第六章 派閥問題
定番のお馬鹿な王子が出てきます
「やあ、レオ、久し振り。何故結婚式に招待してくれなかったんだい?」
突然後ろから声をかけられ、ザクリーム侯爵夫妻が振り返ると、そこには第二王子のアダムスが立っていた。妻は慌てる事もなく恭しく頭を下げ、軽く挨拶をした。正式なものは既に終えていたからである。
「これはこれはアダムス殿下。今更ですね。我が家の結婚式は身内だけで質素に行うことが慣例な事はご存知ですよね」
「しかし君と僕の仲で、それは水臭いのではないか? 生徒会活動を共にした仲ではないか。それに細君とも知らぬ仲ではないし……」
殿下に対する雑な言葉使いに妻は一瞬驚いたが、ああ、同じ生徒会役員として苦労を共にしたからか、そう一瞬理解しかけた。しかしそんな筈はないわよね、とすぐに思い直した。
「私には殿下とはそう親しかったとは思えないのですが。殿下はほとんど生徒会室にはいらっしゃらなかったではないですか。他に大切な用事があられて」
ハッキリと皮肉を言う夫に妻は驚きながらも扇で口元を隠し、これからのやり取りで粗相をしないように身構えた。
それにしても、第二王子殿下は最初から生徒会活動をしていなかったのかと、ミラージュジュは思わず納得してしまった。
というのも、彼女が学園に入学して間もなく、生徒会副会長に手伝いを頼まれた経緯があるからだ。
つまり当時三年生で生徒会長だったアダムス殿下が、仕事を全くしなかったために人手が足りず、成績上位者だったミラージュジュが手伝いに駆り出されていたのだった。
殿下の前の会長だったのがレオナルドだったので、彼もまた後輩の殿下に面倒をかけられていたというわけだ。
妙な所で夫と繋がっていた事実に、妻は嬉しく思った。
しかし実際のところは、そんな風に感心してはいられないくらい甚大な被害を殿下から被っていた事を、後で思い知る事になるのだが……
「学園時代は確かに迷惑をかけたが、その詫びはちゃんとしただろう?
君を僕の側近に迎えてやったし、僕の派閥に入れたおかげでこうしてこんな才色兼備の細君を得られたのだから」
殿下は小声でそう夫の耳元で囁いたが、耳のいい妻にはそれが聞こえていた。と同時に夫がとても王族に向けて良いものではないくらい、激しい憤怒の表情で睨み付けた瞬間を目にした。普段喜怒哀楽を表に出さないレオナルドにしては珍しかった。
「殿下、前々から一度ハッキリさせて置きたいと思っていましたが、
私はどの派閥にも属していませんし、先代とは違い中立の立場です。
それに、妻と知り合ったのは学園入学以前ですから、殿下とは関係ありませんよ」
その言葉に殿下だけでなく妻も驚いた。
ザクリーム侯爵家は先代までミラージュジュの実家と同じ保守伝統派であった。つまり、第二王子を担ぎ上げている連中だ。
しかし三か月前に代替わりしてからは、夫がそこから抜けた事を義姉達から聞いていた。
姉二人の嫁ぎ先はどちらも革新派の王太子と懇意にしていたので、義兄達からは自分達の陣営に入るように勧誘されていた。
そんな事情があったので、レオナルドが侯爵になった時、自分は破談されるのではないかとミラージュジュは不安になっていた。それ故に無事に結婚式を挙げられた時にはホッとし、嬉しかったのだが・・・
今思えば、どうせお飾りの妻が必要だったから、派閥などどこでも構わなかったのだろうか。そしてもう派閥から抜けて何のメリットもなくなったから、実家を潰してやろうなどと言ったのだろうか。
しかし、私を知ったのが三年前よりもっと遡ると言った事には驚いた。でまかせ? でももしそれが本当だったら、それはいつだったのだろうか……?
「なんだと、君は私を裏切る気か?」
王子は酷く慌てたように言った。すると侯爵はいつもの無表情な顔で言った。
「殿下、声を抑えて下さい。周りに聞こえて困るのはどちらかおわかりになりますよね? ご安心下さい。なにも私は革新派につくという訳でもありませんし、貴方を裏切るつもりもありません」
侯爵の言葉に王子は一瞬ホッとしかけたが、今度は耳元でこう囁かれて青褪めた。
「ただし、そろそろ例の問題を解決して頂かないと、私もどう動くか保証できませんよ。
こちらも困っているのですよ。私ももう独り身ではないので。
それに私の妻は貴方の妻である妃殿下とは懇意にしていますしね」
夫の声は妻には聞こえなかった。夫は王子から少し距離をとった後で妻を見て、態とらしい笑顔を見せた。それから、振り向いて、一段高い王族の席の方をチラッと見た。
するとアダムス殿下の顔色は更に悪くなった。
しかしそんな王子に構う事なく、若き侯爵は新妻をエスコートし直して再び歩き出した。
「ねぇ、君はまだ王子妃殿下と親しくしているの?」
「親しいというほどではありません。ただお手紙のやり取りをしていただけです。
私は一年生の時に一緒に生徒会活動のお手伝いをしただけですから。
でも、結婚の際にはお祝いを頂きました。その事は執事のパークスさんには伝えておきましたが……」
「そうか…君が卒業した事でこれからは誘いやすくなるから、今後お茶会やら舞踏会やらの招待状が来るかもしれないな」
「先程のお話から鑑みますと、ええと……接触は断った方がよろしいのでしょうか?」
「君はどうしたいんだ?」
そう問われてミラージュジュは困惑した。
第二王子妃のマリアはスチュワート公爵家の出で、彼女の父親は保守伝統派の実質頂点に立つ実力者だ。つまり、アダムス王子はただのお飾りなのだ。
彼は第二王子だが、隣国の末姫であった王妃が生んだ息子だったので、彼を王太子に推す声もあった。しかし、四歳上の第一王子は側妃が生んだ子ではあったが、大変優秀だった上に人望もあったので、あっさりと王太子に決まってしまった。
すると、どうしても王太子妃の父親であるもう一つの公爵家の方が力をつけてくる。そしてそちらを主に革新派が支持するようになったのだ。
こうして二大勢力が出来上がったのだが、ミラージュジュの父親やレオナルドの父親も保守的な考えの持ち主だったため、第二王子の側についたのだ。
第二王子妃殿下は学園時代の二学年上の先輩で、当時は既に王子の婚約者だった。そして生徒会の副会長で、ミラージュジュに手伝いを頼んできた人物だった。
生徒会長だった第二王子が全く仕事をしなかったので人手が足りず、副会長であるマリア公爵令嬢は他の役員と共に悪戦苦闘していたのだ。
ミラージュジュはまだ一年生だったので、大した事が出来た訳ではなかったのだが、空気を読むのが上手く、その上手早く雑用をこなしたので、生徒会役員からは可愛がられたのであった。
それまでは家では要らぬ者、邪魔者扱いされていた彼女は、生徒会の手伝いをして、それを認められる事は嬉しい事だった。
しかし、マリアとアダムスの橋渡しをさせられるのは本当に嫌だった。なにせアダムス王子は婚約者である公爵令嬢がいながら、男爵令嬢と浮気をしていたのだから。
そんなドロドロした関係を見せられるのはたまったものではなかった。
断りたかったが、断れなかった。マリアは逆らうと本当に怖い女性だったからだ。懐に入り込めば可愛がられるが、敵と見做されたらどんな目に遭わされるかわからない。
ただ一生懸命に勉強したその結果、マリアに目をつけられるだなんて。しかも、父親が第二王子派だったせいで目をつけられたのかと思うと、その理不尽さにミラージュジュはどうしようもない怒りを覚えた。
生徒会を通じて知り合いになった友人達からは一年間だけの辛抱だからと慰められた。しかし、そんな簡単な問題ではなかった。
彼女は好成績を残して、女性官吏になって家から独立しようと思っていたのだ。
それなのに、たとえその夢が叶ったとしても、マリアの配下に配属されてしまうのは目に見えている。実際に彼女にそう言われたのだから。
「ご両親もきっと貴女を見直してくれるわ」
冗談ではない。王家や国政の勢力争いに巻き込まれるなんて絶対に嫌だ。そして両親に利用されるのもまっぴらごめんだ。自分の一番叶えたい願いはあの家と縁を切る事なのだから。
自分の計画を壊す原因を作った第二王子とその運命の恋人、そして婚約者・・・この三人が、ミラージュジュはずっと憎かった。関わりたくなかった。
夫がその派閥を抜けているのなら、本当は付き合いたくはない。しかし・・・
「正直あまり関わりたくはありませんが、それが妻としての義務なのでしたらその役目を果たす覚悟はあります。旦那様の指示に従います」
ミラージュジュは正直にこう答えたのだった。
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