第95話 机上の効率化
忙しかった中級の授業も終わり、一日過ぎた今日は私の授業の最終日である。振り返ってみれば……というような感慨は特にない。たった三日の出来事だ。懐かしむ程に昔の話ではない。
私は教壇から、私の話を聞きに集まった生徒を見回した。
「今日は私の最後の授業……魔法陣の知識の上級編です。初級で魔法陣の改造を、中級では魔法陣の描き方、つまり魔法の作り方について教えたわけですが……今日は魔法陣の“効率化”についての話です」
私の話を黙って聞いている彼らは、もちろんそんな事承知でやって来ている。授業の予約をする際に授業の内容はある程度確認できるからだ。内容を見ずに私だから来ている……何て言うのはティファニーだけだろう。
だからこの話は、事前知識もなく配信で見ている人への話。
「小技の様な物なので、別に知らなかったからと言って魔法陣が読めない、描けないわけではありません。しかし、知っていた方が良いのは確かでしょう」
実際、今日の内容を知っていなくともオリジナルの魔法は組めるし、逆に今日の内容についての知識だけあっても何の役にも立たない。今回の授業はそういった話だ。
あくまでも効率化、つまり魔法陣の完成度を高めるための技術と知識であり、その前段階の知識が無ければどうしようもない。だから配信でとりあえず上級だけ見て……なんてことをされると困ってしまう。始める前にこれだけは言っておく必要があった。
生徒の反応は特にない。当たり前か。ここから見えない人への話なのだから。
私は早速黒板に資料を出すと、ここ数日ですっかり使い慣れた魔法の指示棒をぐいっと伸ばす。ティファニーの持って来た物の中で、間違いなく一番役に立っている。逆に帽子はつばが大きすぎて黒板を見上げづらいし、ローブは若干オーバーサイズで動きづらい。
「まずこの二つの魔法陣を見て下さい。これらは魔術の陣です。内容は、氷の円盤が射出される攻撃魔法。魔術の陣だと知らずとも、この程度は辞書を引けば何となく想像が出来ると思います」
私が授業の取っ掛かりとして黒板に出したのは二つの魔法陣。どちらも氷の攻撃魔法だ。
一見するとまったく同じに見えるが、実は少し違う。二つの間の異なる点、それは文章だ。魔法言語で書かれた文字が、少しずつ異なっている。
「これらの魔法陣を見て、どちらが強い魔法か分かりますか?」
私の問い掛けを受けて、多くの生徒はじっと黒板を見詰める。彼らが考えているのか答えを待っているのかは分からないが、別にクイズがしたいわけではないので話を先に進める。
私は魔法の性能差を示す数字を黒板に出し、これだけ違うのだと生徒達に示す。初級で行った改造に比べれば微々たる差ではあるのだが、繰り返し魔法を使えば馬鹿にならない積み重ねになって来るだろう性能差だ。
「威力も規模も同じ意味の単語を使っていますし、辞書を引けばわかると思いますが、書いてある内容を現代語訳すると全く同じ内容です。では、どうして性能に違いが出るのか……注目すべき点は、文章の先頭の単語です」
私は魔法陣に書かれている文章を抜き出し、左右に比較するように並べて行く。
二組の文章で最も違うのは、それぞれの文の先頭の単語だ。語順を並び替えたり他の単語を使ったりしているし、そうした結果、語形が変化していたりもするが、そこはあまり重要ではない。
そして、片方の魔法陣には先頭の単語にある共通点があった。
「こちらの魔法陣は文章の一番最初の文字が、綺麗に揃っていますね。逆にこちらは完全にバラバラ……」
ここまで来れば分かるだろう。
魔法陣の文章は、頭文字を揃えると多少性能が向上する。これこそが今回の授業の主題、“魔法陣の効率化”だ。
私がこの仕組みを知ったのは最近である。
なぜか文章を変えると同じ意味でも性能が違うというのは把握していたが、そこに様々な要素が絡み合っているという事に最近までずっと気付いていなかった。
それに気付いたきっかけは、シーラ先生である。
いつまで経っても終わらないシーラ先生の魔法言語講座は、同じ意味の違う単語や似たような意味合いの単語が頻出する。図書室の閲覧権限で見られるようになった魔法言語の辞書に書いてないような物まで。
例えば銀色という意味の単語は3種類教わったし、鳥とは別に“翼のある獣”という意味の単語も教わった。それらは全く同じ、もしくは非常に似通った意味合いだが、綴りが大きく異なる。
それを不思議に思い、試しに色々と別の単語に書き換えて試行錯誤した結果、導き出された仮説。それが魔法陣の効率化だ。
同じ意味の単語の中には、頭文字だけを入れ替えた単語もあり、そこからも何となく使い方を察することが出来る。
魔法言語は普通に使う言葉にしては、単語の書き方が多様過ぎる。この効率化のために作られた単語なのかと疑いたくなってしまう程。まぁ魔法言語そのものが謎なので、はっきりとしたことは分からないのだが。
実は更に、完全に同一でなくとも似たような文字なら多少数字に変化が出たりする。
ただし、この“似ている”というのが鬼門で、中々これとこれだとは言い切れない。というのも、魔法言語は既に音声が消えてしまった言語なので、見た目で似ているからと言って近い音とは限らないし、その逆もある。
見た目だけ似ていても数字があまり良くならない文字は沢山あるし、まったく違う見た目なのによくなる組み合わせも……。
そんな魔法陣の効率化だが、とにかく語彙力が無ければ話にならない。同じ意味の単語はよく使うやつを一つだけ覚えれば魔法陣として機能はするが、この効率化の幅が狭くなってしまう。
今回の魔法でも、氷には軽く二桁を超える言い方があり、円盤にもそれなりの種類の単語がある。そこから更に語順の入れ替えで、氷の円盤とするか円盤の氷とするかの選択肢がある。実際には文として並べ替えるので選択肢はもっと幅広い。
これらの中から最適な物を出し、頭文字を揃える。これが魔法陣の効率化だ。
「魔法陣の文章は詠唱……つまりは歌です。文章の切れ目の位置や頭文字などを綺麗に揃える事が、美しい魔法陣の第一歩。楽しいでしょう?」
私は解説が一段落した所で、生徒達を振り返る。
そう。これ、非常に楽しいのだ。とにかく語彙力と文章の発想力、そして何より試行錯誤の繰り返しによって、消費魔力が1減る。影響力が1増える。
それが何より楽しい。
私はこの仕様に気が付いてから、自分の魔法を片っ端から効率化していた。禁書庫の整理とティファニーのあれと、他にも色々と作業があったのだが、これだけは時間を忘れて没頭してしまう。
いつかティファニーの魔法も徹底的に効率化したいのだが、流石にそこまでは時間が無くて手が付けられていないのが現状だ。
ちなみに、ロザリーとコーディリア、リサは全員魔法陣の改造が不可能なクラスなので手の出しようがない。
実はロザリーだけは通常攻撃魔法を中級で獲得したので改造可能なのだが、それでも召喚が主体なので改造の利点は少ない。完全オリジナルの魔法も作りづらいだろうし。
「実は頭文字を揃える以外にも、効率化を行うための手法があります」
それから私は効率化可能な魔法陣の例を挙げて行く。
頭文字の整理が最も効果的で、一番優先すべき事項ではあるのだが、効率化できるのはそれだけではない。
さっきも言った様に文章の切れ目も整えた方が良くなるし、魔法の性質と頭文字の相性、文章の切れ目の次の単語の頭文字、書く文章の文字数(これはカウントしない文字とカウントする文字、一文字で複数回カウントしなければならない文字もある)……と無数に効率化の可能性は広がっている。
私が知っている法則などたった一部でしかないだろう。その位には複雑怪奇な仕組みである。
これは正に歌なのだ。韻を踏まないよりは踏んだ方が良いし、リズムに乗らないよりは乗った方が良い。でもそんなのを無視しても意味は伝わる。
魔法言語はそういう文章。詠唱のための、もっと平易に言えば、歌詞を書くために特化している言語と言ってもいいかもしれない。
私はその内容をじっくりと解説し……そして最後にこれだけは言わなければならない。
「……と、ここまで色々と話しましたが、最初の魔術の陣に話を戻しましょう」
私は様々な例の中に埋まっていた魔法陣二つを引っ張り出すと、それを性能表と共に並べる。
「今改めて見ると、今言ったことをすべて行っている魔法陣と、可能な限りそれらを無視している魔法陣の二つだという事が分かるでしょう。……そして、ここで重要なのはその性能差です」
生徒達が微妙な顔をしているのが分かる。うん、まぁ気持ちは分かる。
私も授業用にこの魔法陣を用意して、そして学院にある魔法シミュレーターに掛けた時は愕然とした。
ちなみに魔法シミュレーターとは、描いた魔法陣を試し撃ちせずとも効果が見られるという優れモノだ。
尤も、今回の授業用に貸してもらっただけなので、後数時間で返却しなければならないのだが……催促が来なかったら借りっぱなしにしておこうかな、なんて考えているくらいには便利な代物である。
「魔力効率は最大1割ちょっとの軽減、威力に至っては5%の上昇幅を超える例をこれしか見つけられませんでした。唯一射程は2割伸びて、多少使い勝手に差が出る程度。
これが大きいか小さいか人それぞれだと思いますが……頭文字以外を揃えても、魔法の効果の違いに実感を覚える事はまずないという事は覚えておいてください」
魔法陣の効率化には、明らかにその要素に格差がある。
一番大きいのは頭文字を揃える事。これだけで数%ほどの効果があるので、やらなければ損と言っていい。文の切れ目に関しても頭文字の半分くらいの効果はある。
しかし、それ以外は駄目だ。数値上では性能が変化している事は確認できるが、それを実戦の中で実感することはまずないと言っていい。
つまり、これに何時間も悩むくらいなら、魔法世界でレベル上げをした方が余程強くなれるのである。魔法陣を少し変えただけで突然強くなれるような、そんなうまい話は転がっていないのだ。
生徒達の反応は微妙。落ち込んでいるとも呆れているとも違う気がする。ただまぁ、感心しているわけではないのは確かだ。
私の最後の授業は、そんな落ちで終了となったのだった。
話が全然進まない……すみません。
授業は今回の話の前半で終わらせるつもりだったんです。本当なんです。気付いたら2000文字を超え、いつの間にか授業が終わるまで4000文字以上かかってしまいました……。




