第三十七章 農業カレンダーと国民性
高位貴族の奥様が自ら厨房で料理をして、みんなに喜ばれる! これもやはりテンプレですかね?
やたら農業にも詳しいし……(本と実体験に基づいてます)
この章はそんな話です。
「城勤めをしていて人間関係が多少構築されている者ならば、先輩方からそれとなく教えてもらえるものさ。
それに鼻の利くヤツなら勢力図は自然とわかってくる。どこに付くかで出世が違ってくるからね」
「宰相閣下とスチュワート公爵様は確かご親類でいらっしゃいましたよね? という事は公爵様も中立派という事ですか?
では、改革派は一体どなたなんでしょう?
今のお話だと、現在改革派を名乗っていらっしゃる側妃様のご実家の方が、まるで保守派のように聞こえるのですが」
執事のパークスがこう質問した。
彼は今まで、主の助けになればと自分なりに情報を収集してきたつもりだった。
しかし、本当の勢力図には気付かなかった。さすが魑魅魍魎の世界だ。
そして当主の妻も同様な事を思った。半年近く社交場に参加していたが、彼女は全くその事に気付かなかった。
狐と狸の化かし合いとはいうが、皆様そんな事を一切表情にも言葉にも出さなかった。あれだけお話をなさっていたというのに。
自分はどうだったのかしら?
ほとんど聞き役だったので、失言はしていないと思うのだけれど…
それにしても凄い・・・皆様プロだわ。見習わないといけないわね。
ミラージュジュはひたすら先輩の奥様方の事を感心していたが、実際に貴族の奥方が皆そんなに立派だったとしたら、もっとこの国は良くなっている筈だ。
パークスによって参加するお茶会を厳選されていたから、出席者が皆素晴らしかったのだと、後になって思い知る事になるミラージュジュであった。
「この国は昔から農業が主要産業だ。農業は季節のサイクルでやるべき作業が決まっている。その時期がずれれば作物の成長に影響するからだ。
人々は毎年出来るだけ通年通りに暮らすようになり、そしていつしかそれが当たり前の事となった。
その結果、やがて人々も生活の中に大きな変化を望まなくなっていったようだ。
そしてそれがいつしか、変化を嫌う保守的な国民性と呼ばれるようになった由来なのだろう。
今では農業以外の仕事をしている者の方が多いのだろうが、この地に根付いた考え方はそうそう変わるものじゃない」
「つまり、基本、保守的な人間が多いという事ですね?」
妻の言葉に夫は頷いた。
「君は畑を耕して野菜や花を育てるのが好きなようだね。それでも保守的にならなかったのは、あらゆるジャンルの本を読んで、バランスの良い思考が出来たからなんだろうね」
「えっ?」
思わずミラージュジュは声を上げた。
確かに結婚してザクリーム侯爵家に来てからも、彼女は屋敷の裏側に畑を作っていた。
実家とは違って裏側と言っても土地が広いので、日当たりがとても良い。
そのおかげで野菜は実家で育てていた時よりも、ずいぶんと立派に大きく育っている。
芋類は葉が枯れてきたのでそろそろ収穫時期だ。
自分が畑仕事をしている事まで把握しているとは……旦那様、凄い。
別段隠しているつもりはなかったが、つい最近まで夫は自分の事などには興味がないだろうと思っていた。だから態々話をしなかったのだが。
「確かに農家には農業用カレンダーというものがあって、年の始めに昨年のカレンダーを参考にしながら、野菜ごとに種まきの時期や肥料やり、追肥、収穫予定日などを記入するのだそうです。
そして人々の生活は、そのカレンダーを中心に過ごすのだそうです。
でも、本来野菜作りは土地を改良したり、輪作や転作をしたり、害虫除去の方法も模索したり、品種改良したり、科学的な思考がないと駄目なんですよ。
以前の隣国は土地が痩せていて、作物の育ちが悪いので、我が国を始めとする周辺国から農産物を輸入しないと、国民の食料を賄えなかったそうです。
しかし今は農業技術の発展で、作付面積も収穫量もかなり増えて、後数年で、自国で自給自足出来る見通しだそうですよ。
そうなったら隣国へのこの国の農産物の輸出量は激減するでしょう。
ですから遅まきながら、今からでも品種改良や新種の研究をなされば良いと思うのですが・・・
我が国はなまじ土地が肥沃な上に気候も温暖ですから、植物を栽培するのは比較的楽です。
ですから国民は現状に満足してしまって、新しい事に挑戦しようとか、改良しようとかいう気概がないのでしょね。
多分国の指導も足りないのだとは思いますが」
こうミラージュジュが言うと、ノアもそれに続いた。
「確かに農産物はたくさん収穫出来るのでしょう。
でもそれを蓄えているわけでもなさそうですから、自然災害が起きて、収穫も見込めなくなったら、すぐに食料不足になりそうですよね。
過去には飢饉が何度も起きていて、その度に国民が大勢餓死している歴史があるのに、何故みんな過去の教訓を生かさないのでしょう…
能天気なこの国が計画的に防災対策しているとは思えないし、そもそも保存食自体この国には存在するのですか?」
「あら、一応この国にも保存食くらいはあるのよ。それが十分なのかと言われたらそうは言えないのが辛いけど。
ほら、豊富な農産物や川で釣った魚で缶詰や瓶詰めを作って輸出しているじゃない。
それにうちの侯爵家だって、氷室に穀物を蓄えているし、保存食も作っているわよ」
ミラージュジュがノアにこう言うと、侍女長のマーラも頷いた。
「奥様の提案で、今色々と保存食をお試しで作っているんですよ。
川魚の油漬けや、野菜の酢漬け、肉の燻製、干し野菜とか。
今実りの時期を迎えていますから、ジャムやらドライフルーツも作ろうとちょうど話していたところなんですよ。
これが上手く出来たら、領民にも作り方を教えて広めようって奥様が提案なさっているんです。
領民の非常食や領地の特産品になるといいなとおっしゃって。凄いですわ、奥様は!」
いつも淡々とクールな侍女長が、うっすらと頬を紅潮させながら言った。
実は侍女長は今、この保存食作りに嵌っていたのだ。
彼女も子爵家出身の令嬢だったので、それまで料理をするどころか、厨房に入る事もほとんどなかったというのに。
侯爵夫人であるミラージュジュが厨房に入りたいと言った時は、奥方がそのような場所へ入ってはなりません、とマーラは当然のように止めた。
しかし、この屋敷内では何をしてもいいと夫から許可を得ていると、彼女は譲らなかった。
それに息抜きがしたいと言われれば、それ以上マーラは何も言えなかった。
ただのお飾りの妻だからと彼女はいつも気兼ねをして、これまでは一切我儘や自己主張をしてこなかった。そんな彼女の初めてのお願い事だったし。
しかし、何故ミラージュジュが厨房で料理をしたいと言い出したのかと言うと・・・
初夏を迎えたある日の早朝、いつもより早く目を覚ましたミラージュジュは、少し散歩でもしようかと、着替えて屋敷の裏口へ向かった。
すると、メイドが大きな籠に入った苺を厨房に運び入れるところを目撃した。
「いくらたくさん採れたからって、こんなにたくさんの苺をどうしようっていうのよ。
苺は痛みやすいから腐らせるだけだわ」
どうやら近くの領地の領民が、領地で採れた旬の苺を持って来てくれたようだった。
きっと朝食に間に合うように、夜明け前に摘んで持って来てくれたのだろう。文句を言うなんて罰が当たる、と奥方は思った。
だからミラージュジュは料理長にこう言った。
「苺がもし大量にあまったら、ジャムにしてくださいね」
すると彼は困惑顔になった。
彼の認識ではジャムとは専門店で買う物だったからだ。つまり、ジャムの作り方など知らないし、当然作った事もなかったのだ。
「それなら私が作りますから、空いている時間に厨房を貸してください」
奥様のこのお願いに、料理長と侍女長は絶句したのだった。
読んで下さってありがとうございました!




