第十九章 使用人達の願い
この章はザクリーム侯爵の使用人達の話です。
両親は両家とも問題ありですが、ヒロインの実家とは違い、こちらは皆良い人達です!
屋敷に戻ったその夜、ミラージュジュとレオナルドは初めて同じベッドで眠った。
姉達がいるので、さすがに別々の部屋で眠る訳にはいかなかった。
義姉達の覚悟を聞いてしまった以上、妻は夫を再び悪者にするのは気が引けたのだ。
夫は当然いつものようにソファーで眠ると言ったが、まだ怪我も完治していない夫をそんな所で寝かすわけにはいかない。自分がそのソファーで寝ると妻が言えば、大切な女性をそんな所では絶対に寝かせない、そう夫が言ってどこまでも平行線だった。
そこで仕方なく同じベッドで寝る事にしたのだ。もちろんベッドの真ん中に、陶器の大きな花瓶を縦にいくつか重ねて寝かせるように置いたのだが。
ずっとずっと思い続けてきた愛しいミラージュジュとようやく結婚して、こうして同じベッドに横になったというのに、手に触れる事さえ出来ない。
もしかしたら手を握るくらいは許されるかも知れないが、それをしたら今度はそれ以上の事を望み、その結果妻に軽蔑されるのは火を見るより明らかだ。
記憶をなくす前の己を罵りながら、夫は一晩中藻掻き苦しんだのだった。
それに比べてずっと寝不足だった妻はすぐに熟睡してしまった。初めて見る妻の寝顔はまるで天使のように清らかで愛おしかった。
翌日、姉達は改革派の動向をそれとなく探ってみると言い残して帰って行った。
そしてザクリーム侯爵家の屋敷では、使用人全員がエントランスに集められ、パークスから虚実入り混じったこんな話を聞かされた。
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主の愛人とされていたラリーナ=ホールスは、実はとある高貴な方の落とし子で、前当主が彼女の保護を依頼された。
そしてその令嬢の身元が詮索される事を避けるために、彼女を息子の愛人という事にして屋敷に住まわせる事にした。
しかし新しく当主となった息子には元々婚約者がおり、予定通りに結婚式を挙げた。しかしその際も父親と高貴な方との約束の為に、彼は自分とラリーナ嬢は偽りの愛人関係である、そう妻に知らせる事が出来なかった。
そのせいで夫婦間がギクシャクし始め、妻を愛する当主はそれに耐えらなくなった。そこでラリーナ嬢を元々の依頼人である両親に託そうと領地へ連れて行こうとした。
しかし、その途中で落石事故に巻き込まれた。
ラリーナ嬢は腹部に岩が当たって内臓破裂の大怪我。そして当主も頭に怪我をして、事故当日以前の二年間の記憶を失ってしまった。
ところが!である。なんとこれは単なる自然災害による事故ではなく、故意に仕掛けられた事故であったのだ。
護衛のジャックスが事故直後に怪我をしている怪しい人物を捕まえた。
その後、落石現場を調べてみると、発破をかけて岩が崩れやすい状態にしてあった事がわかった。
しかもそこにはある高貴な方の家の紋章入りのハンカチーフが落ちていた。令嬢の存在を疎ましく思っていた令嬢の実父の正妻による犯行に違いない。
しかしその実行犯と思われる男は『トム』と名乗っただけで一切何も喋ろうとはしない。
そこで骨折しているその男を一緒に屋敷に連れて帰り、予め改装しておいたヴィラに閉じ込めた。
口封じに、殺されて証拠隠滅されないようにするためだ。
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ラリーナ=ホールスが男爵令嬢ラナキュラス=ボンズであるという事実は言わなかった。
もちろん彼女が第二王子アダムスの愛人だということも。
そしてその王子と愛人が王家の手の者によって暗殺されかけ、当主が巻き添えになった事も。
本当はただの事故だった事にしてこの件を表に出したくはなかった。
しかし、王家の護衛である自称トムを屋敷内に幽閉しなくてはならないので、その行為の正当性が必要だった。
それにいつ王家の陰の者達が仕掛けてくるかも知れないので、使用人達にもそれなりの緊張感を持つ必要があるとパークスは思ったのだった。
その芝居がかった執事の話に、皆はポカンとしたが、この一週間の侯爵家の急激な変化を目の当たりにして、あり得ない話ではないかも……と思った。
そして聡い者達は、その高貴な人が誰なのかがすぐにわかった。
前当主はガチガチの保守伝統派で、しかも侯爵家に私的な命令を下せるといったら、それはもう王族くらいしかいない。
しかも、以前はなかった第二王子の来訪を考えれば、彼の要件がラリーナに会う為だという事がバレバレじゃないか!
つまりは彼女は高貴な人の落し子なんかではなく、単なる王子の愛人なんだろうと。
もちろんそんな疑惑は誰も絶対に口には出さなかったが。
それにしてもなんて酷い話なんだと使用人達は思った。
自分の愛人を結婚間近な臣下に面倒を見させ、妻である妃の目を盗んで逢瀬をする為に、その臣下の元を度々訪れるとは。
そしてその挙げ句に臣下を暗殺事件に巻き込み、怪我をさせて記憶まで失わせるなんてあんまりな話だ。
臣下である当主は好き好んでそんな事をしていた訳ではないのに、妻とは当然上手く行かなくなるし、第二王子妃様には逆恨みされるだろうし、踏んだり蹴ったりだ。
屋敷の者達はずっと主の事を快く思っていなかった。優しくて健気で一生懸命侯爵家の為に努力している奥様に、氷のように冷たく接していたからだ。
それなのに囲っている愛人には、専用の侍女や警護の者まで付けて大層大切にして。
しかしそれは、前当主の命令で不本意ながら従うしかなかっただけなのだ。
憎むべきは王族と前当主だった。
レオナルドが病院から屋敷に戻ってきてから、使用人達の態度というか見る目が変わったとミラージュジュは感じた。いや、変わったというよりは元に戻ったと言った方が正しいのかも知れない。
とはいえ、今度は別の意味で当主の以前とは違う態度に、使用人達は少々戸惑っているようにも見えた。
それはそうだろう。
当主の妻への愛情表現があまりにもストレートになったからだ。
とは言え、当主が顔合わせ以前から妻(婚約者)となるミラージュジュを知っていて、ずっと彼女を思っていたという事を屋敷の者達は大体皆察していた。
しのぶれど色に出にけり……というやつだ。
普段どんなに多くの女性に囲まれていてもいつも無表情で、女性には一向に興味を示さなかった彼が、時折、思いに耽る時があったのだ。
その時はまだ少年だったというのに、仄かに色気を伴っていたので、侍女達はそれをネタに大いに盛り上がっていた。
そして父親と同じ派閥のとあるご令嬢との顔合わせが決まってからというもの、彼はソワソワして落ち着きがなくなった。
客間の装飾を気にして可愛らしい花を飾るように指示したり、薔薇園の手入れを庭師に命じたり、デザートは当時一番人気の物がいいという希望を出したり・・・
そして、その顔合わせの日の令息は朝から喜色満面な様子だった。
薔薇園の中にあるガゼボで顔合わせが行われ、侍女がお茶と焼き菓子を運んで行った。すると、屋敷の坊ちゃまが黄金色に光り輝いていて、お相手のご令嬢が眩し過ぎて戸惑っていたそうだ。
親の圧力に押し潰され、せっかく美しく華やいだ顔立ちをしているというのに、すっかり表情筋を無くしてしまっていた少年。
感情を無くしてしまったのではないかと思えるほど目の輝きをなくしていた少年。
その彼が心から微笑む事の出来る相手を見つけられた事に、使用人達は心底ホッとした。
そして二人が無事結ばれるようにと心から願った。
そんな経緯があったので、ミラージュジュは婚約していた三年間、ザクリーム家に訪れる度に屋敷の者達から温かく迎えられていたのだ。
しかし、結婚して屋敷に住むようになるまで、残念な事に彼女はその事に気が付く事はなかった。
それは婚約している時、彼女はレオナルドの眩し過ぎるその美しい顔を直視出来ずに、ずっと俯いてばかりだったからだ。
そして、婚約者が隣国へ赴任してしまってからは、彼女の相手をしてくれていたのが、その婚約者の嫁いでいたあの義姉達だったせいでもある。
彼女達は最愛の弟から、母親である侯爵夫人の苛めや嫌味から婚約者を守って欲しいと懇願されていた。
それ故にミラージュジュは、美しすぎる二人の淑女に見惚れていたために、他所へ気が回らなかったのだった。
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