第三十一章 大使館の使用人事情
屈折しているノアの言動に周りが振り回されます。
しかし、彼女の言ってる事は的を得た事ばかりなのですが…
これはもう、慣れるしかないのかもしれません……
あの第二王子はレオナルドが任期を終えて帰国する際に、彼女を一緒に侯爵邸に連れ帰る算段をしていたらしい。そして外務大臣にもそれを働きかけていたようだ。
しかし、国ではいずれレオナルドには外務大臣になってもらいたいと思っていた。その為には外交経験が必要だとして、彼を帰国させるつもりなどなかったので、王子は焦った。
愚かな彼は、外交官一人の人事なんて自分が自由に出来ると思っていたのだ。
しかし、例の婚約破棄事件はいくら箝口令が敷かれようが、人の口から口へと広まり、周知の事実となっていた。それ故に彼の評価は最悪で、誰も口にはしないが、軽蔑していた。
そんな彼の命令などに高官達が従う筈がなかったのである。
そんな矢先、ザクリーム侯爵が脳梗塞で倒れて、レオナルドは急遽帰国する事となった。
侯爵は一命は取り留めたものの半身不随となった。その為に嫡男のレオナルドが父親に代わって、侯爵家の跡目を継ぐ事になって、そのまま当分は自国に留まる事になった。
この事に王子はこれ幸いと、レオナルドを宮廷に呼び出し、彼の父親との契約書を見せて、その履行を迫ったのだった。
レオナルドはその時初めて父親と王子の契約書の話を聴いて、驚く……振りをした。
しかし、彼は帰国前からその事を知っていた。そしてその対策を練り始めたところで父親が倒れたのだ。
そのタイミングの悪さに彼は歯ぎしりした。
そう。第二王子はレオナルドの帰国が無理なら、彼の父親をラリーナの愛人に仕立てて帰国させようと準備を進めていた。
その為に、ラリーナの侍女としてリリアナを、護衛としてベネディクトを新たに雇用していたのだ。
そしてこの時、レオナルドとノアは九年振りに再会したのだった。
二人とも容姿も雰囲気もすっかり変わっていたが、彼らはすぐに相手の事に気が付いた。
ノアはすぐにレオナルド側につくことに決めた。それはミラージュジュがレオナルドの婚約者だという事を知ったからだ。
そしてノアによって父親と第二王子の契約を知り、レオナルドはあまりの衝撃に愕然とし、茫然自失となった。
あの第二王子の常識のなさ、類を見ない愚かな行動は身を以て知っていたが、まさか王族として人としてそんな暴挙に出るとは!
王子の斜め上の発想に、彼は言葉を失った。
しかし物理的作用によってレオナルドはすぐに我に返った。ノアに思い切り頬を殴られたのである。もちろんグーで。
「呆けていないでサッサと対策をとれ! ジュジュをこれ以上不幸にしたら承知しない!!」
ノアの言葉にレオナルドは強く頷いたのだった。
すぐさまレオナルドは父親の爵位剥奪に向かって行動を起こし始めた。
そしてノアは、ラリーナと共にザクリーム侯爵邸へ赴く予定の二人について調査を開始した。
ノアと一緒にラリーナの侍女についた女性は、元々隣国の男爵家の出身の女性だった。そして大使館勤務の護衛騎士と恋愛関係になって国際結婚をした。
隣国は割と自由恋愛が盛んでおおらかな国民性だった。
ところが夫側は他国の娘との結婚を大反対したのだ。その時夫の両親を説得してくれたのが隣国出身の正妃だった。
そして二人は結婚したが、五年後に、一人息子を残して夫が早世してしまい、子供まで夫の実家に奪われてしまった。
そんな彼女を正妃が気の毒に思い、実家の王家を通して、大使館の侍女として勤められるように差配してくれたのだった。
侍女は正妃をとにかく敬愛し、恩義を感じていた。それ故に、正妃に対する忠誠心はかなり強固なものだった。
彼女はたとえ侯爵家へ行っても、レオナルドを主として仕える事はないのだろう。もちろんラリーナの事も。
そしてもう一人は自分と時を同じくして大使館勤務になった護衛のベネディクト。
この男の事は知っていた。何故なら彼も自分同様に隣国の人間ではなかったから。そう。同国人で元々密入国者だった。
しかし、ノアとベネディクトとでは密入国のルートが違った。つまりそれは組織が異なるという事を意味した。
「密入国ルートですか…
かなりきな臭い話ですね。
これは旦那様もご存知の話なんですね?」
パークスが眉間に皺を寄せて、難しい顔をした。
「あの方は優秀ですからね、赴任して半年もしないうちに、密入国ルートについては調べあげていたみたいですよ。
ただ組織が大掛かりな事と、二カ国が関わっているので、慎重に動いていたみたいですけどね。
ほら、自国の中枢の中に信頼出来る人物をまず見つけてからでないと、何事も先には進めませんから。
下手な相手に手の内見せて相談したら、組織どころか、それこそ自分自身が破滅しかねないですからね。
ところが、あの事故で旦那様はその肝心の二年間の貴重な記憶をなくしてしまった。
そしてせっかく積み上げていった私やベネディクトさんとの信頼や情報の事も、綺麗サッパリお忘れになってしまった。
ですから、私達はまた一から関係性を構築しないといけません」
ノアはやれやれ、という感じでこう言った。
「確かに、旦那様はノアとの再会後の記憶を無くしてしまったわ。でもノアへの信頼はなくしていなかったわよ。
ノアを私の護衛にするという話を私も旦那様から伺っているもの。入院中も退院後も二人で話し合っていた訳ではないんでしょ?
それなのに、ノアが私の為にここへ来ると確信なさっていたわ。二人は本当に信頼し合っているのね。
だから、ノアが連れきたベネディクトさんの事も信頼してくれるのではないかしら?」
ミラージュジュがこう言うと、『チッチッ!』と右人差し指を立てて、それを左右に振りながらノアは言った。
「甘いですよ、奥様!
たとえ私がご自分の友人だとしても、旦那様はそう簡単に人を信用しませんよ。
私と旦那様の間に奥様がいらっしゃるからこその信頼です。ですから、私が信頼しているからと言って、旦那様までもベネディクトさんを信用するとは限りませんね」
「えっ? そうなの?」
「えっ? それはないですよ。俺は旦那様と共に連中と戦うつもりでここへやって来たのに」
ベネディクトが絶望感を漂わせながら呻いた。するとノアは昔からの癖である半目になってこう言った。
「だって、貴方は病院で奥様の質問に正直に答えなかったでしょ。それにトムって男の事も言わなかったでしょ。
旦那様の唯一である奥様を信用しない人間を旦那様が信用する訳がないじゃない。
それに、貴方が喋らなかった事で、調査が滞っている責任をどうするつもりなのよ。
私達が相手にしている巨大組織相手に先に手を打たれたら、こっちは太刀打ち出来る筈がないのよ。そんな事すらわからないの? いい年して」
ノアのきつい、しかも的確な指摘を受けてベネディクトは青褪めた。
ちなみにいい年と言っても彼はまだ二十代前半だったが。
「ええと、彼が役に立つと思ったから貴女は彼をここに連れてきたのでしょう?」
パークスが助け舟を出そうとしてこう言ったが、ノアは頭を左右に振った。
「違いますよ。彼を隣国へ戻したら、それこそ敵に捕まって、何をしゃべるかわからないじゃないですか?
ですからトムという男と一緒にここに監禁するために連れてきたんですよ!」
「「「エーッ!」」」
「それはないですよ、リリアナさん!」
「だって、貴方は正妃派の人間でしょ?」
「「「えっ!!!」」」
パークスがミラージュジュを庇うように盾となって彼女の前に立ち、扉近くでずっと黙って立っていた護衛のジャックスが、まるで瞬間移動したかのようなスピードでベネディクトの斜め正面から彼を見下ろした。
そしてジャックスの右手には鞘から抜かれた剣が握られていた。
「ヒーッ!!」
と悲鳴をあげたベネディクトがソファの背にのけ反った。護衛のくせにその対応はどうなの? とミラージュジュは思ってしまった。
ベネディクトが敵なのか味方なのか、次章を楽しみにして頂けると嬉しいです。
これから、いよいよ複雑な王宮の人間関係がわかってきます。
読んで下さってありがとうございました!




