第二十二章 恥知らずな訪問者
馬鹿王子が登場します!
イラッとするかもしれません。
レオナルドが自宅療養を始めて数日経つと、次々と見舞いに来たいという貴族達からの手紙が届けられた。しかし、
『未だに記憶が戻らず、その為に時折精神不安定に陥るため、当分ご遠慮させて頂きます。ご心配して頂いております事、心より感謝いたします』
という返事を返していた。
ところが何度断っても面会を申し込んでくる者がいた。そう。第二王子のアダムスだった。
事故当日の事、そしてその後の経過を知りたいのだろう。
見殺しにした愛人の事情を知って今更どうしようというのだ。まさかまたよりを戻そうとでも思っているのだろうか?
常識では考えられない事だが、この王子ならあり得ると当主夫妻と執事は思っていた。
そして休暇も残りあと一日になった日の午後に、先触れも無しに突然アダムス王子がザクリーム家にやって来た。
いくら手紙を出しても断られ、先触れも拒否されたので強行突破してきたのであろう。
「見舞いはご遠慮したいと何度も申し上げたのですが、この度はどんな御用でしょうか?」
侯爵がこう尋ねると、第二王子殿下はチラチラと侯爵夫人の方を見たが、夫妻はそれを無視した。そして王子の答えを待っているかのように目線を下ろしてただ黙っていた。
「侯爵と話をしたいので奥方には下がっていてもらえないだろうか?」
「申し訳ありませんが、夫は記憶がまだ戻らず、いつ精神が不安定になるかわかりません。殿下に失礼な事をしないとも限りませんので、お二人きりにする訳にはいかないのです。医師にも身内が必ず付きそっているようにと指示を受けておりますし」
夫人の言葉に王子はイライラし始めた。しかし先触れもなく突然上がり込んできた客など、たとえ王族であろうが、侯爵家が言いなりになる必要などない。
「本当に極秘の内容なのだ。二人きりで話をしたい。頼む」
王子は頭を下げた。しかしそれを見ても夫婦は冷めた目で見つめていた。
この王族とは思えない身勝手な男のせいで、二人の新婚生活は最低最悪のものだったのだ。互いに思い合い、長いこと待ち望んでいた結婚であったのに。
その上一歩間違えれば夫は亡くなっていたかも知れないのだ。そして実際に命は助かったが、二年間の記憶は未だに戻らない。この記憶が戻らない限り、二人の中にある靄は完全には消え去る事はないだろう。
それなのに、その諸悪の根源が送りつけてきた手紙には、謝罪の言葉など一切なく、ただ自分の知りたい情報を得たいがための訪問を要請してきただけである。
「殿下、私と妻は一心同体、全ての情報を共有しています。それ故に妻に聞かせられないようなお話は私もお聞き出来ません」
レオナルドがはっきりとこう言うと、王子は目を見開き青褪めた。
「君はあの契約の内容を細君に教えたのか? あれは第三者には話をしてはいけないと言ってあったであろう?」
「えっ? 契約とは一体なんの話なのですか? その契約とはいつ結ばれたのでしょう? 二年近く前ですか? 申し訳ありません。二年間の記憶を喪失していますので、その契約やお約束を覚えておりません。
殿下との契約とは一体どんな内容だったのでしょうか?」
侯爵がそう尋ねると、王子は絶句した。
ザクリーム侯爵が落石事故に合い、一部の記憶を喪失したと聞いてはいたが、まさか直近の二年間の記憶を無くしていたとは。
自分の恋人を自分に代わって面倒を見るという契約を、まさか目の前の男が忘れてしまったとは!(正確には彼の父親とだが……)
「君が事故に遭う前にここを訪れた時に、その…細君の前では言いにくいのだが、君の愛人の顔を見かけたのだが、その者は今どうしておるのだろう?」
王子が馬鹿な質問をしてきた。どこの世界に客が訪問先の当主に、しかも細君のいる前で、当主の愛人の事を質問してくる人間がいるのだ。
「愛人? なんですかそれは。いくら王子殿下とはいえ失礼ではないですか。
私は妻を愛しております。妻以外に愛人など持つ訳がありません」
「し、しかし、この屋敷にはラリーナという女性が居ただろう? 君が隣国から連れ帰ってきた女性だ」
「ああ、ラリーナですか。よくうちのメイドの名前までご存知ですね。
確かにそんな名前のメイドがいたようですが、私は生憎覚えていないんですよ。しかし、何故そのメイドを私の愛人だなんて思われたのですか?」
「えっ? いやその…… 君が彼女と親しげにしていたので、そうなのかなと…」
王子はしどろもどろだ。あまりにも頭が悪過ぎて、相手にするのも鬱陶しい男だ。
こんな馬鹿者が真面目に生徒会に来ていたとしても、何の役にも立ちはしなかっただろう、そう過去を振り返って夫妻は思った。
「私は妻がいるのに使用人に色目を使うような人間ではありませんよ」
侯爵の言葉が真実であると実際にわかっている王子は、完全に途方に暮れた。
「まさかと思いますが、殿下はうちのメイドに目を付けられたという訳ではありませんよね?」
「まさか……違うよ、もちろん」
「そうですか? それならいいのですが。
ちなみにそのメイドはこの屋敷にはおりません」
「えっ? クビにしたのか?」
「いえ、怪我をして入院しているんですよ。乗っていた馬車に落石が落ちてきましてね。私と同様です。偶然ですかね?
どうも恋人と一緒だったらしいのですが、その男は自分だけ逃げ出して助けも呼ばなかったそうです。
可哀想にそれで内臓をやられて大きな手術をしたんです。短くてもあと半月は入院しないといけないようです。
もっと早く助けが来ていたら、あそこまで酷くならずに済んだのにと医者に言われたそうですよ」
王子の顔色がますます悪くなっていた。
「仕事中ではなく私的な旅行で負った怪我ですから、本来当家がそこまでしてやる必要はないのですが、気の毒なので治療費は出してやるつもりです。しかし、それ以上面倒を見るつもりはありません。辞めてもらうつもりです」
侯爵がこう言うと、王子はオロオロしだした。そして再び最初の問答になった。
「クビにするのは駄目だ。契約違反だろう!」
「だから何の契約なんですか!」
「あっ・・・」
「殿下が何をおっしゃりたいのかさっぱりわかりません。申し訳ありませんが、疲れてしまったので、お引取り願えないでしょうか」
侯爵にこう言われては為す術もない。王子はすごすごと帰って行った。
侯爵夫妻は上手く事が運んでホッとすると同時に、あまりにも愚かな王子とのやり取りに、本当に疲れ切ってしまった。
「学生時代はそれほど付き合いはなかったが、まさかあれほど無能な人間だったとは思いもしなかった。
記憶を無くしていた二年間、あんなのと接していたのかと思うと、我ながら大変だったろうと思う」
夫の呟きに妻も頷いた。
「学生時代、婚約者のマリア公爵令嬢がいらしたのに、ラナキュラス男爵令嬢に夢中になっていらしたので、ご自分の立場が理解出来ない方なんだなとは思っていました。
しかし成人になって、しかも結婚してお子様もいらっしゃるのに、ご自分の立場も弁えられないなんて、もはや害悪ですね……」
「案外言うね、君」
「がっかりされましたか? 私の事を親の言いなりの大人しい女だと思っていらしたのなら、申し訳ありません」
「がっかりなんかするわけないよ。君が芯の強い女性だという事はわかっているし、そんなところが好きだから」
妻は思いがけない夫の言葉に驚いた。わざとおとなしいふりをしていたわけではないが、強い面を見せたつもりもなかったので。
「僕の入院中の君の差配は素晴らしかったとパークス達から聞いているよ。昔と変わっていないなと嬉しかったよ」
夫の言っている意味がよくわからず、妻は首を捻ったのだった。
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