第三十二章 ベネディクトの弁明
お詫び:ミラージュジュの親友ノアが侍女の振りをしている時の名前は『リリアナ』ですが、時々『ユリアナ』になっていて、混乱させてすみませんでした。読み直しては訂正しています。
それと敬称についてですが、そもそもそれらは国や時代によって異なるのだそうです。
故に、この話の中では国王陛下以外の王族は正妃も含め、殿下という事にしています。ご了承願います!
「ま、待って下さい。
た、確かに俺は正妃様に恩義があり、正妃様寄りの人間ですが、半年前にザクリーム侯爵邸に来る事になった時から旦那様に忠誠を誓っています。
旦那様を裏切る事は絶対にありません。
それに、そもそも正妃様は立派な方でこちらと敵対する方ではありません」
「何を言う! 妃殿下の息子である第二王子殿下は自分の愛人を旦那様の愛人だと偽り、この侯爵家に散々迷惑をかけた方だぞ!
その挙げ句に暗殺計画を立てて、旦那様まで巻き込んだ。貴様ともう一人の侍女はそれを知っていたから無傷だったのだろう?」
今までまるで置物の如く押し黙っていたジャックスが、物凄い剣幕で叫んだ。
実は彼も腕を捻挫していたのだが、皆に隠していた事が後になってわかったのだ。一人で悪戦苦闘している年若い当主の妻に、それ以上負担をかけたくないと思ったらしい。
みんなの気持ちを代弁してくれてありがとう、と妻と執事は思った。
まあ、あの落石事故の方は、正妃や第二王子妃は関与していないのではないか、とレオナルドは推測していたが。
とはいえ、あの出来損ないの王子の母親だという事は確かなので、正妃派だというベネディクトの事を、すんなり信用していいのかどうかを判断出来なかった。
「正妃様が人を暗殺しようとするわけがない! ましてご自分の息子を!」
「可愛さ余って憎さ百倍なんじゃないのか? それにそろそろ親でも庇いきれなくなったからじゃないのか? だから・・・」
「正妃様はそんな甘い方じゃない。ご自分の生んだ子なら尚のこと、正しく厳しい処罰を望まれる。
人を使って暗殺などという卑怯な真似はなさらない!」
ベネディクトの言葉に流石のミラージュジュもカチンときたので、冷静にこう尋ねた。
「多くの学生達の思い出を奪い、一人の高貴な女性の誇りと努力を踏みにじった罰が、たった一年の辺境地送り……それが正しくて厳しい処罰だと貴方は言うの?」
「えっ? それは……」
「もし厳しい処罰を受けて反省したのなら、結婚して一年も経たない内に、元の愛人を再び妻に隠れて囲うような画策をしますか?
その結果、妻をそれこそ不幸のどん底に突き落とし、ようやく罪を認めてそれに向き合おうとしていた『真実の愛』の相手も死なせてしまったんですよ?」
ミラージュジュの言葉にベネディクトは苦々しい顔をした。彼もこの半年ラリーナの側にいて最期を看取ったのだから、彼女に対して何かしら思いはあるのだろう。
「あの王子はクズです。
しかし、正妃様はあのクズを守ろうとした訳でも、甘やかそうとした訳でもありません。寧ろその逆です。
あの婚約破棄騒動の時に、正妃殿下は息子を廃嫡すべきだと国王陛下に進言されたのです。あの息子は今更矯正は不可能だからと。
しかし、陛下はそれをお聞きになって激怒なさったのです。お前はそれでも実の母親か! なんて薄情で冷たい女なのだと…
それ以降、陛下は正妃殿下に冷たくなり、距離を取られるようになったのです。その結果、妃殿下の王宮での勢力は弱まり、側妃殿下の一派が益々力を増してしまったのです」
ミラージュジュ、パークス、そしてジャックスがあ然とした顔をした。
何故そんな王宮の丸秘情報をこの男が知っているのか。
「貴方は一体誰なの?
何故そんな事を知っているの?」
ミラージュジュの問いにベネディクトは本名を名乗った。
『ゴードン=ベネディクト=ローマンシェード』
彼は今は無き名門伯爵家の令息だった。
「それでは貴方はあのチャールズ=カイン=ローマンシェード卿の弟君ですか?」
パークスが尋ねるとベネディクトが頷いたので、なるほどと納得した顔をした。
「貴方はその名を旦那様に明かされたのですね? 病院で…」
「はい。二年間の記憶を無くされたとお聞きしたので、改めて名前をお伝えしました。
旦那様はそれに対して頷かれただけでしたが、わかって頂けたと思ったのです。
奥様の事は本当に申し訳ありませんでした。
お屋敷にいる時は奥様とは一切接触を許されていなかったので、奥様のお人柄を存じておりませんでした。
故に、貴女様とどう対峙してよいものかわかりませんでした。
それに、奥様はライスリード伯爵家の出でいらしたので…」
「それはどういう意味でしょうか?
確かローマンシェード家とライスリード家は同じ保守伝統派で、どちらも第二王子派ですよね?」
同じ派閥出身なのに何故警戒するのだ。もっとも、自分は実家とは全く関係がないが…とミラージュジュは思った。
するとベネディクトはまたもや意外な真実を語った。
「第二王子派と正妃殿下は全く関係がありません。
ちなみに、第二王子派の影の支配者と言われている王子妃殿下のご実家スチュワート公爵も何も関わってはいません。あれはデマなんです」
「「「エーッ!!」」」」
「奥様、図々しいと思われるかも知れませんが、どうか信じて下さい。俺は旦那様も奥様も絶対に裏切りません」
ベネディクトの懇願にもミラージュジュは、両手を大きく顔面で振りながら言った。
「もう結構です。情報が多過ぎて頭の中がパニックです。何が本当か嘘なのか判断出来ません。後は旦那様が帰ってきてからお聞きします」
「そうですね。奥様は少し休んだ方がよろしいですね。一旦お部屋へ戻りましょう」
パークスに促されてミラージュジュはソファーから立ち上がった。
するとノアが慌てて立ち上がった。
「ジュジュ、ごめん。せっかく会えたのに、貴女を混乱させて」
すると、ミラージュジュはフッと笑って言った。
「いつもの事じゃないの。貴女はいつだって私の予想もつかない事ばかりして私を振り回していたじゃない。
でも、嫌いになった事は一度もなかったわ。
貴女は私が本当に嫌がる事や困る事はしなかったもの。
ベネディクトさんも、私達に害がない人だから連れてきたのでしょう? わかっているわ。
でも、もう知っていると思うけれど、この屋敷の人達は私達のように擦れてはいないの。だから、皮肉やからかう真似はしないでね。
それと、これから一体貴女をなんて呼べばいいの? 貴女の本名は何?」
「ノアよ。ジュジュに嘘なんかついてない。母が付けてくれた名前はノア……
でも、護衛で男装している時はリートって呼んで…」
ノアは珍しく泣きそうな顔をしてこう答えた。
ノアという名前が本当の名だと知って、ミラージュジュは嬉しそうに微笑んだ。そしてパークスと共に客室を出て行った。
そして、その日も当主は定時に屋敷に戻ってきた。当分はまだ無理しないようにと、同僚が気を使ってくれていたのだ。
妻が珍しく出迎えに出て来なかったので、心配して侍女の一人に尋ねると、
「今日来客があって、奥様はお疲れになったようで横になっておられます」
そう言われた夫は驚いて妻の部屋へ向かおうとしたが、執事のパークスがやって来て執務室へ連れ込まれた。
そして昼間の来訪者とのやり取りを聞かされた。
「やっと来たか。二人が来ないと事件解明が進められなくて困っていたんだよ」
当主の言葉にパークスはまた眉を顰めた。
「あれほどもう隠し事はしないで下さいとお願いしていたのに、何故またベネディクトさんの事を黙っていたのですか?」
「いや、隠してなんかいないよ。ほら、記憶を無くしていて、彼の事なんかまるで覚えていないんだから。
ただ病院を退院する際に名前を名乗られただけ。それで多少彼についての想像は付いたけれど、あくまでも憶測だろう? それなら、みんなで一緒に本人から直に話を聞いた方が効率がいいじゃないか」
「旦那様、ご自分の頭の中だけで全て完結するのはそろそろおやめ下さい。先触れがないと、こちらも対応に苦慮しますので。
奥様は少々パニック気味でしたよ。突然親友が名乗り出たり、悪玉だと思っていた人物が善人で、勢力図がでたらめだと言われたりで。まあ、正直私も困惑しております…」
パークスの苦情に流石のレオナルドも申し訳なさげな顔になった。
「本当に申し訳ない。
気が付いた時点でその都度貴方に相談しておけば良かったんだろうけど、何故こんなに頑ななんだろうね? 我ながら。
隣国へ行って半年ほどで、国内にいると見えない諸々な事が見えてきたんだよ。
それでそれを確かめようとし始めた…と思うのだが、その後の記憶を無くしてしまった。
だから、今は全てがまだ想像や憶測の域を超えていないんだよ。だからそれを口にするのを躊躇してしまうんだ」
「確かに旦那様は幼い頃から負けず嫌いの完璧主義者で、不確実な事は人に話したり相談したりしなかったですよね。
でも今はせめて奥様にだけは、思いつきも途中経過でも失敗した事もお話しになって下さいね。
それが却って夫婦の絆を強くしますから」
パークスから思いがけない夫婦円満のコツを聞かされて、レオナルドは目を丸くしたのだった。
読んで下さってありがとうございました。
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