第65話 後悔の日記
以下、資料【研究主任の日記】から抜粋。
8月24日
今日から日誌とは別に、個人的な日記を書こうと思う。
昨日は私の誕生日だったのだが、彼女から一冊の日記帳を貰った。理由はそれだけ。
もちろん昨日から書き始めた方が良かったのだろうが、別に仕事ではないし時間がある時、書くことがある時だけ書こうと思う。その方が飽きずに続けられそうだ。
書く内容は……やはり、仕事の事だろうか。
8年前ダックス博士が提唱した、精霊を純粋な魔力に転化させる精霊核。
理論上の存在でしかなかったそれを実現するため、我々は地道な実験を進めて来た。最終的な目的は下級精霊の軍事利用のためだ。
実験は順調とは言えない。精霊の出力が想定よりも大幅に低く、制御用の魔法陣の稼働にその大半を割かなければならなかったのだ。
しかし、研究所の近場にある精霊の里の、とある大精霊が我々の研究に興味を示したという。
気まぐれな彼らの事だ。約束が履行される確証はないが、大精霊ならば出力の問題は解決するだろう。確かに魅力的な話ではある。一度里に行って話を聞いてみようと思う。
9月1日
交渉の結果、里に居る3体の大精霊の内1体が研究に協力してくれることになった。
長大な寿命を持つ彼らにとって、人間の考える計画で一時的に檻に入れられることなど大したことではないのだろう。
もしかすると、研究を応用すれば精霊に物理的な肉体を与えられるかもしれないという、彼女の殺し文句も効いたのかも。
私はあまり考えていない応用方法なのだが、彼女は独自に研究を進めているのだろうか。まさかとは思うが、口から出まかせを言ったわけではあるまい。
とにかく、我々は今大急ぎで大精霊用の精霊核の準備を進めている。
制御用の魔法陣に改良を加え、出力系も新たに作らなければならないだろう。そういえば、彼女が考えたというあの陣、もしかすると大精霊相手ならば使えるのかも……。
9月17日
今日は彼の親友だという大精霊が、二人揃ってこの研究室にやって来た。
大精霊が全員外出して里の守りと統治は良いのかとは思うが、やはりそれだけ彼が心配なのだろう。
とにかく、元気そうな姿を見れて安心したようだ。本格的な実験はまだなのだが、それは黙っていた方が彼らのためだろう。無駄に心配させるべきではない。
彼の協力のおかげで精霊核の準備も着々と進んでいる。彼らの気が変わらない内に、この研究を完成させなければ。
10月28日
ついに大精霊用の精霊核が完成した。
中にいる彼も安定した様子を見せている。不思議と居心地がいいのだとか。
制御用の魔法陣で魔力を人工的に操作されているというのに、まさか居心地がいいとは思わなかった。
……正直な所、彼にそう言ってもらえて今まで我々が使い潰してきた、意識すら持たない下級精霊への罪悪感が少しは紛れた。屠殺場の従業員のようにすっかり擦り切れてはいるのだが、一応私にもまだそんな感情があったのだと実感する。今更ではあるのだが。
実験中は精霊核を外部から開けたり閉めたりと繰り返したが、特に異常はなかった。制御用魔法陣は正常に機能しているらしい。大精霊の魔力に対応させるのには骨が折れたが、この点に関しては彼女のひらめきと、それを覚えていた自分自身に感謝しなければ。
意志を持つ精霊である彼を人間同士の争いに巻き込むことはできないが、ここで得たデータは、必ず国民を守るために使われるはずだ。
後は出力系の実験と、外装の着用を残すのみ。ようやく終わりが見えて来た。
11月5日
困ったことになった。
研究が進展したことを報告してしばらく経ったが、本部から追加で新しい研究員が来てしまった。どうもこれが単純な人員の補充ではないらしい。
彼女の知り合いとのことだが、どうやら肩書が私よりも強いらしい。こんなことになるなら、研究だけではなく本部とのコネ作りもやっておくんだった。
我々がデータをすべて開示すると、新しい研究員は精霊核の調整と外装の開発から私を追い出し、自分が主導で研究を進め始めた。
最初は成功が約束された研究を自分が主導していたという、名誉だけが欲しいのだと思っていたが、研究主任、つまり責任者の名前だけはいつまで経っても私のまま書き換わらない。
何か嫌な予感がする。私はこのまま出力系の研究を続けても大丈夫なのだろうか。
(これ以降は日付が書かれていない。筆跡も大分荒れている。)
私は、自分が善良な存在だとは思っていない。
大量の下級精霊を使い潰し、それと同じ扱いを受けたいという大精霊の提案に喜んで飛びついた。
善か悪かで言えば、間違いなく悪なのだろう。
しかし、これは、この研究の終着点は到底許されることではない。
これ以上進めば、もう手の打ちようがなくなってしまう。二人に頼もうと思う。きっと怒られるだろう。私は親友を奪った事に対する怒りの余り、殺されるかもしれない。
それでも、彼を救う手段はこれしか残されていない。
精霊核に大精霊を完全に封じ込め、自由意志も消し、ただ戦うだけの機械、その部品にしてしまうなんて事は、断じて許されることではない。
この研究はどんな手段を使ってでも止めなくては。
失敗した。
私のあずかり知らぬところで、研究は大いに進んでいたのだ。
頭を下げて連れ込んだ大精霊は、彼に殺されてしまった。
私が、彼に殺させてしまった。
私は償わなければならない。
この研究をどんな手を使ってでも止め、この研究施設を封印する。
この後悔、いや、不安を日記に書くべきことなのかは分からないが、後世に語り継がれるであろう愚か者の考えとして、書き残しておこうと思う。
私がこの研究を止めれば、間違いなく我が国は敗戦の一途をたどるだろう。
昨日も彼女の生まれ故郷が焦土になった。
新たな大出力兵器との噂だが、国民や建物を一切気にしないその作戦を見るに、かの国は本当に土地と鉱山資源だけが欲しいのだろう。むしろ、更地にして全員殺してしまった方が、入植も管理も楽だとでも考えているかもしれない。
戦争に負け、刃を取り上げられた後の我が国の民、そして未来の子供たちの扱いを案じぬわけではないが、それがこんな研究を進めていい理由にはならないはずだ。
幸い、まだ大精霊を相手にするのは想定外だったようで、試験用の限定起動ではなく、未完成のまま全開戦闘を行ったことで一時的に誰も彼に近付けなくなっている。
止める方法もあるにはあるが、あの様子では死の危険を冒してまで止めに行く研究員はそうそう現れないだろう。誰かその辺で捨て駒を雇っても、知識が無ければ死体が積み重なるだけだ。
余裕はないが、時間はある。
まずは、本部と大きな繋がりのある研究員を、全員殺そうと思う。それが終われば次は本部の上層部。幸い、あの騒動で研究所も本部も混乱している。私にどこまでできるかは分からないが、例え殺されてでもやらねばならない。
躊躇いはしない。それが私に残された唯一の贖罪だからだ。
こうでもしなれば、藁にも縋る思いの我が国は、きっとこの研究に頼ってしまう。我が子が、愛する妻が敵国に踏み潰されることより、人ではない存在を犠牲にした方がマシだと考えてしまう。
それは仕方のない事だ。だからこそ容赦はしない。
私は自分の技術が罪のない隣人を殺すことと、敵国に故郷が蹂躙されることを天秤にかけ、そして片方を選び取ったのだ。
後世の人間から見れば、こんな選択をした私は愚か者だろう。いや、生き残り、歴史を書き記すのはあちらだろうから、戦争を早期に止めさせた英雄として語り継がれているだろうか。
……一つ気掛かりなのは、あの新型の魔法兵器だ。
あれだけの威力をどうやって出しているのか、研究者として興味がある。こんな状況だというのに、呆れた男だ。
願わくばあの兵器が、殺戮という結果以外は美しい、人道的な叡智の結晶でありますように。
本日二話更新の前編です。




