第二十四章 静かな怒り
誤字脱字報告いつもありがうございます。助かります。
「旦那様、どうして『真実の愛』などと軽々しく人は口に出来るのでしょう? そんなものは死ぬ時になってみないとわからないのに。
その証拠にアノ男は大怪我を負って死ぬかも知れない恋人を見殺しにしたんですよ?
『真実の愛』という言葉だけを信じて友も作らず、親兄弟を捨て、やっと見つけた安住の場であった修道院を出て、他人の愛人の振りをさせられ、滅多に会えない恋人をただひたすら待ち続けた、そんな女性を見捨てて自分だけ逃げ出したんです、アノ男は! 何回彼女の心を殺せば気がすむんですか?」
静かな口調だった。
しかしそこからは彼女の激しい怒りが伝わってきた。レオナルドは何も言わずに妻を強く抱き締めた。
ミラージュジュは子供の頃から溢れる感情の持ち主だった。しかしそれと同時にそれを胸にしまい込むのが上手だった。そうしないと、あの家では暮らせなかったからだ。
ラナキュラスの死を知ってまだ心の整理も出来ない内に、ミラージュジュの前にアノ男が現れた。
突然の訪問だったがそれでも前々から想定していた通り、彼女は第二王子に対応していた。
夫は、妻の感情のコントロール能力の高さに驚くと共に、これまで彼女が置かれていた環境の残酷さに憤りを感じた。
そして、病院で目が覚めたあの瞬間を思い出した。ミラージュジュはあらゆる感情の籠もった表情をしてレオナルドを見つめていた。
最初はホッと安堵し、それから、喜び、驚き、悲しみ、戸惑い、恥じらい、そして不安・・・
それが彼には不思議だった。
彼の記憶の婚約中の彼女は、確かに微笑みを浮かべてはいたが、いつも下を向き、儚げな表情をしていたからだ。
子供の頃に出会った時のような喜怒哀楽の表情は一切無くなっていた。
いつか自分は、彼女が素直に感情を表に出せるような、彼女が信用して本心を語れるようなそんな相手になりたい。そうレオナルドは思っていた。
それなのに、あの時既に目の前のミラージュジュは、レオナルドの前でコロコロと表情を変えていた。
しかもその後すぐに、自分は彼女にした仕打ちを知らされて戸惑ったのだ。
そんなに酷い事をした自分に、何故彼女はそんなにも心の内を見せてくれるのかと。
しかし今日、王子アダムスに対する彼女の冷めた態度を見てこう思った。こんな時に何だけれど、もしかしたら彼女は自分の事を少しは信用してくれているのかも、と微かな期待を抱いてしまった。自惚れかも知れないと思いつつも。
彼はミラージュジュが結婚初夜には既にレオナルドの前で涙をこぼしていた事を覚えていなかったのだ。
ミラージュジュ自身気付いていなかったが、彼女の心の制御装置を壊せるのはレオナルドだけだった。
婚約してすぐに隣国へ赴任してしまったレオナルドは婚約者とは三年間ほとんど会えなかった。
少しでも二人の距離を縮めようとまめに手紙を書き、贈り物も贈ったが、彼女が自分に恋愛感情を持っているとは露にも思ってはいなかった。
だからあんな馬鹿げた契約結婚の話を持ちかけたのだ。今のうちなら自分を嫌って憎むだけで、それほど彼女を傷付けなくてすむのではないかと。
そしてその後解決の目処が立ったら正直に事の顛末を説明し、土下座でも何でもして、時間をかけて彼女に許しを請おうと。
本当に、本当に愚かだった。
ミラージュジュは手紙のやり取りをしている内に、レオナルドを知らず知らずのうちに愛し始めていた。
だからこそ、彼女は夫からの仕打ちに打ちのめされ、その感情を覆い隠すことが出来ずに涙を流したのだった。
そしてそんな彼女の感情の変化に気付いたからこそ、レオナルドは早くこの状況を打開しなければと焦ったのだ。
もし彼女の心が自分に開きかけているのだとしたら、このまま彼女を騙し続けていたら、きっと取り返しのつかない事になってしまうと。
だからあの日レオナルドは、契約を破棄する事を通告する為にあの保養地に向かったのだ。第二王子の視察に合わせて。
それは仕事に復帰後に調べた結果、あの事故の日、第二王子があの保養地のある地域へ視察に出かけるのに合わせて、急遽レオナルドが休みを取っていた事がわかったのだ。
いつもは強制的に取らされていた休暇だったが、この休暇申請は違っていた。
自分で言うのも何だが、石橋を叩いて渡るどころか、叩き過ぎて橋を壊してしまうと姉達から馬鹿にされている慎重な自分が、よくあんな無鉄砲な行動を取ったものだとレオナルドは呆れた。
その挙げ句こんな事故というか、事件に巻き込まれて記憶喪失になってしまった訳だが、結果としてはそう悪くはないと彼は思っていた。
何故なら最大の問題だった妻ミラージュジュとの関係が、『最悪』の状態から脱する事が出来たのだから。
あのまま、事の解決などを悠長に待っていたら、多分二人の関係は修復出来なくなってしまっていただろう。
そして彼ではない別の者、彼同様に彼女を思う者に奪われてしまったに違いない・・・
もしそうなっていたら、彼女がどんな辛い目に遭おうとも、こうやって抱き締める事は出来なかっただろう。
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十日の休養が終わり、再び王城勤めを再開したレオナルドは、パークスとミラージュジュのレクチャーや、同僚達の援助のおかげで、それほど仕事に支障をきたさずにすんだ。
その上、嫌な奴や避けたい人物を忘れてしまった振りをして避ける事が出来たので、スムーズに人間関係を整理する事が出来て都合が良かった。
しかも王室関係者も随分と気にかけて、まめに声をかけてくれるので、こちらが動かなくても色々と彼らの動向を観察する事が出来た。
レオナルドは隣国に赴任した際、母国から離れて初めて自国にいくつか大きな問題点がある事に気が付いた。
それは王族内の勢力争いと、国と教会のあり方についてだった。
しかしその後、それらの問題に対して自分がどう行動したのかは全く覚えていなかった。
ただこうやって本国に戻ってみると、昔考えていた疑惑が何一つ解決されていなかった事だけはわかった。
そして疑惑を抱いていた人物達と接触していると、昔抱いていた不確かな疑問や疑惑が正しかったのだと思えてきた。
レオナルドの記憶が本当に失われているのかを確かめるために、彼らはあちらから寄ってきて、自分達しか知らない事柄を態々自ら言いに来るのだ。
多くの情報を自ら提供しているという事を、彼らが気付いていない事にレオナルドは笑えた。
こういうのを墓穴を掘ると言うのではないだろうか…
そして第二王子は相変わらずレオナルドと目を合わすと挙動不審だった。この王子の態度を見ているうちに、レオナルドはふとこう思った。
今回の事故は、当初自分達が想定していたものとは違うのではないかと。
「旦那様はあの暗殺計画は、正妃殿下や王子妃殿下ではないと思われるのですね?」
退院後、定例となった執務室での報告会でパークスがこう尋ねると、主は大きく頷いた。
「ラナキュラス嬢に付いていたメイドと護衛は隣国の人間だが、それは建前で我が国と繋がりがあるのは間違いない。リリアナを見ればわかるだろう?
まあリリアナに聞けば誰の派閥の人間についているのかはっきりするだろうが。
まあそれはともかく、今回の件、正妃殿下が息子を本当に殺すならもっと上手い手を使うと思う」
「つまり旦那様は今回の件に正妃様は関与されていないとお考えなんですね?」
「ああ。それに王子妃殿下も。正妃殿下と手を組まないと、彼女にはまだ『黒い二本線』を動かせないからね」
「なるほど。それでは……」
「まあ、はっきりとした確証はないけどね。やはりあのトムとかいう殿下の護衛が、本当は誰の下についているのかを明らかにしないとな。
相変わらずだんまりなんだろう?」
「ええ。さすが王家の犬ですね。たとえ拷問しても吐かないでしょうから、そんな無駄な事はしていませんが」
パークスはため息をついた。
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