第百章 初恋の終わり
欧州では王位を生前譲渡する事はあまりないので、退位した王族の呼び名はないそうです。
ですから、皇太后はあっても王太后という言葉はないようなのですが、お話の便宜上使っています。
それと引退しても前国王も陛下と呼ばれるようなので、この話でもそう呼んでいます。
国王はミラージュジュを見た瞬間、もっとも信頼し頼りにしていた人物に裏切られていた事を知ってショックを受けた。
いや、正確に言えば彼は真実を報告をしていたのだから、裏切りとは言えないのだが。
そう。宰相が言っていた通りに初恋の相手は結婚していた。しかし彼女の結婚相手は、この一年毎日のように顔を会わせていた男。自分がもっともその力を評価をし、頼りにしている参謀だった。
今更だが、彼は自分よりも前に彼女と知り合い、彼女と結婚するために全能力を傾けていたのだから、自分などが敵う訳もなかった。
人には探させていたが自ら積極的に動いていた訳ではなかったのだから。
それにそもそも見つけられていたとしたら一体どうするつもりだったのだ。自分には既に妻がいたというのに。
側妃にでもするつもりだったのか? 彼女を蔑ろにするような事は無意識に排除して、自分では考えないようにしていたが……
もし、彼女を見つけ出していたら、すぐに周りが動き出してあのライスリードに命じただろう。そしてあの男は王太子のためならばと、たとえそれが側妃だろうが寵姫だろうが躊躇う事はしなかっただろう。娘の気持ちなど全く慮る事なく、レオナルドとの婚約を破棄し、すぐに自分に差し出してきただろう。
そう想像しただけでそのおぞましさで体が震えた。もしそうなっていたら、彼女の今の輝くような笑顔はなかったに違いない。まるで人形のような顔の彼女しか見る事は出来なかっただろう。
そして大切な仕事のパートナーを得る事は出来ずに、ヴェオリア公爵家の傀儡の王として、今ここに居た事だろう。
「貴方は最初からこの勝負に負けていたんですよ。何度も顔を合わせていたのに、貴方はジュジュに気付かなったのですから。つまり、そう言う事です。
彼はね、彼女がどんな姿をしていても彼女を見つけられたと思いますよ。まあ、見つけるだけなら僕も出来たでしょうが、僕では彼女を守り切る事は出来なかったでしょう……」
珍しくノアの方からローバートに近付い来て、耳元でこう囁いた。
『ああ、お前もなのか? いや、お前の方がずっと彼女の側にいて秘めた想いに耐えてきたのか……』
国王は弟の心の内を初めて見せてもらえたような気がした。
そして、最後に未練がましいとも思ったが、ミラージュジュにこう呼びかけてみた。
「ミージュ……」
せめて気付いて欲しい、覚えていて欲しいという切ない想いを込めながら。
すると彼女はこれでもかというほど目を見開いて国王の顔を見つめた。そしてそれから呆然とした表情でこう尋ねた。
「陛下はもしかして、マックス様ですか?」
ああ、覚えていてくれた! もう八年も昔に、一月ほどの交流しかなかったのに。
「ああ。そうだ。忘れられているかと思っていたよ」
「まさか、忘れたりする訳がありませんわ。親友と会えなくなった私を元気付けて下さった方ですも。
それに、いつか友達に会えた時に彼女達の役に立てるように勉強しなさいと言って、素敵な万年筆を下さったではないですか。
私は今でもあの万年筆を大切にしています。そして、あの言葉のおかげで、私は親友二人の役に少しは立てる人間になれました。
本当にありがとうございました。
でも、いつ私があのミージュだと気付かれたのですか?」
「今さっきだよ。
でも、夢が叶っていて良かったよ。親友二人を見つけられたんだね」
ミラージュジュはそれを聞いて、パッと顔を綻ばせた。
「はい。ありがとうございます」
その彼女の微笑みはそのドレスやアクセサリーのゴールドの輝きに相まって、眩いほど輝いていた。
そしてその傍らで、レオナルドとノアは思った。
『万年筆・・・
ジュジュがずっと愛用していたあの万年筆はあの男からの贈り物だったのか、クソッ!
なんて自分はプレゼントのセンスがないんだ……』
と。そして歯ぎしりをして悔しがったのだった。
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そして宴が盛り上がってきて、各自が自由に懇談をし始めた頃、ミラージュジュは義姉達と共に王太后と国王の婚約者である王女の元に呼ばれた。
そこにはいずれ婦人部の代表となる予定のアンジェラや、マリア、ミカリナがいた。
「この度はザクリーム侯爵家の皆様には本当に感謝しています。皆様のお力がなかったら、この改革は成功せず、遅かれ早かれ、西の国のように滅びの一途を辿った事でしょう」
「過分なお言葉をありがとうございます。身に余る光栄に存じます」
ミラージュジュと義姉二人は揃って素晴らしいカーテシーをした。
「過分どころではないわ。本当の事よ。私が嫁いで三十年近くかかっても実現出来なかった事が、この数年で達成されたのだから」
「それは王太后様が改革の下地を作っていらしたからこそです。
王太后様がおられたからこそ今この国が存在するのだと、常々夫が申しております」
「まあ、お口がお上手ね」
「王太后様、彼女は上辺だけのおべっかやゴマすりは申しません。
特殊な家庭環境に育ったために、伯爵令嬢であるのに社交の場に出ておりませんでしたので、媚びへつらう仕方を知りませんの」
スージーが言った。すると、アンジェラもそれに続けた。
「その通りです。彼女は家族から育児放棄されていましたので。
ですから私が彼女に生きる術を最低限を教え込みました。
ですが残念な事に三年間しか側にはいられませんでしたから、社交術までは教えられませんでした」
そしてマリアも笑いながら言った。
「その通りですわ、お義母様。
学園時代は彼女とは生徒会でご一緒でしたが、普段はとてもおとなしいのに、間違いや無駄があると、相手が誰だろうとビシバシ指摘していましたのよ。
それが先輩だろうと、自分より身分が上の者だろうと。
私もつい最近アダムス様の手紙で知ったのですが、学生時代に私に対する態度が目に余ると、王子殿下である彼にも意見していたそうですわ。
当時彼女の意見を聞いていれば良かったと、今更ですが反省しておられましたわ」
「まあ!」
王太后は驚嘆の声を上げた。
「それは本当の事でございます。
私の父は人事局長でしたので、学園時代はやたらと人にすり寄られたり、反対に左遷させられたと言って文句や嫌がらせを言われて困っておりました。
しかし彼女がその様な者達に、いつも理路整然と言い負かして追い払ってくれました。
本当に正義感に溢れた、真実一路を地で行く方なんですの。間違っても人のご機嫌取りなんて事はなさいませんわ」
ミカリナも援護射撃をした。すると王太后はウフフ……と扇子で口を隠しながら笑った。
「わかっていますとも。トーマスからミラージュジュ夫人のお話はよく聞かされていますもの。ごめんなさいね、ちょっとからかっただけなの」
王太后の言葉にミラージュジュはホッとした。自分の応対のまずさで夫に迷惑をかけてしまったらどうしようと、内心ヒヤヒヤものだったのだ。自分は一切お世辞など言った覚えもないのに、何が悪かったのか正直わからなかったのだ。
それにしても、義姉や先輩や友人、そして恩師にまで庇われた事が嬉しくて涙が出そうになって、ミラージュジュは必死に目を瞬かせた。王太后の前で涙を流すなどと言う粗相は絶対に出来ないから。
「それにしてもよくその最悪の家庭環境でこんな立派な女性になれたものだわね。相当ご苦労なさったのでしょうね。
でも、本当に貴女のご実家の事良かったの? 潰そうと思えばいくらでも潰せたのよ?
石炭発掘の採掘量や税金の誤魔化し、領民への不当搾取、自身の子供への虐待、色々問題を起こしたのだから。
兄上だって、父親の行為にはまだ加担してなかったとしても、見て見ぬ振りをしていたのでしょう?」
王太后が呆れたようにこう言った。
「その上、地下牢の中でずっと叫んでいたそうではないですか!
『娘を呼べ! 娘のミラージュジュを呼べ! 娘はザクリーム侯爵夫人なんだ。娘に私達をここから出すように言え!』と。
最後まで自分の置かれた立場を理解出来ずに、上官気取りで騎士達に命令していたそうですわ。
牢内でのその言動一つ一つが審判の際に判断材料となったというのに。
さすがに騎士のお一人が腹を立てて、ライスリード卿にこう言ったそうですわ。
『お前の子供はあの傍若無人で頭の悪い息子だけだろう?
娘がいたなんて聞いた事がないな。社交場で一度も会った事がないぞ。
社交場にも現れない令嬢が、侯爵夫人になんかなれる訳がないだろう?』
って。そうしたらようやく黙ったそうですわ」
マリアの情報にミラージュジュは目を丸くした。父が自分を呼んでいたとは思いもしなかった。
今までまともに娘の名前さえ呼んだ事がないのに、何故今更自分の事を呼んだのかしら。
全くいないものとして接してきた娘に、今更何を要求しようとしていたのか、それが理解出来ない。
しかし、周りの人達は自分の事を慮って、何も耳に入れないようにしてくれていたのだろう。
裁判の結果、ライスリード伯爵家は男爵位まで降格され、領地を没収された。そして当主は懲役刑を受けて、採掘場に数年放り込まれるそうだ。
そして男爵位はその嫡男が継いだが、領地がなくなったので、騎士団での給与だけで生活する事になった。
しかし、近衛騎士団での横柄な態度で評判が悪かったその男は、どこかの辺境騎士団へ飛ばされたという。
どうせ面倒見るのは母親一人で、その他に家族は持てないだろうから、なんとか暮らして行けるだろうと、レオナルドが言っていた。
ミラージュジュの兄は父親譲りの男尊女卑の考え方で、仲間内からも敬遠されていた。
そして彼らがミラージュジュにしてきた仕打ちが、公爵家に出入りする騎士達により次第に騎士団に広まって、彼は余計に軽蔑されていた。恐らく彼はまともな結婚は出来ないだろう。
「裁判に私情を挟むのは良くないのでこれで良いのです。お気を遣って頂きましてありがとうございます」
「うふっ! 貴女らしいわね。思った通り。でも気を付けた方がいいわよ。ああいう厚顔無恥な人間は逆恨みしかねないから……」
「ありがとうございます、王太后様」
ミラージュジュがこう礼を述べると、王太后は自分の娘と同年代の淑女達にこんなお願いをした。
国王はミラージュジュの親友二人が、まだレオナルドとノアだとは気付いていない設定です。
読んで下さってありがとうございました!




