第91話 教師と生徒
「今回紹介するのは、大きく分けて“大規模化”と“小規模化”に関する単語です。それぞれ威力、範囲等の改良によく使うので、覚えておいて損はありません。この程度に一々辞書を引くのはかなり面倒なので」
黒板に貼った自作の資料を指示棒で示しながら授業を進めていく。
時折生徒の様子を振り返りもするが、意外にもほぼ全員が真面目に話を聞いていた。中にはメモを取る熱心な生徒までいるが、おそらくこれは“自由参加”の授業だからだろう。そもそも不真面目な連中は参加しようとも思わないので、真面目に受けている生徒だけが目に入るのだ。
私は自分で覚えたこととシーラ先生に教えられたことから、魔法陣の改造初心者に必要そうな知識を抜き出して教えて行く。
最初に教えるのは、威力や範囲を上げ下げする時に書き換えるべき部分と対応する単語。数字を直接弄れるわけではないので、この辺りを面倒だと思う人もいるだろうが、そういう人はそもそも魔法陣の改造に向いていない。大人しく他人のカスタムを丸パクリしていてもらおう。
この書き換えは簡単に言えば、「小さな炎」と書かれている部分を「大きな炎」だとか「超大きな炎」だとかに書き換えるだけの作業だ。
文章の繋がり次第で前後の語形を変化させる必要があったりするが、それは個別に覚えてもらうしかない。何せこの範囲では、複雑怪奇な活用のルールを覚えるよりもこっちの方が楽なのだから。
更に深い内容は明日以降やることになっている。
ちなみに今回の授業範囲では陣、つまり文字以外の図形部分に手を加えたりはしない。
そっちは魔法言語に比べても簡単ではあるのだが、それを始めると魔法言語の書き換えは急激に難易度を上げる。間違っても初心者に教えて意味のある知識ではないのだ。
使うべき単語といくつかの注意点を説明し終えると、例として奇術と呪術の改造の一例を紹介する。これは改造後の威力と消費魔力、効果範囲の変化の実例だ。
動作確認の関係で今回はこの二種類しか事前に用意できなかったが、まぁ他の種類の魔法でも大丈夫だとは思う。私が知る限り変な独自ルールを持っている魔法陣は見付からなかった。
私が知る限り、というのが少々心配だが、図書室の資料と禁書庫の資料を読み漁っている私の知識だ。生徒の中では豊富な方だろう。格闘学部と召喚系を含めて、魔法陣はほぼすべて見たと言っていい。その他の例外は古代魔法程度である。
尤も、改造不可能の格闘系はともかく、召喚系は難し過ぎて私にはお手上げだ。全く読み解けないわけでもないが、読んだところで改造は不可能だしほとんど意味はない。進んでやりたいとは思わないな。
最後の魔法陣の紹介が一段落した所で、教室にチャイムが響く。どうやら最初の一コマはこれで終了らしい。
終了の時間だが、少し内容が残ってしまった。丁寧にやり過ぎたかな。
……とは言え、今日はこれで終了という訳ではない。
「これで一旦休憩です。それほど時間はありませんが、後半までに質問がある方はどうぞ」
授業として想定していた内容が多かったため、今回は初級も中級も上級もすべて前半後半に分かれている。事前予約制なので途中参加はできないが、中休みとして休み時間が設定されているのだ。
私は小さなため息と共に、教卓の裏に隠されている椅子に腰を下ろす。
思っていたよりも疲れたな。これを連続で三日間。意外に辛いかもしれない。
私の口から休み時間と聞いた途端、教室に弛緩した空気が流れ出す。
何となくこの雰囲気も久し振りだ。昔は何度も何度も経験したが、大人になってからは随分と懐かしく感じる。
何せ学院に来てから、ここまで人数が集まった授業自体あまり経験がない。副専攻だって授業が終われば早々に教室を立ち去る生徒ばかりなので、こうして教室内が騒がしいというのはかなり珍しいのだ。
ほとんどの生徒は近くにいた友達と会話を始めている。
話す内容は、きっと私の事なのだろう。それを止めようとは思わないし、そもそも止める権利など私にはない。
「ふふふ、意外に様になっているではないか。盟友、いや、魔女よ」
「……あなたはこの授業を聞いても何も得をしないでしょう。コーデリアと一緒に不参加で良かったんですよ」
「そう恥じる必要はないぞ。……後ろの方に格闘学部の学科章を付けている奴もいる。意外にお前自身が注目されているのかもしれんな」
ロザリーがそっと付け加えたそんな言葉を聞いて、私は帽子のつばを軽く引く。
ロザリーやリサ以外にも、本当に魔法の改造と関係ない人まで来ているのか。その辺は全部実技首席が引っ張って行っていたのかと思っていたが……。
そこまで考えて、ふとなぜそんな人までこの教室に来ているのかに思い至る。
よく考えてみれば、イベントに一切かかわらないというのも寂しい物だ。それに、PvPに興味がないからこそこの学院に籍を置いている生徒だっているだろう。
そういった人が、他の生徒の付き合いとして私の授業に出席するというのは十分に考えられる状況と言える。何せ同じクラスでないと同じ授業には出られないわけだし、何気にクラス混交で希望者全員参加の授業は珍しい。
ある意味、これも楽しい非日常という訳だ。
……これは、明日以降人が来るかは分からないな。
背もたれに寄りかかり、私は時計を見上げる。休み時間が終わるまであと15分くらい。
特に準備する事もないし、最近何だか付き合いの悪いコーディリアに連絡でも……。
そんなことを考えていると、人影が教卓に近付いてくる。
リサやティファニーではない。私に迷惑を掛けまいと、リサは奇怪に蠢くティファニーを取り押さえている。
シファでもない。彼女は一旦ここで休憩と言って、カメラとコメントに向かって何事かを話していた。ファンと思しき男も、意外に節度を持ってその様子を眺めていた。
この場にいる私の知り合いはそれですべてだ。という事は、この人は知り合いではない。
私はその事実をゆっくりと認識してから顔を上げた。
「あの、質問いいですか……? キリエさん」
「……ええ」
そこにいたのは、制服を着た女子生徒。学科章は光の紋章、神聖術科だ。知り合いではない……と思う。
しかし、どうも見覚えがある気がして私は内心首を傾げた。
私が彼女の申し出に頷くと、彼女は心底ほっとした様な表情を見せ、軽い笑みを浮かべる。
「良かった……拒絶されると思っていました」
「……質問があったらどうぞと言いましたから」
彼女の反応を見て、私の疑問は更に深まる。明らかに向こうは私を知っている様子だ。その辺の廊下ですれ違った、もしくは有名だから知っているという生徒には見えない。
はて、私は神聖術師なんかに知り合いはいないと思っていたのだが……。
最初の質問者が出て来たからか、名も思い出せない彼女の後ろに、控え目に誰かが並んだのが見えた。
ちらりとそれを見れば、そちらも女子生徒。まぁそもそも諸事情でこの学院には女子生徒が多いのだが……。
しかし、重要なのはそこではない。
そちらの生徒もどうもどこかで見た覚えがある。学科章は暗黒術科。暗黒術師は闇の三賢者何て揶揄される内の最後の一人だし、学院ではかなり目立つ方だ。もちろん呪術科ほどではないのだが。
それなのにどうもどこで見たのか思い出せない。私がどうでもいい人の顔をあまり覚えようとしていないのもあるが、ここまで大きな違和感を覚えるのは初めてだ。
神聖術科と暗黒術科……顔だけではない。確かこの組み合わせ、どこかで……。
しばらく頭を捻る私だったが、それよりも早く彼女らの正体に気付いた者が居た。
「あっ、貴様らなぜこんな所に居るのだ! いや、言わずとも分かるぞ。あの男の差し金という訳だな……?」
「い、いえ、違いますよ! むしろ今日はあの人には黙って来ていて……」
エリク? ……ああ、この二人あれか。あいつの取り巻きか。
ロザリーの発言で出て来た単語を拾い、私はようやく彼女らの正体に気付く。
あの課題でエリクと一緒にいた4人……彼女らはその内の後衛二人だ。召喚術はカスタムに関係ないし、他二人は格闘学部。私の授業に関係があるのはこの二人だけなので、ある意味これで全員と言えるかもしれない。
「ロザリー、あなたほぼ魔法の改造に関係ないのですから、ティファニーを抑える方に行ってください。質問が優先です」
「むっ、確かにあいつがこの事態に気付くと厄介そうだな。我らの中で一番あいつの事嫌ってる気がするしな……」
「それは本人の前で言いましょう。この二人はあまり関係ない話です。休み時間中は音声を切ってはいますが、一応配信中ですしね」
「本人の前では言うんだ……」
渋々と言った様子で席へと戻るロザリーから視線を外し、私は目の前の神聖術師に向き直る。エリクが嫌われているというのをはっきりと耳にして、若干の苦笑いを浮かべているが、特に反論はなかった。向こうも何か思う所はあるのだろう。
こうして改めて見ても、美形だが、モブ顔だな。間違ってもシファの様な雰囲気は感じない。私は彼女の名前も知らないが、おそらくこれから先も知る事はないだろう。
「それで、質問は? もう一つの神聖術の授業を蹴って態々こちらに来たんですから、授業に関する事なら何でも答えますよ」
「ありがとうございます。この魔法なんですけど……」
彼女はそう言うと、手にしていたノートとは別に魔法の書を開いて見せる。そこに描かれていたのは一つの魔法陣だった。
……どうでもいい事ではあるが、こいつ、私の授業でメモ取ってたんだな。
私は、形のいい眉を下げながらその魔法陣を指し示す彼女を見上げる。
「どうしても発動しないんです。その、間違っている所を指摘して欲しくて……」
「……見た限り、明日明後日の授業内容ですが、まぁいいでしょう。どういう意図の改造なのかは見て分かりますし、問題部分と改造例を示す、という事でいいですか?」
「あ、はい! ありがとうございます」
「……別に、お礼を言われる事でもありません。仕事なので」
私は魔法の書の背拍子に引っかかっていたペンを抜くと、赤字で魔法陣に書き込みを加えて行くのだった。




