第十六章 姉達の事情
ザクリーム侯爵家の姉弟の話です。
辛い思いをしている人こそ明るく振る舞うものだ、という事がわかります!
そして事故から十日後、ミラージュジュ達は記憶喪失のままのレオナルドや、足を骨折してギプスをした身元不明のトム、護衛ジャックスを連れて王都の屋敷に戻った。
前触れを出しておいたので、二人の姉達が待っていて、弟を見つけると挨拶もそこそこに飛び着いてきた。
このところ弟に嫌悪する様子しか見ていなかったが、元々仲の良い姉弟だったのだ。事故にあったと聞いて、さぞかし心配していただろう。そうミラージュジュは思った。
「まあ、私達の大切な芸術品に傷を付けるなんて、何て事をしたの、貴方は……これはきちんと修復できるの?」
「街道の管理はどうなっているの? 領主に慰謝料請求をしなければならないわ。貴重な国宝に傷を付けるなんて!」
「姉上方、人を物扱いするのは止めて下さい…」
見慣れた光景なのか、屋敷の者達は皆スルーしていたが、ミラージュジュはびっくりしてそのやり取りを見ていた。
そして兄弟というものはこういうものなんだと、とても感心した。言いたい事を言い合いながらも、ちゃんとお互いを思いやっている。
いつか自分もこの中に入っていければいいなと思った。ただ、夫の記憶が戻ったら、それが不可能になる恐れもあるけれど。
長旅の疲れを取るために昼食後に午睡を取った。それから盗聴防止が完璧な客間で、夕食代わりの軽食をつまみながら、皆で話し合いを持った。
侍女頭のマーラは自分がこの場にいて良いのかと躊躇したが、
「迷惑をかけてしまうかも知れないが、出来れば一緒に話し合いに加わって、これから協力をしてもらいたい。
記憶を無くす前の僕は、迷惑をかけたくないと、誰にも告げずにいたようだが、結局こうやってみんなに迷惑をかけてしまった。
同じ過ちを繰り返したくはないので、信頼出来る者達には素直に助けを求める事にしたんだ。
だめかい? マーラ?」
すると彼女は頭を振った。
「レオナルド様が隣国から帰国なさってから、突然性格がお変わりになって、その理由がわからずずっと苦慮して参りました。奥様に対する態度もあんまりでしたので。
何か訳があるに違いない。いつか話して頂ける筈だとパークス様とも話し合い、これまで私達は旦那様に従ってまいりました。
ですから理由を聞かせて頂けるなら、こんなに嬉しい事はございません」
マーラは現当主の子供の頃から勤めており、パークス同様、親代わりと言ってもよい存在だった。
そんな彼らにも秘密にしてしまった事をレオナルドは申し訳なく思った。だがそれは妻が言った通り、大切な人だったからこそ黙っていたのだろうと彼は思った。
「おかしい、おかしいと思ってはいたのよ。くそ真面目な貴方が愛人を作って、しかも自宅に引き入れる真似をするなんて。それに私達に絶対に会わせなかったし」
マーラに続いて一番上の姉がこう言った。
「全くよ。ストーカーのようにジュジュちゃん一筋だったのに、愛人作ったなんて青天の霹靂だったわ。しかも、愛人を屋敷に囲ったまま、結婚すると聞いた時は、完全に頭がおかしくなったんだと思ったわ」
その後で二番目の姉もこう言った。
「そうそう。その挙げ句、夜会での新妻にあのドレス……真剣に頭を足で蹴りつけてやろうかと思ったわ」
「お姉様、それはいくらなんでも。拳で殴るくらいにして下さい」
「それは無理よ。この子案外石頭だから、手を使ったら痛いじゃないの」
「殴った事あるんですか?」
「そんなに怖い顔をしないで。子供の頃の話じゃない!」
「いや、寧ろあんな天使みたいだった愛らしいレオをよく殴れましたね?」
「いや、貴方にばかりレオナルドが懐いていたからつい嫉妬して……」
「お姉様!」
「コホン・・・」
パークスがわざとらしく咳をしたので、ようやく姉妹は大人しくなった。
パークスはセンターテーブルの上を片付けさせた後、書類を広げた。
「これは第二王子アダムス殿下と前ザクリーム侯爵様との間で交わされた契約書です」
彼はまずはそう言って、書類の内容について説明をした。
✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤
乙は隣国との境にある修道院から、ラナキュラス=ボンズを引き取り、その存在を一度消す為に隣国に連れて行き、平民としての新しい国籍を取らせること・・・
乙の息子である外交官のメイドとして彼女を雇い入れること・・・
外交官が帰国する際は愛人として連れ帰って、必ず屋敷内に住まわせて面倒を見ること・・・
彼女に甲以外の男を一切近づけないこと・・・
彼女の存在を絶対に外へは漏らさぬこと・・・
ラナキュラス=ボンズ改めラリーナ=ホールスに係る一切の費用は甲が持つこと・・・
甲が乙宅を訪問する際は、いつ何時でも応じ、決して邪魔をしないこと・・・
たまに外での逢瀬を楽しむ時は乙の息子がそれに同行すること・・・
この契約を守る限り、甲は乙の我が陣営における地位を保証し、それに見合う役職を与えること・・・
✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤
暫く客間の中では誰一人口を開く者がおらず、シーンとしていた。
しかし、ようやく上の姉であるスージーが重い口を開いた。
「なんなの、この馬鹿丸出しの契約書は・・・
自分の地位を守る為に自宅を娼館として提供したってわけ?」
「名門侯爵家だと普段から鼻高々に威張っていたくせに、こんなゲスな真似をしないとやっていけないほど能無しだったの? お父様は?」
「いえ、能無しって事もなかったですよ、カレン姉様。
内務省の仕事はそこそこ卒なくこなしていたようですよ。
ただ王家に対する盲目的忠誠心故に、世間一般的な常識が喪失していただけで。
父を含め多くの保守伝統派にとっての誇りとは、王族の命に従う事だと思い込んでいて、視野狭窄に陥っているんです」
レオナルドの言葉にその場にいる全員が顔を顰めた。
貴族が国全体を見ずに王家を守る事だけを考えていたら、そもそもその王家を守れないのではないだろうか?
王家というものは国を、民を守るために存在するのだから。王家が好き勝手をしていたら、国民には支持をされなくなるだろう。
国の中枢を担う貴族達がそんな当たり前の事さえわからないなんて、この国は大丈夫なのだろうか?
ミラージュジュは、夫が保守伝統派から密かに抜けようとしている訳がようやくわかった。
それにしても、保守伝統派の人達って家代々洗脳されているのだろうか?
夫の両親然り、実家の両親や兄然り。
両親の異常な考え方を思い出して、ミラージュジュは思わず身震いをした。
青ざめて震え出した妻の肩を、夫が優しく自分の方へ引き寄せた。
妻は契約書の内容のショックが大き過ぎて、されるままになっていて、周りから生暖かい目で見つめられている事に気付かなかった。
「それにしたって、王子の愛人を自分の嫡男の愛人にしようだなんて、狂ってるわ。しかもその上で体裁整える為に正妻を持たせるなんて」
「もしジュジュにばれても、同じ保守伝統派の娘だから文句を言い出さないと踏んだのじゃない?
馬鹿よね、両親もライスリード伯爵夫妻も。
一見服従しているように見せかけているけど、レオもジュジュもこちら側の人間だっていうのに」
「スージー姉様、僕達は別に革新派ではありませんよ」
「そんな事はわかっているわよ。それに私もカレンも別に革新派って訳じゃないもの」
「えっ、そうなんですか? だっていつも姉上達が僕に革新派になれって勧誘していたとパークスから聞きましたが…」
「それは建前よ。夫達に言われてパフォーマンスしていただけ。
古い既成概念ぶち壊して国を改革するって意気込んでいるけど、あの人達だって、大したビジョン持っている訳じゃないわ。
格上の夫達が態々反勢力側の私達を望んだのも、派閥の人寄せのために過ぎないもの」
カレンの言葉に弟夫妻は目を見開いた。
「そして私達を革新派の陣営に入れてしまえば、仲の良い弟の貴方も引き入れられんじゃないかと算段したのよ。
国一番の家宝、生きた黄金を手に入れさえすれば、自分達が実権を握れるって。浅知恵よね。レオがその手に乗る訳がないのに」
「スージー姉上・・・」
記憶を失う前の自分は、姉達のこの状況をちゃんと把握していたのだろうか……
レオナルドの胸が酷く痛んだ。
読んで下さってありがとうございました!
今日は七夕ですが、天の川は見えなそうです。梅雨ですからね。
この日は滅多に晴れませんね。
これからも読んで下さると嬉しいです!




