第87話 外の世界
今日は晴天。
空を仰げば気持ちのいい青空が視界一杯に広がり……昨日ずっと地下の禁書庫に入っていた私は目を細める。明るい……早く陽が落ちないだろうか。
そんな気持ちのいい昼下がりに、私達は珍しく学院の正面玄関から外へと歩みを進めていた。
「行ってらっしゃい。何か面白い事があったら教えてくださいね」
「ええ、あまり期待はできないと思いますが、見つけたら連絡します」
「くっくっく……宴の場には屋台も出ているらしいぞ。我を楽しませるに足る、射的やくじ引きはあるだろうか……」
「射的とくじが楽しみなのね……」
用事があって学院に残るコーディリアに手を振り、合宿会場がお祭りみたいになっていると聞いてウッキウキのロザリーの手を引く。
そして私は、学院の正門から伸びる長い下り坂に一歩踏み出す。
今日一緒に行動しているのはロザリーとリサ。私を入れて3人だ。まぁ、別に戦いになるわけでもないのでパーティの人数が必要になる事はないだろう。
コーディリアはこの前から続いている用事が終わっていないということで別行動。そしてティファニーは……何をやっているのか分からないが、私の授業前には絶対に顔を出すと言ってどこかへと消えた。彼女の行動には、何となく嫌な予感がするが……今心配しても仕方がない。
私達は道の両脇に建ち並ぶ、学生向けと思しきお店を覗き込みながら目的地へと歩みを進める。
こうして学院から出歩くのは私にとっては初めての経験。
普段窓から見ている景色に自分が入り込んでいる……それが少し不思議だ。私達の他にも生徒は多いが、ほとんどが私と同じ感想を抱いている事だろう。……そう思いたい。学院に籠りっきりなのは、私だけではないはずだ。多分。
今回のイベント会場、合宿場へ続く道を歩く生徒達の足取りは軽い。
明るい天気と楽しい商店街、そして人通りの多さから、どことなく“非日常”的な空気を感じ取っているだろう。普段はもっと静かだろうし、この道がここまで賑やかになったことなんて今まで一度もなかったのではないだろうか。
自分がその中に上手く溶け込めているのか、少しだけ不安だ。こういった浮かれた気分には、置いて行かれている様な気がして仕方がない。
ロザリーがいつも使っている服屋や、副専攻に経営学を選択した生徒が営んでいる出店、魔物の格好をした大道芸人などを見ながら、私達は他愛もない言葉を交わす。
主な会話の内容は学外に詳しいロザリーへ、世間知らずの私が質問をしているという形。リサも意外にもこの辺りの地理や店について詳しいらしく、学院を出ていないのは、3人の中ではどうやら私だけの様子だ。
私は魔法武器ではない武器や鎧を取り扱っている店をちらりと覗き込みながら、詳しい解説をしているロザリーに聞き返す。
「……つまり魔法世界に持ち込めない、ただのガラクタでは?」
「ガラクタではない。部屋の飾りにも使えるし、何より武器を作る時の参考にもなる」
「……それは普通にガラクタでしょう。ここで買い物した事ありますか?」
「あるぞ。後で崇高なる我の部屋を見せてやろう……くっくっく、腰を抜かすなよ」
私、部屋なんて毒液と資料置く場所になってるからなぁ……。
インテリアに気を遣うどころか、インテリアの置き場所に困る部屋だ。床には借りっぱなしの資料と書き散らしたメモ書きが散乱し、壁にも何かに使えるかと思ってメモしておいた紙が鋲で留められている。テーブルの上は毒液の抽出器が所狭しと並んで……いや、置かれている。間違っても並んではいない。
私達がそんな話をしながら歩みを進めていると、唐突に坂道が終わる。
道が平坦になった事に気が付いて視線を上げると、視界一杯に広がったのはあまりに美しい街並みだった。
煉瓦と謎の石材で作られたその街は、ブロックを積み上げたおもちゃの様な素朴な温かみと、機能性を計算され尽くした美しさが両立している。
様々な様式の建物は一見乱雑に見えるが、それでいて不思議な統一感があり、景観を損なうような造りにはなっていない。今まで美しく見えていた青空も、背の高い建物に切り取られてまた別の顔を見せていた。
私はその光景に圧倒されて、思わず足を止める。
「……学生街ってこんな場所だったんですね」
「初めて見た時は驚くわよね。学院の外ってこんなに活気があったんだって」
私はリサの言葉にぼんやりと頷く。
これは窓から見るのと実際にこの場に立つのでは大違いだ。島の中、それも学院のこんな近くにこれほどの美しい光景があったとは、想像もしていなかった。
学院があるのは小さな島だ。
四方を海に囲まれ、中央に山がある火山性の島。昔の人はその島にある特殊な環境を利用して万象の記録庫を作り、長い歴史の中でその場所が学院になった。
坂道を降りた先、この学生街と呼ばれる場所は元々開拓者達の街だった。
当時、万象の記録庫設立は国家どころか国際的プロジェクトだったため、この島にはこれでもかとお金が注ぎ込まれていた。そうしてこの街は、急速な発展の中で独特な景観を生み出していった。禁書庫でチラリと見た内容によれば、とても雑多で活気に溢れた町だったと言う。
そして、現代。
国の援助を受けていた開拓者が消え、一部の物好きが残り……そしてその物好きが大成功した結果、開拓者の街は基本的な造りはそのままに美しく生まれ変わっていた。各国が好き勝手に建て老朽化した建物は、まるで街並みを揃える様に色を変え、成功者のおこぼれを貰おうとした利に敏い商人は、店の見た目を小奇麗に整える。
そんな人々の思惑の蓄積がこの光景だ。
私はそういった歴史より何より、初めて見たその街並みに圧倒される。
「今では世界一の街らしいぞ。この世界にはここ以上の都会はないんだとか」
「他の国の都より綺麗だなんて、驚くわよね」
「学院が実質的に国家の上の権力を持っている事の証明みたいなものだな。超国家的組織と言うのか?」
……なるほどな。確かにあまり意識していなかったが、どの国家よりも権力も財力も持っているからこそ、万象の記録庫が今でも学院の物になっているのか。あまり持ち出せる物がないと言っても魔石は取り放題だから、魔石の使い道が分からなかった昔に比べてあそこの有用性は桁違いになっている。
そんな物を、国でもない学院が独占できる理由はそれだ。
単純に、どの国も学院に歯向かえないのだろう。
そりゃ街並みも綺麗になるはずだ。世界一の金持ちの街か……。実は学院生って超エリートなんだな。
ちなみに、学生街の他にも街はある。それぞれ元々どの国が拠点にしていたかによって、結構雰囲気が異なるのだとか。まぁ学院の正門から出て真っ直ぐに降りたここが一番の都会というのは間違いないだろうけれど。
キョロキョロと視線を彷徨わせた私は、とりあえず観光したい欲求を抑えてロザリーの袖を引っ張る。
「それで、合宿場はどこから行くんですか? 確かこの島ではないんですよね。船?」
「いや、転移門だ。この大通りを真っ直ぐ進んだ先だよ」
ロザリーの先導で私達は街中を歩いて行く。
途中はぐれそうだからとロザリーに手を握られたが、まぁ別にいいかとそのままにしておいた。目移りしてしまうのは確かだし。
左右に上下に視線を振って、ショーウィンドウの中身を覗き、魔法で動いているらしい車を目で追い、街灯に止まっていた大きな蛾から少し距離を取る。
……そんなことをしていると、ふと微かな笑い声が耳に届いた。どうやらロザリーと手を繋いでキョロキョロしている私を見て、道行く人が笑ったらしい。
私はそこでようやく、街を歩く人々に意識が向いた。
「……この街、学生ばかりではないんですね。当たり前ですが」
「ああ、人が多いな」
「都会だからね」
そう。この街、人が多い。
店員や運転手といった“必要だから設置されている”人間の他にも、何をするでもなく雑談を楽しむ奥様や、日の高い内からお店で楽し気にお酒を飲んでいる老人、路地裏で逢瀬を楽しむ貴婦人とみすぼらしい恰好の男……言って見れば、ここには本当の意味での“モブ”が大量に配置されているのである。
彼らはまず間違いなく全員NPC……これは学院ではあまり見られない光景だ。
学院に配置されているNPCは教員や生徒を除くと、購買の店員などかなり存在が限られている。その店員でさえ生徒が小遣い稼ぎのためにアルバイトしていることもある。
教師は私達の知らない事を教えてくれる特別な役割だし、NPC生徒は本当に見分けがつかない。学院に長い事住んでいると、NPCに対してNPCだと強く認識することがないのだ。
対してこの街には、明確にNPCだと認識できるキャラクターが大量に存在する。
その光景を見て私は、何だか不思議な気分になってしまう。
それはまるで、ゲームの中に入ってしまったような、そんな今更な認識であった。




