第五十一章 分水嶺
この話もようやく山場に向かっています。
ようやくトムさんが再登場します。
覚えていらっしゃるでしょうか?
「君があの事件及び、保守派一派の糾明を急いだのは、早く初恋の少女、つまり現在の奥方に会いに行きたかったからなのだろう?
しかし結局はあの事件のせいで、君は奥方に会えなくなってしまったんだろう?」
レオナルドが少女と会えなくなってしまったという、のっぴきならない事情はこれなのだろうと、宰相が言った。
「どう言う事ですか?」
自分の知らないところでこの恩のある友人にさらなる迷惑をかけていたのか…? ケイシーが顔を青くした。
それに気が付いたレオナルドは苦虫を噛み潰したような顔をしてこう言った。
「ケイシー、君のせいじゃないよ。
ただ私の両親が、あの事件でようやく自分達が危機管理能力に欠けていた事に気付いてね、私を監禁? いや監視するようになったんだよ。しかも、王都から遠く離れた領地で。
ああ、両親が今いる所だね。
その事は君も知っているだろう? あの時期は君とも手紙のやり取りしか出来なかったのだから。
まあ、学園に入学するまでの一年だけだったが、私にとっては拷問のような長い時間だったよ。
彼女に何も告げられずに突然消えたようなものだったからね。
本当はあの事件の直前に自分の正体を明かそうと思っていたんだ。ちょっと訳ありで偽名を使っていたから。
それなのにそれが出来なくなってしまったんだ。妻はかなり僕を心配して探しまわったと後で聞いて、申し訳なくて胸が抉られるように苦しくなったよ。
それに一歩間違っていたら、妻を他人に奪われる所だったと知らされて……」
「まあ、ご両親のお気持ちも分からないでもありませんよ。
レオナルド様は万人受けどころか、黄金マニア達には垂涎もののお宝でしたから。それに気付かれたらそりゃご心配されるでしょう。たったお一人の跡継ぎなのですから」
「まあ、監禁騒ぎが起きるまでそれに気付かない鈍さには呆れるがね。
彼らは視野が狭いというか、自分達の見たいものしか見なかった。
子供や領民達はたまったものではなかったよね。まあ、ケイシー君の両親ほどじゃなかったが・・・
今更だが反面教師だったのかね、彼らは…… となると、少しは子供の役に立ったのかな…」
宰相閣下のこの呟きに、二人の若者は同時にこう言った。
「「役になんか立っていません。彼らは害悪そのものです!」」
と・・・・・
「あの当時、私が貴方にとってもっと信頼に値する人間でしたら、お役に立てたでしょうに……残念です」
本当に悔しげにこう言ったケイシーに、レオナルドは困った顔をして言った。
「僕はたとえどんなに信頼している人物だろうと、男性には伝言を頼まなかったと思うよ。
だって、その者に彼女を奪われてしまうかも知らないじゃないか。彼女はとても素敵で魅力的なんだから。
僕はそんな墓穴を掘るような真似しない」
「「・・・・・・・」」
「ライスリード家に手紙を出しても彼女の手に届くとは思えなかったし、彼女以外の者に読まれてしまう恐れもあるからそれが出来なかった。
姉達は彼女に連絡をとってくれようとしたが、私同様に監視の目がさらに厳しくなってそれが出来なかったようです」
「それは辛かったね。
でも本当に王太子殿下に奪われなくて良かったよ。もし君の奥方が殿下の側妃にでもなっていたら、この国の未来はなかっただろうからね」
「どう言う事ですか?」
宰相の深いため息に、王太子殿下の初恋云々の話を聞いていなかったケイシーは、ギョッとして尋ねた。
「詳しくは言えないがね、王太子殿下も昔、レオナルド君の細君に関心を持たれていたんだよ。
そう、あの事件の後くらいにね。
もし、細君が・・・
レオナルド君が失恋していたら、多分、こうして彼はここで仕事をしていなかったと思うよ。
だって嫌だろう? 王城勤めしていたら、いつ鉢合わせするか分からないんだから。想い人や憎い男に…」
「あ…… 確かにそれは嫌ですね。
多分、外務大臣の側について、一生他国へ行きっぱなしになっていたかも知れませんね」
ケイシーはこのわずかな時間で、レオナルドの見方をガラリと変えていた。
冷静沈着クールガイだと思っていた友人は、真逆の熱い奴で、しかも一途で重い、重過ぎる男だった。
「折を見て私が王太子殿下に話して置くよ。少女は見つかったがもう結婚していると。
幸せに暮らしていて波風は立てたくはないから、彼女の素性は教えられないとね」
「よろしくお願いします」
宰相に頭を下げてからレオナルドはこう話を変えた。
「馬車の事件の主犯が誰かはまだはっきりとはしていないのですが、私は王妃殿下では無いと思っています。
しかし、隣国への亡命ルートに関しては王妃殿下が関係しているのは間違い無いと確信しています。
私が王妃殿下にお会いする事は可能でしょうか?」
「伺っておくよ」
宰相が頷いた。
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そして、昨日あの国王陛下の懺悔を聞かされた後で、レオナルドは宰相からこう言われたのだった。
「君の所に王城勤務の護衛がお世話になっているんだって?
まずはその者に尋ねて欲しい、との事だよ。そしてその後、彼を引き渡してくれたら直に会って下さるそうだ」
「そうですか…
わかりました。ありがとうございます」
レオナルドは宰相に礼を言った。
宰相はトムについて問うてはこなかった事を考えると、閣下はトムを知っているのだろうと若き侯爵は解釈したのだった。
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国王陛下から話を聞いた翌日、朝食を終えたレオナルドは妻と執事、そし護衛三人を連れて屋敷の西側にあるヴィラへ向かった。
扉を開けてヴィラの中に入ると、そこにはさらに鉄格子があって玄関フロアと室内とに分けられていた。
そしてその中には、両足に鉄球の付いた足枷を嵌めた五十前後と思われる男が椅子に座っていた。
白髪が交じる茶色の髪と髭はかなり伸びていたが、それはきちんと手入れがされ、身支度もきちんとしていた。
両手が自由になるとはいえ、監禁されて動きが制限されているのに、きちんと身繕いを済ませているのは、きっと育ちが良いのだろう。
トムは侯爵夫妻を見るとスッと立ち上がって頭を下げた。
「やあ、久しぶりだね、トム?」
「侯爵様のお身体のお具合はいかがでしょうか?」
「身体の方はすっかり元通りなんだけどね・・・
僕より君の方は大丈夫なのかい?
足を骨折しているのに足枷なんか付けて悪かったね。でもそうでもしないと、君に逃走されてしまうのでね」
「足の方は大分良くなっています。こんな私に医師まで付けて下さった事を感謝しています」
トムはずっと頭を下げたままで言った。
「礼なら妻に言ってくれたまえ」
「奥様ありがとうございます」
「いいえ。怪我をした人に治療を施すのは当然の事です。でも、早くお話をして頂ければ、早くここから出して差し上げられたのに…」
ミラージュジュは眉を顰めて言った。
心優しい彼女にとって、主を庇って怪我をした人間に足枷をして監禁するなんて事は、寧ろ自分が拷問されているようなものだった。
しかし、侯爵夫人として、彼女は心を鬼にしてそれを指示しなければならなかった。
夫のレオナルドもそれを十分わかっていたが、今ようやくこの国を変えられるチャンスが訪れたのだ。妻には申し訳ないと思いつつも、その機を逃す訳にはいかなかったのだ。
「それは仕方ないよ。彼は主のためなら死んでもいいと思っているのだからね。ねぇ、トム?」
「・・・・・」
「でもね、僕の妻への想いはそれ以上なんだよ。これ以上妻を苦しめるのは許さないよ。
だから、もう全てを話してね。それにこれが君のご主人の命令でもあるんだから」
侯爵の言葉にトムは目を見開いて目の前の若者の顔を見た。
すると、先程まで穏やかだった金色の瞳が、凍り付くほど冷たい光を放ちながら彼を見つめていた。
まるで息子のような年齢の若者の目に、百戦錬磨の男はゾクッと身震いをした。
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