第三十九章 食べ物の恨み
前章に引き続き、少しほっこりした話です。
嵐の前の静けさとでも言いましょうか……
侯爵家のツートップの意外な面が見られる話となります。
「ヘェー、この屋敷で皆が保存食作りに励んでいたとは知らなかったな」
「まだお試し段階で旦那様にお話しするほどの事でもないと思っていたものですから。ご報告しなくて申し訳ありませんでした」
妻にそう謝られ、申し訳無さそうな顔をされて夫は慌てた。彼女を責めるつもりなど全くなかったからだ。
ただ、自分が妻と仮面夫婦を演じていた間に、使用人達が妻と和気あいあいと楽しく料理してた事に焼き餅を焼いただけだった。
皆のおかげで妻が救われていた事には常々感謝していたのだが。
「私も存じませんでしたよ。
それに奥様が作られたというお菓子もジャムも頂いておりません。
何故私だけのけ者にされたのでしょうか? もしかしたら私は奥様や皆から嫌われているのでしょうか?」
執事のパークスの言葉に、その場にいたミラージュジュ、マーラ、ジャックスはサアーッと青褪めた。そして互いの顔を見合わせて狼狽えた。
「パークスさんを嫌っているなんてとんでもないです。そんな事あり得ません。
あの時、パークスさんは旦那様と共に領地へ行かれていたんです」
ミラージュジュが必死にこう言った。
「でもその時、ジャックスも私達と一緒でしたが、彼は奥様のお菓子を頂いているようですが……」
「えっ? そうなのか? 君は食べたのか? ジュジュのお菓子を…」
レオナルドまでプルプルと両手を震わせた。すると、パークスは主にまで冷ややかな目を向けた。
「旦那様の場合は仕方ないでしょう? あの当時、奥様からお菓子を頂ける関係だったと思っておられるのですか?
しかし、私は正直ショックです」
ミラージュジュは慌ててダイニングルームから出て行くと、隣の厨房へと向かい、ジャムの小瓶を持って戻って来た。
「これはパークスさんの苺ジャムとスモモジャム、そしてルバーブジャムです。
パークスさんが甘い物がお嫌いだと聞いたので、お渡ししなかったのです。
それに、厨房に入り浸るくらいなら、ダンスの稽古や社交の勉強でもしていなさいと呆られてしまうのではないかと不安で。
私、パークスさんにがっかりされてしまうのが怖かったんです」
ミラージュジュは父親に何の期待もされず、居ない者として扱われてきた。そしてそれが当たり前の事だと思っていた。
しかし侯爵家に来てからは、パークスがいつも真っ直ぐに真剣に彼女と向き合ってくれた。
欠点や悪いところは指摘し、その改善法を教えてくれ、励ましてくれた。
そして彼女が努力した事、成果を出せた事はきちんと認めて褒めてくれたのだ。そう。あのアンジェラ先生のように、厳しさの中にも慈愛の籠もった瞳で見つめながら。
アンジェラが姉だとすれば、パークスは父親、もしくは叔父のような存在だと思っていた。
そう、あくまでもミラージュジュの乏しい家族のイメージなのだが、呼び名はともかく、パークスはほんの数か月で彼女にとって大切な存在になっていた。
パークスは手渡された、日付と自分の名前の書かれたジャムのラベルを見て、ようやく厳しかった顔を綻ばせた。
「私は奥様の何にでも一所懸命に頑張っている姿にいつも感心していましたよ。
そしてたまには息抜きをして欲しいと思っていました。
ですから、奥様が厨房でお菓子や保存食作りをする事に楽しみを見出したのなら、それは喜ばしい事です。呆れたりがっかりするなんて事はあり得ません。
ましてやそれが領民のためにもなるのでしたら、なんて素晴らしい事なんでしょう。私はそんな立派な奥様を誇りに思います」
パークスの言葉にミラージュジュはウルウルと目を潤ませて、顔を薔薇色に染めた。
「パークスさん、本当にそう思って下さっていますか?」
「もちろんでございますよ。我がザクリーム侯爵家は、ミラージュジュ様のような素晴らしい奥様を迎える事が出来て、本当に運が良かったと思っています」
「おい、パークス!
運のおかげなんかじゃない!
僕が、僕が必死で、なりふり構わずに望んだから、ジュジュを妻に出来たんだ!」
愛するミラージュジュがパークスに対して、まるで恋する乙女のように頬を染めて見つめる姿に、レオナルドは我慢出来ずに、カッとした。
「ジュジュがザクリーム侯爵夫人として相応しいなんて事は、最初からわかっていた事じゃないか!
何を今更そんな事を言っているんだ。
それに、ジュジュ、何で僕にだけくれないんだ! 僕は君の手作り菓子が昔から好きだったのに!」
「えっ? 子供の頃、私の作ったおやつを召し上がったのですか?
まあ、知らなかった事とは言え、侯爵様のご令息に残り物で作った菓子を差し上げていたなんて! なんて恐れ多い事をしたのでしょう」
ミラージュジュはパークスに対する態度とは正反対に、眉間に皺を寄せ、困惑気味にこう言ったので、レオナルドは傷付いた。
「君がくれたお菓子はそれまで食べた中で一番美味しかったよ。
君と会えなくなってからも、あの素朴で優しい味が忘れられなくて、また食べたいとずっと思っていたんだ。
それなのに、僕に食べさせた事を後悔するなんて… そして結婚してからも食べさせるつもりもなかったなんてあんまりだ・・・」
夫のあまりにも悲痛な顔に、妻は本当に驚いた。そんなに自分のあの手作りが食べたかったのかと。
すると、そこへノアが口を挟んだ。
「旦那様のお気持ちお察しします。
私も隣国でいつも奥様に頂いたおやつを思い出していました。あんなに美味しかったもの、未だかつて食べた事がありません」
「それは多分『思い出補正』されているからよ」
「いいえ、そんな事はありません。本当に本当に美味しかったです。
そしてその中でも特に美味しかったのはじゃがバターです。
奥様が裏庭で自ら育てたじゃがいもを蒸して、それにバターを載せただけのシンプルなものでしたが、あれに勝る食べ物なんて、未だに食べた事がありません」
「そうだよね、僕もそう思う。甘いおやつも美味しかったけど、あのじゃがバターは最高だったよね」
この夫の言葉に、妻はあれ?っと何か引っかかるものを感じた。何かしら?
しかし彼女の思考はそこで断ち切られた。
「奥様、そのじゃがバターというものを是非私にも食させて頂けないでしょうか」
マーラに期待溢れる目で見つめられ、懇願されたからである。
「ええ、もちろんよ。そろそろじゃがいもを収穫しようと思っていたから、いつでも作れるわ。
でも、ただ単に蒸したじゃがいもにバターを載せて溶かして、そこに塩を少し振りかけただけなのよ。
おやつというよりおかずみたいなものだから、本当にあまり期待しないでね」
そう。レナが持ってきてくれたバターがなかったら、それ程美味しくなかったわ、きっと。
ん? レナ・・・?
「バターに塩ですか・・・
お菓子よりもむしろそちらの方が貴女のお好みかも知れませんね」
パークスが言った。すると、普段表情筋の動きが悪いマーラが、珍しく不機嫌そうな顔をして、執事に向かってこう言った。
「前々から一度言っておきたいと思っていたのですが、思い込みで人の嗜好を判断しないで頂きたいですわ。
もちろん、しょっぱいものも好きですが、私は基本的に甘党なんです。砂糖を使った甘いケーキやお菓子が大好きなんです。
それなのにパークスさんが私の事を辛党、辛党と吹聴するものですから今更違うとも言えなくなってしまいました。
おかげで、誰も私に甘い物を下さらないようになりましたわ。頂くのは酒のつまみのようなものばかり。
ですから、その意趣返しで執事さんは甘いのが苦手なんですよと、奥様に申し上げたのです。
どうです? ご自分だけ好きな甘い菓子をもらえなかったご気分は?」
みんなはポケラとして侍女長の顔を見た。
あのクールな侍女長と執事が共に甘党だったとは。しかも彼女がパークスに嫌がらせするために、彼が辛党だとデマを言っただなんて・・・
食べ物の恨みは恐ろしい……その場にいた全員がそれを実感したのだった。
読んで下さってありがとうございました。
次章からまた厳しいシリアスな話に戻ります。エンディングに向かって、最初の山場となります。
楽しみにして頂けると嬉しいです。




