第五十六章 ノアの両親
この章だけで一つの短編になりそうな話だと思います!
エメランダは侯爵令嬢の侍女として王城のパーティーなどに付き添っているうちに、こともあろうか国王に目を付けられてしまったのだ。
弟に続いて今度はその兄である。エメランダは心底嫌気がさした。しかも、こちらは弟よりもっと始末が悪い。
婿入りする予定の弟はさすがに好き勝手は許されなかったが、兄の方は国王だ。
王妃の他に何人側室を持とうが、愛人を作ろうが知った事ではないのだ。
しかも、エメランダの主人である侯爵家はいずれ王弟を婿にして王族とは親戚関係になるのだ。
それ故にエメランダは国王からの誘いを無下にする事が出来なかった。
やはり貴族の家などに奉公するべきではなかったと、彼女は酷く後悔した。
エメランダは国王に対して、自分は一人娘であり、父親の商売を手伝わなければならない身だという事を必死に訴えた。
しかし、国王から返ってきた言葉は頓珍漢なものだった。
親孝行でなんて優しい娘なのだろう。私が父親の後ろ盾になってやれば、さぞかし商売は繁盛する事だろうと。
しかしエメランダの家は商会でも大商人でもない、ただのこじんまりとした小商いなのだ。
王家の後ろ盾なんていらないし、却って邪魔でしかない。
その上案の定、国王の腰巾着である貴族連中が脅してきた。国王の言う事をきかないと父親の商売を潰すと。
そう言われてエメランダに逆らう術があっただろうか。
国王はエメランダを溺愛した。そして王宮内で、自分はようやく『真実の愛』を見つけたと宣った。
王妃も側妃も政略結婚だった国王にとって、エメランダは初めて自分が愛し、選んだ女性だったのだ。
十歳も年下で儚げで守ってあげたくなるような可憐で美しい娘・・・
それは夢中にもなるだろう。
しかしあいにくエメランダは、見た目は儚げで大人しそうだったが、実際の性格は違う。曲がった事が大嫌いで、はいはいと素直に人の言いなりになる娘ではなかった。
エメランダは嫌な事は嫌だとはっきり国王の前でも主張した。
ところがこれが却って国王に気に入られ、ますます溺愛されるようになった。
そうなると、最初はエメランダを使って国王に取り入ろうとしたヴェオリア公爵一派は非常に焦った。
彼女が自分達の意に沿わないどころか、側妃である娘の地位まで危うくする存在に成りつつある事に気付いたからだ。
それからというもの、側妃を始めとするヴェオリア公爵一派の陰湿な苛めが始まった。
ところがエメランダは全くへこたれない。元々美人過ぎる彼女は女性から妬みを買う事が多く、慣れたものだった。
しかし彼女が妊娠すると、それらの嫌がらせは苛めの範疇を越えて身の危険を感じるまでになり、さすがに彼女も恐怖を覚えた。
そんな彼女に救いの手を差し伸べてくれたのは王妃だった。
王妃は彼女の一番信頼出来る護衛騎士をエメランダに付けてくれたのだ。もちろん陰から見守る形で……
エメランダはようやく一安心する事が出来た。
彼女は最初に陛下に身の危険を訴えたが、彼女に付けてくれた護衛はヴェオリア公爵一派の騎士だった。
彼らは平民のエメランダをいつも見下し、ぞんざいに扱うような騎士どもだった。
彼女はこの時点で国王を見限った。
この男は何も見えていない。
そもそも自分の立場がわかっていたら、国の勢力図が頭に入っていたら、ヴェオリア公爵一派を愛人の護衛にする筈がないのだ。やつらは彼女とお腹の子供の命を狙っているのだから。
しかも何ということか、国王はエメランダを苛めて危険な目に合わせているのが王妃だと言い始めた。
いくら王妃殿下は優しくして下さる、もっとも信用出来る方だと訴えても国王は耳を貸さない。
国王はすっかり側妃の甘言に惑わされていた。
エメランダのお腹にいるのは、決して彼女が望んで出来た子供ではない。国王に強姦されて身籠ったようなものなのだから。
しかしそれでも自分の子供だ。自分が守らなくてはいけない。自分で生んで自分の手で育てる。
こんな鬼畜野郎どもの中で子供を生みたくはない。いつかきっと側妃やヴェオリア公爵一派に殺されてしまうだろう。
これまでも王妃殿下にはさんざん迷惑をかけてきた。そしてこんなお願いをしたらあの方の立場を更に悪くしてしまう。
それがわかっていてもエメランダは王妃に縋って嘆願してしまった。城から逃して欲しいと。
王妃はエメランダを抱きしめて泣いてくれた。陛下の暴走を止められずにごめんなさい。貴女を守り切れなくてごめんなさいと……
「本当は貴女の生んだ赤ちゃんをこの手で抱きたかったわ。きっと可愛らしいお子でしょう。
でも、貴女の言う通りこの城にいては危険だわ。でも、城から逃げても追っ手が来ると思うわ。陛下とヴェオリア公爵一派と両方から。どうするつもり?」
「私は元々市井育ちです。いくらでも逃げ回ってやります。この国の騎士なんて、所詮苦労知らず、世間知らずで、王都の裏通りのそのまた裏にまでは入って来れませんよ。
それに、三ヶ月前に、父親が流行り病で亡くなったとトーマス卿から教えて頂きました。陛下は隠していましたが…
私にはもう恐れるものはありません」
「そうね。でもお腹に子供がいる状態で無理は出来ないでしょう?
トーマスを護衛に付けるから、絶対に無事に赤ちゃんを産んでね」
「ありがとうございます、王妃様。このご恩は決して忘れません」
こうしてエメランダは、安定期に入るとすぐにトーマス=カートンの協力を得て、城から無事に脱出したのだった。
その後エメランダは、王都の裏通りの安アパートにトーマスと共に夫婦として移り住んだ。
エメランダは金色の髪をブルネットに染め、妊娠を隠すために全身を太ったように装った。
そしてエメランダが反王政派の知人から内職の仕事を紹介してもらった。
トーマスは茶色の髪を薄茶色に染め、クロブチ眼鏡をかけた。そしてとある商会で帳簿付けの仕事に就いた。
半年間トーマスとエメランダは夫婦としてそのアパートで暮らした。
二人は『トムさん』『エダ』と呼び合った。
それは想像していたものとは違う、平和で穏やかで暖かな生活だった。
お互いを思いやり、ねぎらい、助け合いながら、子供の誕生を心待ちにしていた。
❋ ❋ ❋ ❋ ❋ ❋ ❋
「私はそのうち、このままエメランダ様とノアさまをお守りして過ごすのも悪くない、と思うようになっていました。
烏滸がましいのですがお二人と家族になって、貧しくても力を合わせて平民として生きていくのも幸せではないかと。
しかし、ノアさまが生まれて一月後、仕事から私が戻ると部屋にお二人の姿はありませんでした。
残されたメモには、感謝の言葉と、子供と二人で幸せに生きて行きます、と書いてありました。
一月以上探し回りましたが、結局お二人を見つける事は出来ませんでした。
私が邪な思いを抱いたために彼女は逃げ出したのでしょう。
彼女を守ると約束しながら、私のやった事は陛下と変わりがなかったという事ですから」
トーマスがこう話し終えた瞬間に、客室の廊下ではなく繋ぎ部屋のドアが勢いよく開いて、ノアが飛び込んで来て叫んだ。
「違う! 母さんはトムさんを愛してたんだ! だから自ら身を引いたんだ! 自分達が側にいたら、トムさんの本来のお役目である、王妃殿下のお守りが出来なくなってしまうからって・・・」
「「「・・・・・・」」」
ノアはトーマスの前で跪くと、彼の両手を取って自分の額に付けた。そして震える声でこう言った。
「父さん、お会いしたかったです。ずっとずっとお会いしたかったのです。
まさか、貴方が母がいつも話していた『トムさん』だったなんて・・・」
ノアの後から部屋に入って来たミラージュジュが腰を落とし、ノアの背後から優しく彼女(彼)を抱き締めたのだった。
国王からの視点は第四十一、二章で既に書いています。
読んで下さってありがとうございました!




