にね、本当の事を言おうと思っていたんだ。これは本当の事なんだ。
だけど領地に突然送られてしまって会いに行けなくなった。ごめん。
君と婚約してからは、それこそ手紙で本当の事を伝えれば良かったのだろう。でも、君に嫌われるのが怖くて書けなかった。
僕は本当に君が好きだったけれど、君が僕をどう思っているのかはわからなかった。だから文字だけで謝罪しても、その真意が伝わらず、取り返しのつかない事になるかもしれないと思うと怖かったんだ。
会ってちゃんと話をしたいと思っていた。その後の事は記憶を失くしてわからないけれど、恐らくあの契約話のせいで、その話をする余裕がなくなっていたんだと思う。
事故の後、僕は君に嫌われるような事ばかりしていた事を知ってショックだった。
だからこれ以上嫌われる要素になるレナの事を、君に話す勇気がどうしても持てなかったんだ…
でもまさかノアと同時にばれるとは思わなかった。君に酷いショックを与えてしまって本当に申し訳ない。
今すぐに許して欲しいとは言わない。何年でも許してくれるのを待つよ。
ただ申し訳ないけれど、絶対に君の事だけは手放せない」
「・・・・・」
レオナルドが部屋に入ってからミラージュジュは一言も喋らなかった。
今まで無視された事が一度もなかったレオナルドにはそれがとても堪えた。
しかし、そんな状態がたとえ何年続いても耐えてみせる、と彼は思った。
自分の周りには優しい二人の姉や使用人達がいたが、ミラージュジュには頼れる人が誰もいなかった。そしてたった一人きりでずっと親友を探し続けていたのだ。
もっと早く彼女に自分の正体を明かして、たとえ嫌われても側で寄り添っていれば良かった。
ツーンと鼻の奥が痛くなった。
その時、顔を背けたままミラージュジュが口を開いた。
「旦那様は文字だけでは気持ちが伝わらないかも知れないと思っていたんですね。でも、ちゃんと伝わっていましたよ。
いいえ、三年間のあの手紙のやり取りがあったからこそ、旦那様のお人柄が伝わって、この方となら幸せになれるかも…と思えたんです。
私、人から愛された事がなかったので、もし面と向かって愛を囁かれたとしても、容易には信じられなかったと思うのです」
「ジュジュ・・・」
「旦那様は覚えていらっしゃらないでしょうが、結婚式の夜に白い結婚の話を聞かされて私は泣いたんです。
私はそれまで人前で泣いた事なんてなかったのに」
「ごめん、ごめん、ジュジュ……
僕は君にどう償えばいいんだ……」
「泣いた時に初めて気付いたんです。私は旦那様を好きになっていたんだって。そしてそれに気付かなければ良かったって思ったんです」
「うっ!」
レオナルドは両手で口元を塞いだが嗚咽を抑え切れなかった。
恐らく初夜の時の自分は、ミラージュジュに思われているとは夢にも思っていなかったのだろう。
だからまだ偽りの結婚の方がまだ彼女を傷付けないと思ったのだろう。しかしそれは間違いだったのだ。
彼女の気持ちを勝手に忖度して、ただ彼女を苦しめてしまったのだ。
「でも、もういいんです。
一緒に暮らしていくうちに旦那様を好きだという気持ちが段々と大きくなって、それをどうしても止められなくて苦しかった。
けれど、あの事故の後、旦那様の本当の気持ちがわかったから……
旦那様が私を愛してくれていたとわかったから、私はもうそれだけで十分幸せなんです。だから過去の事はもういいんです」
ミラージュジュが体の向きを変え、レオナルドを見た。彼女は優しい顔で微笑んでいた。
レオナルドが夢中で妻を抱きしめると、彼女のくぐもった声が聞こえた。
「大切な親友が突然姿を消して、私は彼女の身が心配で堪らなかった。
でも、好きな人と結ばれて幸せになっていたみたいで良かった……」
「ジュジュ、君を愛してる。君と結婚が出来て僕は世界一の幸せ者だよ」
レオナルドは涙をこぼしながらそう言った。
読んで下さってありがとうございました!
夫の妻への謝罪というか説明は、次章にも続きます!




