第三十五章 隣国の教育制度
「ええっと、そろそろ話を本流に戻してもよろしいですか?
ベネディクト!
君を隣国へ逃がす手筈をしたトムというあの男は、どんな人物なのですか?」
パークスが脱線した話を元に戻した。やはり仕切りは彼に任せるべきだと当主夫妻は再認識した。
「トムさんの本名は本当にわからないです。でも、王妃様側の騎士だと思います。
トムさんはフォールズ流の立ち居振る舞いをなさっていたので、最初は同門という関係で僕を助けてくれたのかと思っていました。
しかし、そうではない事にすぐ気が付きました。隣国での避難先には、私以外にも我が国の若者がたくさんいたからです。
そして彼らも皆、犯罪や問題を起こした者達ではありませんでした。
寧ろ、その真逆の真面目過ぎて、俺同様世渡りの下手そうな連中ばかりでした。
その上、いずれも家族の誰かが宰相閣下や正妃様に関係している人間でした。私のように…
やがて我々は隣国で生き延びるための訓練や教育を受ける事になりました。別の組織から指導者がやって来て教えて下さったのです。
そのうちの一人がリリアナ、いやノアさんでした。
まあ、その時は俺とは違うグループを指導していたので、彼女とは直接話をした訳じゃなかったのですが。
だから大使館で彼女に会った時は、本当に驚きましたよ」
ノアのいたところは隣国の闇組織で、殺人以外なら何でもやるような組織だった。そしてノアのいた教会とも繋がっていて、密輸や人身売買にも関わっていた。
教会の方は、その闇組織が大がかりで危ない組織だと感じていたので、商品を売った後の事には全く関心を示さなかった。
態々藪をつついて蛇を出すような真似はしたくなかったのだ。
そのせいで教会側は、子供を安く買い叩かれている事実に気付かなかった。
そして隣国に買われたノアは、スパイとしての才能を見出されて教育されたのだ。
ベネディクトによると、彼女はスパイの中でもトップクラスだったらしい。
「それにしても、正妃様が関係している避難所と闇の組織が深く繋がっているとは、どういう事なんですか」
パークスが怪訝そうな顔をした。その場にいる全員がそう思ったが、当主だけがこう言った。
「もしかして、闇の組織って、隣国の公安じゃないのか?」
するとノアはニヤッとした。
「さすがですね、旦那様。
記憶を失くす前の旦那様も、隣国へ赴任して半年も経たない内にその事に気付いて、この国の宰相閣下へそれを報告なさったようですよ」
「どういう事ですか?」
「ベネディクトさん、私が貴方の避難所へ指導に行くようになったのは旦那様のご助言があったからなんですよ。
旦那様がこの国に関する二つの組織を繋げたんです。
まあ、私も後になってそれを知ったんですけどね。
それまでは、当たり前と言えば当たり前ですが、どちらのグループも素性を隠していました。
大体組織というのは、上下関係に重きを置くので、同じ国の組織でも横の繋がりがあまりないんですよ。
国全体を守る治安維持部隊と王城を守る近衛部隊で、お互いに似たような事をしていたのに、それにずっと気付かなかったんです。密入国のルートが別々だった事もあって」
隣国はこの国と比べるとかなり進んだ社会的思想を構築していた。
個人の自由と義務、平等原則、平和、博愛主義・・・
そして、その理念を守るためのしっかりした社会制度も出来上がっていた。
この国の教会は愚かにも、隣国の実情を知らずに子供達を売り付けていた。
人身売買をする行為は以ての外だが、その売人をただ捕まえただけでは、所詮蜥蜴の尻尾切りになるだけだ。
他国の教会を勝手に潰せる訳ではないし、教会の犯罪を相手国に訴えても、それに対処出来る能力があるのかどうかも疑わしい。
却って教会の悪事が隠蔽されてしまう恐れさえある。
それに、こちらで受け入れなければ、子供達が他所の国に売り飛ばされて悲惨な目に遭わされるかもしれない。
つまり、隣国は人道的な目的で子供達を買った(嫌な言葉だ!)のだ。
しかも出来るだけ安く。子供が高く売れると思わせるとまずいからだ。
受け入れた子供達には自国の子供と同様に教育を受けさせた。それはこの国でまともに暮らせるように。社会に役に立つ人間になれるように。社会の害悪にならないように。
隣国には優れた教育制度が整っていた。
六歳から十歳までは生きて行く為に必要な、最低限の事を教える基礎学園で学ぶ。
その後適性によって、専門の学園に進み、手に職をつけ、十五で半数以上が仕事に就く。
そして専門性の高い分野は更に上の学園に進級して学ぶ。
例えば医者や薬師、建築設計士、研究員、法律家……
そしてその他に、成人した外国人が学ぶ学園もある。
ノアが隣国へ売られた時、彼女は十一歳で既に基礎学園を卒業している年だった。
一緒に売られた子供達は読み書きが出来ない者がほとんどだったので、年齢は過ぎていたが、皆基礎学園へ入った。
しかしノアは、母が生きているうちに、最低限の読み書き計算を教えてもらっていた。
祖国にいる時はなまじ彼女が何でも出来たので、教会では裏帳簿を付けさせられたり、詐欺や美人局の片棒を担がされてうんざりしていた。
そんな頃ノアはミラージュジュやレナと出会ったのだ。
ノアが友人達と過ごしたのはほとんど図書館の中だった。
もちろん、基本館内では私語が禁止されていたので、お喋りをする時は中庭だったり、帰り道だったり、朝市に出かけたりした時だったが。
最初のうちノアはミラージュジュのお勧めの本を、読めない文字を彼女に教えてもらいながら読んでいた。
しかし半年も過ぎると、ノアは自分で本をチョイス出来るようになり、今度はノアの方がミラージュジュやレナに、お気に入りの本を勧めるようになっていた。
彼女達もノアが選んだ本を読んでくれて、三人でよく感想を言い合った。それは今まで味わった事のない楽しく幸せな時間だった。
本来ならやっていて良かったと思う筈の学問を、ずっと役に立たないモノだと思っていたノアだったが、そうではないと二人と出会った事で初めて知った。
自分が知っている世界はとても狭かった。
しかし、世の中は広く、複雑だ。見方を変えるだけで、知識が増えるだけで考え方が変わる。生き方が変えられる。
ずっと真っ暗だったノアの未来がパッと開けた気がした。
ところがやっと明るくなりかけていたノアの人生が、突然前触れもなく大きく変わってしまった。
隣国へ売られたのだ。
ノアは大好きなミラージュジュやレナに別れも告げられずに会えなくなってしまった。
ノアは大きなショックを受けて、暫く誰とも口をきけなかった。
しかし、無理矢理に連れて来られた施設は、あの教会にいるよりずっと良い環境だった。
殴られたり、悪事の手伝いをさせられる事もない。
三度三度食を与えられ、規則正しい生活が出来る。
そして初めて学校で勉強する事が出来たし、本来の自分の姿のままでいられた。
ここでこのまま頑張れば自分の運命を変えられるかも知れないと、次第にノアの気持ちは前を向くようになって行った。
しかしやっぱり世間はそんなに甘くはなかった。
ノアは適性検査でスパイに向いていると判断されてしまったのだ。
幼い頃から命じられるままに別人の振りや変装をして、多くの人達を騙してきた。これはその罰?
それとも、元々生まれつき自分にはそういう才能があったとでもいうのか?
読んで下さってありがとうごさいました!




