第4話 入学試験
「専攻学科とは自分の学ぶ魔法の種類だ。とても重要な事だからじっくり選ぶがいいぞ! まぁ、直感で決めてもこっちとしては問題ないけどな」
半透明の梟使い魔、トビスケがばさりと羽を鳴らすと、虚空から一冊の本が上から落ちてくる。それはいつの間にか止まり木の隣に立っていたブックスタンドの上に着地し、あるページを開いて見せた。
私は突然の事に驚いて上を見上げたが、変わらず真珠色の霧がかかっていて天井らしきものは見えない。一体どこから落ちて来たのだろうか。それとも今のも魔法、という事か。
台の上で見開かれたその本のページには、見慣れぬ言語の羅列が記されている。
こんな本を見せられても日本語と英語と中国語くらいしか読めないぞ。なんて思ったが、不思議と書かれている内容がスラスラと読み取れる。どうやらこの本には学科の解説が書かれているらしい。
……これ、どうなっているのだろうか。私はこの文字を間違いなく見慣れぬ言語だと認識しているのにも関わらず、文字が読める。文字を見ると同時に頭の中で誰かが意味を囁いているような感覚だ。便利なのは確かだが、慣れるまでは違和感の方が強そうではある。
「詳しい解説が必要かな?」
「一応、お願いします」
トビスケの提案に対して、私は半分以上知っている内容だろうなと予想しつつも頷いた。そして、彼の解説は予想通りの話だった。どうやら絵筆の知っている内容、つまり先行体験版から大きな変更点はないようだ。
クラスとは、能力値の伸びや習得するスキル、魔法を決定するキャラクターの育成の上で最も重要な要素である。他の作品では職業と呼ぶことも多いが、本作ではこれを“専攻学科”と呼んでいる。学園モノだからというやや安直な理由で。
そして本作ではこのチュートリアルイベントで、この本に書かれている20以上の学科から自分の好きな物を選ぶようだ。そう言えばアバターの設定の時には聞かれなかったな。あっても良さそうな内容だと思うのだが。
ほぼ知っている内容である彼の話を聞き流しながら、数ページに渡る文言をざっくりと読んでいくと、どうやら絵筆からいつか聞いた話通り格闘学部と魔法学部に大きく分類されているようだ。
格闘学部は格闘と名が付いているが、あくまでも魔法学院のクラスなので魔法も使える。ただし詠唱魔法ではなく近接技として。
このスキルは詠唱時間、つまり技の前隙が基本的に無く、再使用までの時間も多少は短い。攻撃スキルは武器の振り方で威力が増減するらしく、そこそこ戦い方にも工夫ができるようだ。
ただしその数が少なく、後述する魔法の拡張性も乏しい。実際に習得するのは自己強化技やパッシブスキルの方が多いようだ。どちらかと言えば通常攻撃が基本となる設定なのかもしれない。
そんな格闘学部に対して魔法学部は、ある意味で魔法学院らしく、一般に普及しているイメージ通りの魔法が使える。炎を出したり傷を癒したりという超常現象を操ることが出来るのだ。
そういった詠唱魔法は実際に呪文を唱える必要はないようだが、詠唱時間、つまりスキル発動までの準備時間が長く、一度使った後の再使用までの時間も長い。しかしその分効果は強力であり、その上数も多いので連続して別のスキルを次々と扱える。
そして何より、本作の売りとして公式サイトにもデカデカと書かれていた、魔法の改造に対応しているのがこちらの学部だ。
魔法の改造とはつまり、回復の魔法なら単純な効果や範囲の改善だけではなく、回復効果の乗った風や雨を操る魔法にする事ができるシステム。魔法陣の書き換えという如何にもそれっぽい方法で、それらの改造が可能になるのだそうな。
尤も、その無限に近い組合せの中には数々のロマンも火力効率も詰まっているとは言え、そこまで真剣にプレイする気のない私にとって、煩雑なシステムなどあまり必要のない物である。持ち腐れた宝も無用になった長物も、それなりに邪魔になることだってあるのだから。
記載されているほとんどの学科を見終えた私は、比較的単純な格闘学部の中でも特に単純そうなクラス、重戦士を選択する。
重戦士は高い防御力と地味に低い攻撃性能を持ったタンク役だ。タンクと言えば、敵の攻撃を受け止める重要な役回りであり、チームプレイで何かと責任を負わされる役割No.2の印象だが、やる事自体はかなり単純そう。真剣にやる気もないのでシンプルさというのはとても重要な要素と言える。
だってVRってことは、ヘイト管理とか気にせず敵と味方の直線上で盾を持って構えておけばいいんでしょう?
私は筆記台に乗っていた古臭いペンで、重戦士の欄にチェックを入れる。
それを上で見ていたトビスケは軽く羽ばたいて、ほっほーと鳴いた。私の選択を受けて特に何か言う事は無いらしい。そういう思考パターンを組んでいないのか、それとも本当に興味がないのかは分からないが、早く終わらせたい私にとってはどちらでも良い事だ。
「それじゃあテストを始めよう。武器を取りたまえ。好きなのでいいぞ」
「武器?」
武器とは何のことだと視線を上げると、止まり木の前にいくつかの武器が並んでいた。
トビスケと同じく白く半透明な剣と斧と槍だ。それらは見えない天井から糸で吊られているように宙で静止している。
剣と斧と槍か。ここも一番単純そうな物でいいだろう。
私があまり考えずに中央の剣を手に取ると、他の武器は霞の様に消え、手にした剣にはじわじわと色が付いて行く。何だか幻想的なその現象をぼうっと見ていたのだが、
「って、うわっ、重……」
それと同時にずしりと剣が重さを取り戻す。
突然宙に吊っていた糸が斬られたような重量の変化に、私は思わず二歩三歩と踏鞴を踏む。いや、本当に重いなこれ。私の腕なんかの何倍も質量あるんじゃないか。
その武骨な片刃の剣は、現実以上に細く幼い手には少々大きすぎる。鈍色の輝きは確かに頼もしい物があるが、もうちょっと短いのはなかったのだろうか。
それでもなんとか私が身長の半分ほどもある長剣を構えると、トビスケはお気楽にある一方を指し示した。
視線でそちらを伺うと、そこにはいつの間にか狼が佇んでいる。どうやら私が剣の重さに気を取られている間にどこからかやって来たらしい。狼は何をするわけでもなくただじっとこちらを見ている様子で、動こうともしない。
「入学試験の一環さ。あの魔物は君を噛み殺すことができないから、存分にその剣で戦ってみたまえ」
なるほど。基本的な説明の次に、今度は戦闘のチュートリアルか。
私は早速とばかりにさっき習った魔法視で狼を見てみると、ぼんやりと白いオーラが見えた。これは敵の体力を現しているので、これがなくなったら戦闘終了か。
しかしこちらを殺せないということは攻撃力は皆無、もしくは私がずっとHP1で耐え抜くということだ。入学試験がこんなにちょろいチュートリアルでいいのか? いや、チュートリアルだからこそというメタ的な視点を入れると当然の措置だが、一応名門的な扱いだと聞いているのだが……。
そんなどうでもいいことを考えながら目を開けると、視界一杯に映ったのは眼前に迫る狼。ちょうどそれが口を開けて跳びかかって来ている所だった。
「うわわっ!?」
突然の事に腕を上げて防御しようとするが、結局腕を噛まれて意味があったのかなかったのか。重量差からそのまま押し倒されて、私は背中と後頭部を強く地面へと打ち付けた。
その衝撃以上にチクチクと痛む腕を見れば、狼がその顎でがっしりと噛み付いてる。現実で指先を切った程度の小さな痛みだが、正直それ以上に見た目の恐怖が凄まじい。自分と同じサイズの獣に襲われているのだから当然と言えば当然だろうか。
「このっ……」
私はせめてもの抵抗として、空いている手で狼の鼻先を殴る。
その手を見た瞬間、頭のどこかで何かが引っ掛かる。数瞬その違和感を悩んだ末に、一つおかしな事に気が付く。はて、どうして私は空手なのだろうか。剣はどこに?
打撃によって緩んだ牙からぬるりと腕の拘束を解くと、視線を自分の頭の先に向ける。そこにはさっき倒れた時に取り落とした剣が鈍く光っていた。剣の重量が幸いしたのか、そう離れた場所ではない。
しかし、腕が外れたとはいえ押し倒されている事実は変わらないのだ。この状況を何とかしなければ。私は決死で剣へと手を伸ばすが、細い指が柄に触れる前に嫌悪感が全身に駆け回る。
首だ。
狼が私の喉笛に噛み付いたのである。
腕と違って弱い部分だったのが幸いしたのかすぐに牙は外れ、その拍子に私は何とか狼を突き飛ばす。
簡単に外れたのは多分、喉に噛み付ける十分な頑丈さの骨がなかったから。つまり、現実だったら噛み千切られていたと言うことだろう。
私は突き飛ばしたその勢いのままに後ろへ転がり、剣の下まで駆け寄ると、ようやくそれを拾い上げた。
「はっはっは! 無様だねぇ……くっくっく」
「ちっ……このクソ梟……開始の合図くらいあってもいいんじゃありませんか?」
そんな苦戦中の私を見てトビスケが笑い出す。どうやら相当に面白かったようで、私の指摘は無視……というより、笑い過ぎて返事が出来ないとばかりに激しく笑うばかりだ。表情は分かりづらいが、目を細めて嘴を広げている様は笑顔で間違いないだろう。
対して笑われている私は、片手でさっき噛まれた喉を押さえていた。
大した痛みがないとは言え、人体の急所に対する攻撃に全身から冷や汗が噴き出す。現実だったら失禁ものだろう。いや、それ以上に命は助かったのだろうか。死の恐怖と言うよりも、そういった体験をしたと言う衝撃の方が大きかった。
……そういえば現実では茶飲んだままお手洗いに行っていなかったが、あっちでは大丈夫だろうか。大丈夫じゃないかもな……。
とりあえずそれは忘れて、私は自分の前に剣を構える。多少心音が激しく、頭もふら付くが、足の位置に気を付けて何とか踏み止まった。
攻撃に成功した狼はと言えば、じっとこちらの様子を窺っている。
とにかく、笑われたままではいられない。自分の失敗を笑われるなんて私がこの世で……まぁ一番ではないにせよ、そこそこ嫌いなことだ。むしろ人に笑われるのが好きな人なんていないだろう。
私は何とか名誉を挽回すべく、強く踏み込むと同時に剣を振り上げる。
目標は狼の頭蓋だ。今度は逆にこちらから急所へお見舞いしてやろうと言う算段である。
私は剣を振り下ろし、そして……そのまま前にスッ転んだ。
「うぐっ」
……一瞬何が起きたのか分からなかったが、目の前には獣の脚。どうやら攻撃が外れたらしい。
体重の数割程度の長物を頭上に掲げて、前に踏み込みながら振り下ろしたと言うだけで十分に無理をしていた体勢だ。想定していた目標に直撃することなく剣が何もない空間を素通りし、歩数を数える様に慎重に差し出されていた足のタイミングも合わなければ、こうなるのは自然な事だっただろう。
更に大きくなった笑い声が響き、じわりと目頭が熱くなる。
その後も何度か剣を手に挑戦したが、結局私は碌に攻撃を当てる事すらできなかったのだった。
サクラちゃん不憫時代の幕開け(多分すぐに終わる)