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第二十七章 妻の武勇伝

妻の過去のお転婆姿が見えてきます。


 レオナルドは暫くただ黙って妻の顔をじっと見ながら話を聞いていたが、やがてこう言った。

 

「記憶を失くす前の僕は、君のその本来の性格をよく知っていたからこそ、君に本当の事を話さなかったんだろうね」

 

「私の性格ですか?」

 

「ああ。正義感が強くて向こう見ずで喧嘩っ早くて、行動力が半端ない」

 

 それは学園に入学する少し前、レナやノアと過ごしていた時期の自分の事だろう。しかも、それは二年ほどの限定。

 その前後は目立たぬように、目をつけられないように行動している、ただ暗い地味な少女だった。

 

 それなのに、本人も言われるまで忘れていた自分の一面を、何故夫は知っているのだろう? 

 ミラージュジュは驚いた。

 

 学園に入学してからというもの、彼女は婚約者となったレオナルドに相応しい妻になれるように、必死でマナーや淑女教育に励み、かなり控えめでおとなしかったと思うのだが。

 しかもそれは振りなどではなかった。

 レナとノアに突然会えなくなり、必死に探しても二人には会えず、また一人ぼっちに戻って、ミラージュジュは希望をなくしてしまったのだ。

 

 アンジェラ先生と出会えた事は確かに幸せだった。初めて自分に愛情を持って接してくれた人だったから。

 けれど、彼女と一緒にいられるのは最初から期限が決められていたからこそ、別れにも諦めがついた。

 しかし、友人は、友情はずっと続くものだと思っていた。たとえ側にはいられなくても。

 それなのに、突然二人は彼女の前から姿を消した。なんの前触れもなく……

 

 孤独と絶望感と不安、そして空腹・・・

 以前は当たり前だった事が耐え難くなった。

 

 

 それでも学問への努力を怠らなかったのは、いつか家を出て独立し、レナとノアを探すためだった。

 女が一人で市井で生き抜くためにはかなりの力を必要とする。その力を身につける為にはまず知識や知恵が必要だと。

 そして四年が経ち、独学で学園の特待生の試験に合格した直後、突然ミラージュジュの元にレオナルドとの婚約話が舞い込んできたのである。

 

 

「レオナルド様、以前から貴方は、婚約の顔合わせ以前から私を知っているとおっしゃっていましたが、私にはその記憶がありません。

 一体いつどこでお目にかかったのでしょうか?」

 

 ミラージュジュは前々から疑問に思っていた事をようやく口にした。

 

「君が『テイラー街の妖精』と呼ばれている頃に出会ったよ。

 君自身はそう呼ばれているなんて気付かなかったと思うけど」

 

 夫の言葉に妻は頭を傾げた。意味がさっぱりわからなかった。

 ただしテイラー街ならもちろん知っている。王都にある実家近くの通りの名前で、その通りを通ってほぼ毎日図書館へ出かけていたのだから。

 

 夫は思い出し笑いをしながらこう続けた。

 

「君は毎日のようにその通りを通っていただろう? 図書館へ通うために。

 君自身は多分無意識だったんだろうが、その通りを通る度に君は人助けをしていたんだよ。

 それでついた渾名が『テイラー街の妖精』だったんだ。

 そして僕も助けてもらった人間の一人というわけだ。君は覚えていないだろうけどね」

 

 人助けと言われて、ミラージュジュは再び頭を傾げた。そんな大層な事をした覚えがなかったからだ。

 

「奥様はどのような人助けをなさっていたのですか?」

 

 パークスが主にこう尋ねた。

 

「色々だよ。うーん、そうだね。

 たとえば道に迷って困っている人に道案内してあげたり……

 迷子に親を見つけてあげたり……

 落とし物をしてしまった人と一緒に探してあげたり……

 お金の計算に困っている人に教えてあげたり……

 具合の悪そうな人を医者のところへ連れて行ったり・・・」

 

「それって誰でもやっている普通の事ですよ。人助けってほどじゃないですよね?」

 

「いえ、そんな事はございません。そうそう出来る事ではありません。奥様は今もお屋敷の使用人にとても優しくして下さっていますが、お子様の頃からお優しかったのですね」

 

「えっ?!」

 

「そうなんだよ。しかもその上勇気があってね、行動力も凄かったんだよ」

 

「ほう! それはどんな風に?」

 

「スリを追いかけて木靴をぶつけて逃げられなくしたり、盗みをして逃げてくる犯人に足を引っ掛けて倒したり、年寄りを騙そうとしている奴に質問しまくって、そいつが嘘をついていると証明したり、女性や小さな子が乱暴されているのを助け出したり・・・」

 

「ほう、それは凄いですね。

 お淑やかな奥様がそんな事をなさっていたとはとても信じられません」

 

 パークスは心からそう思った。

 三年半前に初めて会った時から、ミラージュジュはとても大人しい静かな少女で、少しおどおどした感じであった。

 こんな娘が侯爵夫人としてやっていけるのか、正直不安になったものだった。 

 なにせ社交界は海千山千、魑魅魍魎の世界だからだ。

 ところが初の夜会でも堂々としていて王族や主の友人達からの評判も良かったと聞く。

 そして今回の事故に対する処置の仕方の手並みの素晴らしい事といったら。まだ十八の若妻の手腕とは思えないほど堂に入っていた。

 

 しかしこうして彼女の子供の頃の話を聞いてようやく納得した。

 彼女は世俗での荒事の場数を踏んでいたのだ。貴族令嬢の嫌がらせなどは気にもかけなかったのではないか?

 もっとも実際は自分はただのお飾りの侯爵夫人だと思われていたようだから、自信がなく辛い思いをされていたには違いないが……

 

「あの頃の私をご存知だったのですね。恥ずかしくて死にそうです。

 でもどうしてあんなじゃじゃ馬でとても貴族の娘とは思えない下賎な女と婚約したのですか?」

 

 ミラージュジュが真っ赤な顔をして夫に尋ねると、レオナルドは眉間に皺を寄せた。

 

「そんな風に自分を卑下する物言いをしてはいけない。

 君は昔も今も心優しく素敵な女の子だ。

 僕は自分の愛する女性が、たとえ本人の君からだったとしても貶されるのは許せない」

 

「旦那様?」

 

 夫の言葉に妻は瞠目した。

 

「僕はあの頃からずっと君が好きだった。

 だから君との婚約を認めて貰うために必死に努力をしたんだ。

 それなのに、あんな形で結婚せざるを得なかったのは、耐え難いものだったと思う。

 本当は全てを解決してから君と結婚式を挙げたいと思っていた筈だ。

 しかし、僕が契約破棄をして保守派から完全に抜けてからでは、君との結婚はライスリート伯爵家だけでなく、王家からの承認も得られなかっただろう。

 多分、僕はそれを恐れていたんだと思う。

 そして真実を隠したのは、やはり君を守りたかったからだと思う。

 僕の置かれた立場を知ったら、相手がたとえ王族だろうがなんだろうが、君は僕と一緒に戦おうとしたに違いないから。

 君は昔から人を助ける時には、自分の事など顧みないで行動するからね。

 さっきも君は人助けをしているつもりはなかったと言っていただろう? 

 つまり君は困っている人を助ける行為を無意識でやっているんだ。

 多分、君は育った環境のせいで、自分自身を大切にする事や、自分を守ろうという意識が乏しいのだろうね。

 だからこそ君はどんな危険な事にでも平気で突っ込んでしまう。

 僕はそれをどうにか防いで君を守りたかったのだと思う。

 だから、君には何も告げず、君に嫌われようとしたんだろう。僕は君を愛していたから。君が大切で絶対に失いたくなかったから……」

 

 レオナルドの真摯な言葉にミラージュジュの瞳からは涙が溢れてきた。

 

……貴女のことが愛おしくて堪らない。貴女の幸せを祈っていているわ……

 かつて家庭教師のアンジェラ先生がこう言ってくれた。

 

……貴女のことが大好きでとても大切よ……

 二人の親友も言ってくれた。

 

 これらの言葉はミラージュジュに初めて生きていていいんだと、免罪符を与えてくれた。

 

 しかし夫が今かけてくれた言葉は、生きていてもいいじゃなくて、生きていて欲しいという彼の望みだった。

 家族からも見捨てられたこんな自分を必要だと言ってくれたのは、夫が生まれて初めてだった。

 

 もういい。

 記憶が戻った時の事ばかり恐れて信じるのをやめようと思っていた。

 レオナルドを愛していると気付いてから、いつか失うくらいなら最初から望まない方がいい、と思ったのだ。

 でもいつ訪れるかわからない別れを恐れて今の気持ちを無碍にするなんて、それこそ愛する夫を苦しめる愚かな行為だ。

 

「レオナルド様。貴方の事を愛しています。そして貴方の言葉を信じます」

 

 ミラージュジュはそう言った。

 

「ああ! やっと、やっと君の口からその言葉を聞けた。ありがとう、ジュジュ、愛してる……」

 

 彼女を知ってから十年近く経って、レオナルドはずっと欲しいと望んでいた彼女からの愛の言葉をようやく手に入れたのだ。

 

 

 

読んで下さってありがうございました。

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