第6話 解き放たれたる業
扉の先に待っていたのは、大きな彫像だった。
本と天秤を手にした男が、空に向かって何かを叫んでいる姿。全長は優に7mは超えているだろう。色付きのガラス窓から降り注ぐ光が、優しくその姿を照らしている。
その謎の像から視界を下ろせば、私と同じ制服を着た者達が続々と集まって来ている所だった。
像があるだけであまり意味はないように見える大きなこの部屋は、どうやら生徒の初期スポーン地点らしい。様々なタイプの美男美女、それからわざと崩したような顔面をしたネタキャラまで、皆一様に制服を着ている。中には男装のキャラクターも居るが女装は見当たらない。おそらくだが、そもそもの女性キャラが多いので“そういうこと”なのだろう。
男女の性差以外でそれぞれの制服の相違点は、胸についている校章らしきエンブレムだ。
見れば私の薄い胸にも奇妙なエンブレムが刺繍されていた。ついさっきまではなかったはずので、学生の証のような物だろうか。
ブレザーを引っ張ってよく見ると、六角形にバツが大きく書かれている単純なマークだ。それを基本にしアラベスク風の装飾が施されている。……もしかするとこれが呪術科のシンボルマークのなのだろうか。
同じエンブレムの生徒は……少なくとも近くにはいなそうだ。そもそも、知らない人に話しかけてまで調べるようなことでもない。
そんなどうでもいいことを真剣に考える前に、絵筆を探さなくては。
チュートリアルにかなり時間を掛けてしまったので、スタートダッシュを決める決意をしていた彼女はもう待ちわびている事だろう。とは言え、お互いのアバターの容姿は知らない。そして手当たり次第に声をかけるわけにも、当然いかない。
私は早速魔法の書を取り出して、多少迷いながらもフレンドのページを開いた。
パラパラと小気味良い音を鳴らして自動で捲れていくページが、ある場所で止まる。それは名前とIDが記入できるようになっている表……フレンドリストが掲載されているページである。当然まだ登録者はいないので内容は白紙。
そんな空欄ばかりの表の一番上に、生徒番号検索という欄がある。これで絵筆のIDを入力して検索すればどこにいるのか分かる……のだろうか。実際に使ってみないと何とも不安だ。
初めて使う道具を前に些か不安になりながらも、私は本の背についていたペンを外して検索欄に絵筆のキャラクターIDを入力する。事前登録の際にIDだけは交換しておいたのだ。メモが間違っていない限りはこれで大丈夫なはずだが……。
すぐに検索はヒットし、白紙だったはずのリストに一つの名前が表示された。
“ロザリア・P・ソウルズベリー”
……変な名前。いや、別にいいんだけど、何だこのPって。どうしてミドルネームなんて付けたんだろう。ていうか苗字も、ソウルズベリーって何だ。
言いたいことは色々あるが、とりあえずIDが一致したと言うことはこの名前のキャラクターが絵筆である可能性は高い。私はキャラクターの呼び出しボタンに、多少躊躇いながらもそっと触れる。
すぐに待機中というメッセージが表示され、待つことしばらく。
ただ待っているだけと言うのも何なので、彫像の下にでも移動しようかと考えていた時に、メッセージの内容が切り替わる。内容は「そこで待っていろ」ということだった。
これは明らかにシステム側からの案内ではない。流石に世界観に凝っているとはいえ、こんな場所でここまで砕けた表現をするはずがない。
……もしやこの呼び出し機能、呼び出したという通知と私の位置情報が送られる機能で、これはその通知に対する絵筆の返信なのだろうか。
とにかく、待っていろと言われると迂闊には動けない。
仕方がないので言われた通りに待っていると、一枚の扉の向こうからやって来る女が一人。部屋から出ていく生徒が多い中で、部屋に入ってくる彼女は彼女の容姿もあってとても目立っていた。
髪は純白、瞳は深紅。やや鋭い目つきが特徴で、制服の上に重そうなマントを羽織っている。周囲の生徒、つまりは通常の制服には付いていない物なので、どこかで買ったのだろうか。
ただ、そんな特徴はアバターとしてはありふれている。白髪頭に油膜を張ったような虹色の髪だって転がっている様な世界である。
それでも彼女が目に留まったのは、彼女にそれ以上の特徴があったからだ。
簡単に言ってしまえば、胸が大きいのである。
何と言うか、身長に対して胸囲の割合が大きい。マントから飛び出しているその胸は、ブレザーに刺繍された頭蓋骨のシンボルマークを大きく押し上げていた。
まさかと思いつつそちらを見ていると、ばちりと音が鳴りそうな程にはっきりと彼女と目が合ってしまう。
慌てて視線を逸らすが、時既に遅し。
彼女は周囲の視線を集めながら私の眼前にまでやって来ると、包帯が巻かれた腕で軽く顔を押さえるようなポーズを取った。
「ふっ……待ちわびたぞ、我が盟友よ。幾重もの世界を越え、再びここで相見えようとは……な」
「……いえ、人違いです」
「えっ」
彼女の痛々しい発言を聞いて、私はありもしない頭痛に頭を抱える。
こいつ、……いや、多分この人私の知り合いじゃないな。
というか、向こうと身長変わってないのか。賢いな。でもこうして目の前まで来られると、丁度デカすぎる胸が顔の真正面にあって物凄く邪魔だ。
いやいや、そうじゃなくて私はこんな奴とは知り合いではない。
とても注目を集めている彼女は、そんな私の拒絶の言葉に分かりやすい程に狼狽える。
「え、すみません……あ、いや、貴様、やはり我が盟友、キリエであろう! 魔法視すれば呼び出した相手分かるんだからな!」
……そうなのか。道理で迷わず私に向かってくるはずである。
私は声と身長だけはあまり変わらない彼女を見上げ、思い切りため息を吐く。この声の自動調節機能、身長に比例しているのだろうか。どう聞いてもこれは絵筆の声だ。
私は若干の諦めの気持ちで、すでに若干曖昧になっている彼女のキャラクターネームを記憶から掘り返す。出来ればあまり仲が良さそうに見えないよう、敬語を使いつつ。
「……もしかして、ロザ……なんとかさん?」
「ふっ、今生の名をロザリア・P・ソウルズベリーという。今後はそう呼ぶがいい、サクラ・キリエよ。こちらでは初めまして、と言うべきか」
くつくつと意味ありげに笑うソウルズベリーさん。やっぱり、私達知り合いじゃないってことにならないかな……。
このソウルズベリーさん……距離を取るために苗字を呼ぶとかなりそれっぽい名前なの何とかならないのだろうか。かと言ってこいつをファーストネームで呼ぶのは遠慮したい。唯一残されたのは……
「あの、Pって何ですか?」
「ん? ああ、母が付けてくれた名だ。大した意味もない」
私がせめてもの抵抗としてひねり出した質問は、意外にも彼女の大した設定も掘り返すことなく終わる。何か物凄い意味が隠されていたりと少し心配したのだが、そんなことはないらしい。
もしかして本当にただミドルネームが格好いいと言うだけで付けてしまって、大した意味を考えてなかったのか? そうすると母がくれた名前で、P……あ、もしかして、
「……それではペイントブラシさん。とりあえず場所を変えましょう」
「うぐっ……ま、まぁいいだろう。盟友の頼みとあらば場所を変えるくらい何のそのだ」
……やっぱり本名か。
私の呼びかけに顔を顰めた絵筆さんは、随分と前から集めていた珍獣を見るような視線を気にもせずに、堂々とした立ち振る舞いで広間を後にしていった。
そのマント翻すの鬱陶しいから止めて欲しいんだけど、何とかならないのだろうか。それに、そもそもなんでこいつマントなんて着けてるんだ?
そんな疑問からじっと背中を見ると、マントにフードと袖が付いている。……怪しい魔法使いっぽいコート買ったけど、胸が邪魔でマントみたいになってるのか、袖も通してないしもしかすると元からこういう風に着用する服なのか……?
私はこの恥ずかしい知人を前にして、現実逃避気味にそんなことを考える。指導役としてこいつを選択したのは間違いだったかもしれない……。
私はばっちりと数歩の距離を開けてから、彼女の背中を追うのだった。