第84話 処罰
「……別に、お前が強くなったわけじゃねぇだろ」
「あら、気付いた?」
目の前の男はそう呟くと、刃を握り私へとゆっくり向ける。
彼の言うことは全くもってその通りで、確かに別に私が強くなったわけではない。ただ目の前の男がどれだけ間抜けなのかということを指摘しただけなのである。
しかし、だから私に勝てる、というのはやや早計と言わざるを得ない。
彼は気付いているだろうか。
どうして私がこんな“時間稼ぎ”なんかをしていたのかを。
そして、背後から微かに聞こえた“足音”を。
マルコが勢いよく地を蹴り、下から上へとその薄い刃を振るう。
しかし、それが私の身を再び斬り裂くことはなかった。
甲高い金属音が鳴り響き、私と彼の間に人影が割り込む。
その様子を見てマルコは目を見開き、私は……はて、どういうことかと首を傾げた。
ふっと風を切った剣先がピタリと止まる。そして騎士然としたポーズで剣を掲げた彼女は、目の前の侍に鋭い視線を投げかける。
「……もう一度名乗っておきましょう。私の名は、ミーシャ・ガードナー。これより風紀委員の名において、不埒者を成敗いたします」
ガードナーはさも当然とばかりに私を庇っているが、この状況が今一つ飲み込めないのは私もマルコも同じだ。私が想定していた展開とは少し異なる。
私は目の前に現れた、予想外の人物を前にしてぼんやりと考え込む。
事前の話し合いではリサが一人で助けに来てくれるという話になっていたのだが、背後の廊下からは誰かが来る気配もない。つまり私が呼んだはずの援軍は、彼女一人という訳だ。
……いつの間に、リサではなく彼女が来るという話になっていたんだ?
その状況を前に困惑しているのは、もちろん私だけではない。
「テメェは……何しやがった!」
「……? 私がここに居るのは、最初から貴方を追っていたからです。風紀委員として、“要注意人物”の監視は必要な事ですから」
マルコの困惑を、自分の登場についての事だと受け取ったガードナーは、そんな言葉を返す。彼はそれを聞いて眉間にしわを寄せたまま表情を変える事はない。
もちろん、その言葉は彼の疑問に対しての返答としては相応しくないのだが、奇しくも私の疑問のヒントにはなった。
どうやら最初からマルコを疑っていた彼女は、リサから役割を奪ってこっちにやって来たらしい。助けてくれるならどちらでも構わないので別にいいけどね。どうせ、マルコがパーティから外れて私のHPが減った時点で、他のメンバーに言い訳なんてできないのだから。
しかし、そうなると、リサがあのカレンと一緒に過ごしているのか……。コミュニケーションは取れているだろうか。私が心配する事でもないのだが。
心配事をとりあえず放置した私は壁に背を預けて、マルコの姿をふっと笑う。
ひとまずは風紀委員長のお手並み拝見と行こうかな。余程の事がない限り、今のマルコに彼女が負ける事はないだろう。その事実を彼女に伝えて、私は高みの見物といこう。
「彼が困っているのは、スキルが使えないからですよ。どうやらあなたが掻き消したとでも思っているのでしょう」
「……なるほど。それで……何と言いますか、貴女は策士ですね。罠を張った相手を逆に陥れるとは……」
「それはどうも。私がこれ以上手を貸す必要はないでしょう?」
「もちろんです。生徒の安全を守るのが風紀委員の務め……何より、一般生徒に取り締まりを手伝ってもらう訳にはいきませんから」
そう言ってマルコに肉薄した彼女は、鋭く剣戟を振るう。
その刃は思いの外鋭く、そして余裕がある。対して“何故か”魔法が使えないマルコは明らかに後手に回っている。私が何かしなくとも、これではすぐに決着が付くだろう。
それにしても、初心者とは言え、PK相手に余裕の立ち回り……意外とガードナーは実力者なのだろうか。
マルコは形勢が不利だと判断したのか、一旦大きく後ろに下がり、そして背中に当たった壁を見て苦々しく顔を歪める。
「くそっ、どうなってやがる……」
……どうやらまだ気付かないらしいな。視野が狭いのか、それとも私が使った魔法についてまったく思い当たらないのか……いずれにしても、ここまで気付かないとなるともうずっと気付けないかもしれないな。
戦闘開始前、マルコはとある小細工を仕掛けていた。
それは私に範囲攻撃(尤も私は攻撃魔法をスロットに入れていないので、妨害魔法なのだが)を撃たせ、自分が先にダメージを負い、私にイエローマーカーを押し付けるという物。
イエローやレッドのマーカー持ち生徒に対して攻撃をしても、自分がマーカーを背負うことはないので、これをすれば自分は無実のまま生徒を殺せるという訳だ。
しかし、私はそんな見え透いた罠に引っかかってあげる程優しくはない。特にマーカーなんてパーティの機能制限が付くのでこちらにはっきりとした実害まである。
そのため、彼への支援として妨害魔法を使う訳にはいかなかった。
それと同時に、何もしないというのも少し情けないなと思った私は、一つの“補助魔法”を使用した。敵に補助魔法を使っても、先んじて他の生徒に“攻撃”したという判定にはならないのである。
現在私が唯一使えるバフ効果であり、そして敵味方関係なく効果を発揮する魔法と言えば……狂化の魔法。これ一つしかない。
狂化の直接的な効果は能力値の上昇だが、それ以上に強烈なデメリットが存在する。魔法の封印もその内の一つだ。侍はスキル火力でDPSを出すクラスなので、魔法が封じられると通常攻撃の威力上昇程度では覆す事が出来ない程に弱体化する。
まぁ、見ての通り、後衛と違って戦えないという程でもないが。
これこそ私がイエローマーカーを押し付けられなかった理由であり、彼が今マーカーを背負って戦わされている最大の理由だ。敵にバフをあげてもマーカーを受け取らない判定になっているのである。デメリットがあるとは言え、狂化は良性状態異常だ。
……この判定、PKや妨害に大いに悪用できそうだが、現状扱えるのは唯一の中級呪術師である私だけである。授業ではなくオリジナルなので発見も遅れるだろうし、本家である狂戦士の魔法では自分しか対象に取れないので意味はない。
現在これを唯一使える私は特に悪用するつもりもない。問題になるのはまだまだ先の話だろう。
壁際に追い詰められたマルコに向かって、ガードナーは属性剣を発動する。雷撃を纏った剣が、防御のために構えられた刀をすり抜けて突き刺さった。
痛みで彼の体がびくりと震える。それを見て、ガードナーは冷たく視線を投げた。
「ぐっ……」
「投降しなさい。私には貴方を処罰する権限はありません。学院に自首する事をお勧めします」
「ちっ、……分かったよ。降参だ、降参」
マルコは刀を鞘に仕舞うと、両手をひらひらと振って見せる。おどけたようなその様子に、私の目は自然と鋭くなっていた。
ガードナーは降参の意を示した彼にそれ以上刃を向ける事は……
「なんつってな!」
彼は当然と言うか何と言うか、すぐさま刀に手を掛けて刀身を晒す。そして流れるような居合で彼女の身を斬り裂いた。
「NPCの分際で、偉そうな事言いやがって! 誰が降参なんかするかよ!」
「……」
しかし、その行為に驚いた者は、この場には誰もいなかった。
斬られたガードナーも、そして後ろから見ていた私も。だというのに本人だけは上機嫌だ。
そもそも攻防優れた魔法戦士に対して、魔法が封じられた侍が一矢報いた所で、形勢は逆転しないのである。彼はガードナーを一方的に倒せなかった時点で“詰み”なのだ。
威勢よく何を言っても虚しいだけ。こちらに余裕があるから声を掛けた、ということに気付いていないのは本人だけだ。
しかし、一撃入ってから少し彼の調子が出て来たのも事実だ。
綺麗に捌かれてはいるものの、実力差が明白なガードナー相手に善戦している。
……善戦しているのだが、実力差を前にしては結局一時の均衡でしかない。
彼女は自身の剣に炎を宿らせると、突きの姿勢を取る。先程同じ構えで属性剣を受けたマルコはその動きに警戒して……腹を蹴り抜かれた。
強烈な魔法攻撃を囮にした蹴り……MP効率だけ考えれば愚策中の愚策だが、一撃が入るか入らないかで勝負が決まるPvPでは有効な手段だ。現に突然の衝撃でバランスを崩したマルコは、ガードナーの連撃の餌食になっている。
それにしてもこの風紀委員長、普通に戦えているし、意外に読み合いも出来る……もしかして、強いのか? 私はてっきり頭のおかしい自称正義の味方的な何かだと思っていたのだが……。
「ま、待て、俺が」
「これ以上は問答無用!」
マルコは何かを言い残そうとしていたが、ガードナーはそれすらも許さずに風の属性剣で斬り捨てた。
彼はその一撃を受けて倒れ込む。本来ならこれから蘇生待ち受け時間だが、彼は蘇生可能なパーティメンバーが存在しないのですぐに消えて行った。今頃は光の神の広間か、もしくは更生施設だな。
いずれにしてもイエローマーカーでは24時間パーティが組めないので、数日は大人しいだろう。
女装男が消えて行くと、部屋は静寂を取り戻す。私が来る前から何も変わらない。色付きの窓から柔らかに陽の光が差し込んでいた。
そんな穏やかな光景から目を背け、一仕事終えたガードナーは私を振り返る。そして何とも言えない微妙な顔で私を見下ろした。
「あの、その、彼が変な事を言ったと思いますが、どうか気にしないで下さいね」
「あぁ……え、変な事?」
一瞬セクハラの話かと思ったが、あの時彼女はいなかったはずだ。つまり別の話になるのだが……何だろう。全然思い当たらない。
何の事かと私が首を傾げていると、彼女は更に言いづらそうに視線を逸らす。
「その……偉そうな話、みたいな事です。あまり、指摘するものでもないと思いまして、黙っていようかとも思ったのですが……」
「……ああ、NPC云々という話ですか。気にしていません。というより、私はプレイヤーなので該当していませんね」
「あ、気にしていないなら……え!?」
確かに言っていたな。NPCの分際でとか何とか。
話の流れからてっきりあれはガードナーに言ったのだと思っていたのだが、実際の戦い振りを見るに彼女がNPCという可能性は低いと思う。というか、NPCだったらこんな風に蒸し返したりせず、完全に無視しただろう。
何より、プレイヤーだからこそ、こうしてNPCと思しき私に気を遣ったのだろうし。
……つまり、マルコは私達は二人ともプレイヤーなのにどちらかをNPCだと認識していたという事か。何ともまぁ情けない話だ。
尤も、私は自身がプレイヤーである証拠を語ったので、あの話は多分ガードナーの事で間違いないと思うのだが。
この世界ではプレイヤーとNPCの境界線は曖昧だ。
明確にプレイヤーだと分かっている有名生徒が数名いるくらいで、初対面ではNPCとプレイヤーの区別なんて付けられない。そして何より、プレイヤーだとかNPCだとかといった、明確に“ゲーム”を思わせる表現は若干忌避されている。
その理由はいくつかある。
折角同じ立場の生徒なのにプレイヤー側から差別意識を持ち込みたくないという正義感。ロールプレイをしている時にメタ発言をするなという拘り。何となく皆で守っている決まりなので、自分から破ろうとは思わないという義務感……。
だからこそ、NPCだから調子に乗るなという発言を、彼女は気にしているのだろう。
……それにしても、この「サクラ・キリエはNPC」という話、どこから始まってどのくらい広まっているのだろうか。何と言うか、迷惑という程ではないのだが、若干気に障るのは確かだな。
こうして要らない気も遣われたりするし。
一週間、合計二週間お待たせしました。
体調不良から完全復活し、本日から連載を再開いたします。ストックが増加傾向になりましたら一日二話更新も考えますが、あまり期待しないで下さい。
休載の際には温かいコメントをありがとうございました。また、総合ptもいつの間にか4000点を超えていたようで嬉しい限りです。皆さまの応援のおかげです。ありがとうございました。
今後も拙作を楽しみにしていただければ幸いです。




