第四章 衣装合わせ
この章はちょっと長めの話です。
タイトルにあるドレスの話が出てきます。
結婚初日は泣いてしまった。不幸のどん底に落とされた気分だった。しかし翌日からは彼女はもう不幸ではなかった。
そして一月ちょっと経った今はとても幸せだ。
夫からは愛されてはいないのだろうが、嫌われてもいないと思う。人目のない屋敷の中でさえ、彼はちゃんと正妻としての対応をしてくれているのだから。
レオナルドとの婚約が決まった時、自分達のおかげで侯爵家に嫁げるのだから、伯爵家の為に恩を返せと両親に言われた時、ミラージュジュは声に出して笑ってしまった。
淑女教育どころか、真っ当な人としての家庭教育も施されなかったのだから、本来なら自分は貴族どころか、商家にだって嫁にはもらってもらえなかっただろう。
三年前、侯爵家との縁談が持ち上がって、初めて娘にマナーとダンス教師を付け、最低限のドレスを与えただけのくせに。
ミラージュジュが淑女としてのマナーや最低限の教養、そして手芸などを身に付けられたのは、学園に入ってから授業と自主練で彼女が死にものぐるいで努力した結果だ。
そしてその学園だって独学で合格をもぎ取り、奨学金を貰って卒業した。家から仕送りなど一切受けてはいなかった。
アンジェラ先生の言っていた通りだ。努力すれば多少なりと人生は変えられるのだ。
努力もせずにただ嘆いて何もせずにいたら、きっと今の自分はないとミラージュジュは恩師に感謝している。
あのままマナーも教養も何もない娘のままだったら、こんなに立派な侯爵家に嫁げる筈がなかったのだから。
たとえ今はお飾りの妻だろうと、努力さえ続けていれば人脈が出来て、たとえ離縁されたとしても、侍女とか家庭教師の口が見つかるもしれない。
まあ、それが無理でもお針子か売り子として働けるのではないだろうか。手先仕事は得意だし、一応金計算は出来るので。
そしていつか、子供の頃行方不明になってしまった親友の女の子二人を探したい、そうミラージュジュは思っている。
彼女には、一番辛かった時に支えくれた大切な友人が二人いるのだ。しかし今は彼女達がどこでどうしているのかわからないのだ。いつも彼女達の事を思うと胸が痛い。
二人だって辛い状況だった筈なのに、いつも自分を励ましてくれた。それなのに自分は彼女達に何一つ出来なかった。
そうよ。今自分は以前よりずっと恵まれた環境にいるのだ。もっともっと努力をして力をつけておこう。そしていつかまた二人に出会えた時には、今度こそ彼女達の力になれるような強い人間になっていたい。もっと頑張らなくては……
そんな希望を抱いて幸せな気分でいたミラージュジュに、侍女頭のマーラと専属侍女のナラエが、まるで不幸な人でも見るような目で見たのは、夜会へ行く時の衣装合わせの時だった。
彼女はデビュタントの白いドレス以外にパーティー用のドレスを持っていなかった。だから実家から持ってきたのは普段着のドレスだけ。しかも彼女には全く似合っていない安物ばかりだった。
そんな物しか娘に準備出来ないのかと、自分達が笑われる事にさえ気付かない非常識な両親であった。
結婚式の前、侯爵家に届いた荷物を整理していた侍女達はその劣悪な品々に大分驚いたようだ。特に衣装には。
新しい女主が実家でどんな扱いを受けてきたのかを察して、彼女達はミラージュジュに同情してくれていたらしい。なにせ嫁ぎ先の夫も大概だったので余計に。
つまり、最初からこの屋敷の者達が皆優しく親切だったのは、どうもミラージュジュを憐れに思っていたせいらしい。
普通使用人に憐れまれるなんて女主として矜持が許さない、と貴族の女性ならそう思うだろう。
しかし、実家では使用人からさえ蔑ろにされてきた彼女にとって、同情だろうがなんだろうが人から情というのを向けられる事は、それだけでとても嬉しい事だった。
しかし、衣装合わせのこの場で侍女達に何故自分が憐れまれるのか、それはミラージュジュにもわからなかった。
彼女が今着せられているドレスは、今まで見たことのない豪華で高級感溢れる濃紺のドレスだった。
まるであつらえたかのようにミラージュジュにピッタリで、直しもいらないように見えた。
こんなに立派なドレスを着られるなんて夢のよう。これなら見かけだけでも侯爵夫人に見えるのではないかしら・・・
彼女はなるべく顔には表さないように努めたが、内心とてもウキウキして嬉しかった。
しかしそんな女主人を、普段鉄仮面の如く表情を出さない侍女頭のマーラが、眉間に少し眉を寄せた。
そしてナラエの方は、ハッキリ腹立たしく思っているのが明らかだったので、ミラージュジュは戸惑った。
自分は無意識にとんでもない事をしてしまったのかと。
「奥様はこのドレスを気に入られたのですか?」
「えっ? ええ…… だって上品で、それでいて豪華で、とても素晴らしいと思うのですが。私には分不相応でしょうか?」
「滅相もございません。そういう事ではございません。これが、もし奥様の為に作られたドレスなら、なんの問題もありません」
「マーラ様、そこも問題ですよ。これって五年以上も前の型が古いドレスですよね? 私がこちらで勤め始めた時にはもう、ドレッサーの中にございましたよ」
「でも、フォーマルドレスなら、それほど流行は関係ありませんよね? 問題はないのでは?」
「奥様、これは別にフォーマルという訳ではありません。それなのにこんなハイネック、時代錯誤も甚だしいです。冬ならともかく」
「そうなの?」
「それにこれは大奥様がお嬢様のために仕立てられた物です。もっともお嬢様方は一度も袖を通されませんでしたが」
「ファッションリーダーでいらしたあのお嬢様方が着る訳がありませんよ、こんなオーソドックスなシンプルドレスを。よくこんな無駄な事をしましたね」
ナラエの言葉にミラージュジュは正直驚いた。きちんと躾られているこの侯爵家の侍女が、かつての女主を批判するなんて。しかも、それを侍女頭が注意もしないなんて。
「あの方の事ですもの。着ないとわかっていて毎年わざわざ作られたのですよ。
でも、もったいないからって、それを嫁に着せるように命じられた事には正直呆れますけどね」
マーラがため息をついた。
そうか……なんとなく義母と義姉達の関係性が見えてきた、とミラージュジュは思った。
あの芯が強そうで厳格そうな貴婦人と、自由奔放で我が道を行く淑女達のバトル。それは、どうやら義姉達が勝利したようだ。凄い。
正直羨ましいと彼女は思った。自分は、ただ夫に言いなりなだけのあの母にさえ逆らえなかったというのに。
「でも何故旦那様はそれに従ったのですか? 以前ならともかく、跡目を継がれてからは大奥様の事は無視されて、自分のお好きにされていますよね?」
「お好き?」
思わずミラージュジュは疑問を口に出してしまった。
「それは『西のアノ方』の事に関しての事です。
以前は母親に逆らった事もないのに、今では愛する女性の為に我を通されているのですから」
「余計な事を言ってはいけません」
「でも、あちらには不必要なドレスを山程お作りになっているのに、奥様にはお古なんてあんまりじゃないですか」
「ナラエ!!」
ナラエが怒ってくれるのはありがたいのだが、ミラージュジュにはこの事は当然な事のように思えた。
愛する女性を日陰の身にしてしまっているのだから、申し訳なくて、出来るだけの事をしてやりたいと思うのは普通じゃないかと。
とは言えいくら侯爵家とはいえども、浪費ばかりはしていられない。どこかで節約しなければ。
そう考えると、ただのお飾りで役立たずの正妻の分を削ろうと思っても仕方のない事だ。
その上、元々新品同様のドレスがたくさんあるのだから、それを活用しようと考えるのは至極当然だ。
「この服は私が自由にしていいのかしら?」
「もちろんでございます」
「そうですか。ではもう日にちがあまりないので、今回は今着ているこのドレスにしようと思います。サイズにも問題がないようなので。
そして残りのドレスはせっかく上等なのだから、次回に備えて今風に少しだけリメイクしたらどうでしょう?」
「リメイクですか?」
ナラエが目を丸くした。
「ナラエさんなら、とてもセンスがいいから、とびきりのアイデアを出してもらえると思うのですが……」
「私が考えても宜しいのですか?」
「ええ。是非お任せしたいわ。でも、実際に手直ししてくれるお店はあるかしら?」
「それは大丈夫です。手直し専門店がございますから」
ナラエは喜々としてそう言った。これで当分パーティーで着るドレスには困らないだろうと、ミラージュジュはホッとした。
その後は服に合わせたヘアスタイルや化粧を決めた。ただ靴だけはお下がりという訳にはいかなかったので、明日買いに行く事になった。
そして最後に、マーラから宝石箱を手渡された。
「これは旦那様から奥様への贈り物です。大奥様からのお譲り物ではなくて、旦那様自らお買い求めた品々です」
夫が買ったというアクセサリーを見て、妻は驚いて声が出なかった。
大粒真珠のネックレスとイヤリング、ルビーのネックレスとイヤリング、金のスクリューネックレスと金のイヤリング・・・
彼女は嬉しいというよりも困惑した。何故夫がお飾りの妻にこんな素敵なアクセサリーを贈ってくれるのだろう? 誕生日でもないのに?
これらは正妻への罪滅ぼしのつもりなのだろうか?
それにしても、真珠やルビーはともかく、金はちょっと・・・
お飾りの妻なのに夫の色のアクセサリーを付けるのはイタ過ぎる……
読んで下さってありがうございました。
活動報告の予告を読んで、この小説を楽しみにして頂いていた読者様がいらっしゃいました。とても嬉しかったです。これからも頑張って書こうと思います。
夜にもう一つ投稿する予定になっています。