第二十九章 親友と恩師と護身術
ミラージュジュにとって恩師との出会いは一筋の救いの光でした。
しかし、どうして学園を卒業したばかりの男爵令嬢に少女を救う事が出きたのか、それがわかるお話です!
「ええと、奥様は護身術をどなたに教わられたのですか?」
パークスが尋ねた。
「家庭教師をして下さっていたアンジェラ=フォールズ先生ですわ。結婚して姓がお変わりになったと思いますが」
「フォールズですって? あの、あのフォールズ流の? しかも女性用護身術を生み出したアンジェラ=フォールズ=ノートン女史直々に奥様は習われたのですか?」
ベネディクトは興奮して立ち上がってこう叫び、パークスに睨まれて慌てて腰を下ろした。
「奥様、フォールズ家と言えば、代々騎士団の教育係をしている家系ですよ。
優れた騎士を育てる事で有名でしてね、先代の時、名を馳せた多くの教え子達の推薦で、男爵から子爵家へ格上げになったほどなんですよ」
パークスからそう説明されてミラージュジュは驚きを隠せなかった。
父親はそれを知っていて彼女を自分の家庭教師にしたのだろうか?
一瞬そう考えたが、それはあり得ないとすぐに思い直した。
父親はそれはもう酷い男尊女卑思想の持ち主で、先生に対しても侮蔑するような態度を取っていたし、娘に勉強を教える事も快く思っていない節があったから。
無能な女に学問など要らない。男に従っていればいいと父親は言った。
しかしその弱い女子供を守る事もしないくせに、弱い者達に生きるための術や身を守る方法を教えないとは、どういうつもりだったのだろうか?
極端な話だが、女子供など死んでも構わないというのだろうか?
あの男は何を守るために騎士になったのだろうか?
いや、守るのではなくて敵をやっつける事が騎士だと思っているのだろうか?
ライスリート家にやって来たアンジェラ先生が、がっかりしたと言っていたのを思い出した。
確かにミラージュジュの父親は勇猛果敢で戦果を挙げていた。
しかし、騎士としてどんなに名を馳せていたとしても、騎士そのものの基本精神が父親には欠如していた。それを指していたのかも知れない。
もしかしたら、先生のお父上様は自分の事をご存知で、自分を憐れんで娘さんを行儀見習いとしてあの家へ寄越して下さったのかも知れない。
深読みかも知れないが、そうでも考えないと、そんなに立派なフォールズ家が、大切なご令嬢を態々あの家の行儀見習いなどに出す意味がわからない……
そうミラージュジュは思った。
「フォールズ家の一族は、直系以外の方々も皆様騎士道のご指導で優れた方々が多いのです。
それ故にフォールズ家出身の師範の教えは、フォールズ流と呼ばれているんですよ」
「まあ、そうなんですか! アンジェラ先生はそんな立派なお家の方だったんですね。
道理で先生に教えて頂いた攻撃は成功率が高かった筈ですわ」
「そうでしょう?
アンジェラ様は、女性のための護身術の指導法をお作りになって、それを市井の女性達に広めていらっしゃいます。
今じゃ、嘘くさい教会より、守り神、女神様と呼ばれて尊敬されていますよ。
平民の女性は貴族のご令嬢とは違って、護衛やお付きの者達に守ってもらえないので、理不尽な暴力を受けて泣く事も多いですからね。
それにしても、奥様がアンジェラ様のお弟子第一号だったなんて驚きました」
ベネディクトは感激しながらこう言った。彼はフォールズ流の崇拝者らしい。
それを聞いていたパークスが顔を少し青くした。ミラージュジュが木靴を使って行った攻撃を思い出したのかもしれない。
急所攻撃については誤魔化したつもりだったが…
「奥様、昔取った杵柄とかお考えになるのはお止め下さいね。もう、木靴は履いていらっしゃらないのですから」
「あら、ハイヒールの踵で踏まれたら、寧ろ木靴より痛いと思うけど。
それにドレスの中には色々と武器を隠せるのよ。
腰に結んでいるリボンもいざという時使えるし、ペンダントの中の唐辛子の粉をばら撒けば、どんな強者だろうと泣き出すわよ。
あ、この指輪も……」
「奥様! いつもそんな物を持ち歩いていらっしゃったのですか?!」
「だって、私は伯爵令嬢なんて名前だけで、自分の身は自分で守らなければならなかったんですもの」
「いや、それはご自分の為というより、人のために持ち歩いていたのでしょう?」
今度のリートの呟きはミラージュジュやパークスの耳にも届いた。
「ねぇ、貴女も子供の頃の私を知っているの?」
「もしや、旦那様同様に奥様に助けられたとか?」
「はい、そうです。
私は、まあ、この国でも隣国でも色々やらかしているので、ばれないように今容姿を変えています。
しかし、顔のパーツ自体は変わらないと思いますよ。奥様、私の顔をよく見て下さい」
リートことリリアナにそう言われて、ミラージュジュはじっと彼女の顔を見つめた。
すると、ミラージュジュの見開いた大きな瞳から、涙がポロポロと溢れ出した。そしてこんな言葉が漏れた。
「ノア、ノア、貴女はノアなのね?」
ミラージュジュは思わず立ち上がると、リートの側に行って跪き、彼女に抱きついた。
リートことリリアナことノアは初めてそのクールな表情を崩し去り、慌てふためいた。
一瞬親友を抱きしめ返そうとしたが、当主の姿が頭に浮かんできてそれも出来ずにあたふたした。
「奥様、ちょっと離れて下さい!」
「前みたいにジュジュって呼んでよ、親友じゃない!」
ミラージュジュは感激して興奮状態に陥っていた。
「いくら友人だとしても、人前でそんな無礼な真似は出来ません。私はここをクビにはなりたくないんです」
あっ! とミラージュジュはようやく我に返って体を離した。
ええと、リリアナ? リート? ノア……なんて呼べばいいの?
とにかく彼女は旦那様の為に隣国を裏切ったので、隣国には帰れない。
そしてこの国でも色々あって、とか言っていたわね。というと、ザクリーム侯爵家から暇を出されたら行く所が無くなってしまう。
しかしである。
「友人であるノアを旦那様が追い出す訳がないじゃない。そんな心配しなくても大丈夫よ」
ミラージュジュがニコニコしながらそう言うと、ノアは引きつった顔をした。そして口の中で、ゴニョゴニョとこう呟いていた。
「あの方は妻の視線を奪う者はたとえ友人だろうが容赦が無い……クソッ、本当は私の方が……」
「ねぇ、何故今まで黙っていたの?
酷いじゃない、半年も知らんぷりしていたなんて」
「ですからね、先日も言いましたが、私は貴女をお守りするために、あちら側にいたのですから、正体をばらすわけにはいかなかったんですよ。
私の役割は貴女と彼女を接触させない事、そして彼女の関係者の動きを把握する事だったんですから。
私の事を知ったら、貴女は平気で屋敷の西側にひょこひょこ現れて、彼女の正体及び第二王子の関係にすぐに気が付いて、首を突っ込もうとされたでしょう?
そうなったら、あちら側に貴女まで目をつけられてしまう。
貴女はなんとしても彼女の事は知らない、無関係だという事にしなければならなかったんですよ!」
「アーッ」
ノアの説明にミラージュジュもようやく納得した。
数日前に夫に指摘されるまで気付かなかったが、彼女には無意識に困っている人に自ら近寄っては、面倒事に首を突っ込むきらいがあるらしい。
それが親友だったら尚更だったろう。
「うーん。それはわかったわ。
でも、何故七年前に私の前から急にいなくなったの? 私、ずっと貴女を探し回ったのよ」
ノアは親友の手を握って、彼女の目をじっと見つめた。
「すみませんでした。貴女を危険な目に遭わせてしまって。
貴女が私を探して教会へ行ったと聞いて、そして教会の悪事に気付いたと知って、私は、私は、恐怖で震えました。
知らないうちに貴女を悪の巣窟へ近づけていたなんて…
私は貴女をあそこに関わらせたくなかった。だから、教会の話をしなかった。それなのに、それが裏目に出るなんて……」
ノアはここまで言うとミラージュジュから顔を背けた。
「私は甘かった。
それに比べて旦那様は立派でしたよ。たとえ嫌われようとも、害のある者達に貴女を関与させなかった。
貴女がすぐ側にいるのに話しかけられないのは辛かったですが、悪役をして苦しんでいる旦那様よりはましかなぁと思えたので、まあ、耐えられましたよ。
そして七年前、貴女の前から急にいなくなった事、本当にすみませんでした。
しかし、それはもうどうしようもなかったんです。
前触れもなく突然教会に隣国へ売り飛ばされたので、連絡もできなかったんです」
「「「!!!!!」」」
読んで下さってありがうございました!




