第55話 毒性の本質
「まず初めに確認しておこう。コーデリア君。エーテル液とは何かな?」
「……えっと、エーテルは魔法性物質と呼ばれる物で、実在はせずに魔法的な影響を現実に……」
「惜しい! それはエーテルの説明だね。実はエーテル液と言うのはエーテルの本質的な……いや、本質的はおかしいな。えぇと、エーテル液は僕たちにとってエーテルの最も馴染みのある形ではあるんだけど、実は他の形態をとることもできるんだ」
コーディリアの回答を否定したヒューゴ先生は、図を一旦無視して解説を続ける。他の形態? 軽くする……。
私が少し考え事をしている間にも彼の話は進んで行く。考えるのは後でいいか。今の話はいつもの脱線ではなく、今回の本筋。しっかり聞かなければと視線を戻す。
「僕たちは見えるし触れるエーテル液をエーテルの最も馴染みのある形として認識している。でも、“元の”エーテルを僕たちは認識できないから、エーテル液はある種特別な状態なんだ。
実はエーテル液には水の属性が付与されている。エーテルは周囲の魔力に反応して性質を変えるわけだが、エーテル液は見えないエーテルに水の魔力に反応させた、魔法物質というわけだね。
そして、ここに火の属性を付与する! 具体的にはエーテル液の魔法的な条件を整えた後に加熱するわけだけど、そうすると相反する二つの属性が変異して、風の属性を持つようになるんだ。風のエーテル。つまり、気体の性質を持つエーテルさ」
気体ということは当然液体よりも軽い。ここまでくれば後は分類するだけだ。魔力因子は軽い分反応しやすくなるし、液体と気体のどちらが結合と言う状態から遠いのかと言われれば間違いなく気体の方だ。
ここから解説はエル式に……と、私はそう思っていたのだが、彼の話はそこでは終わらない。
「でもね、気化エーテルは空気より軽いし、何より体積が膨大だ。その上境目が見えないし、集まる力以上にどこかへ行く力が強い。つまり、特定の部分だけを集めるにはまったく向かない性質なんだよね。気体のまま純度を上げるのは、まぁ町一つ分の広さの工場でもあれば実用的な量が作れるかも……みたいなレベルの話さ。液体のままよりは数千倍現実的なんだけどね」
彼はそんなことを言って肩をすくめる。てっきり気化させてしまえば話は終わりなのかと思っていたのだが、どうもそうは行かないらしい。
では、この気化エーテルの話は丸々ヒューゴ先生の無駄話だったのだろうか。流石にそんなことはないと思うが。
「先生、それでは結局気化エーテルもエーテル液よりちょっと扱いやすいだけではありませんか?」
「その通り。でもエル式はね、分けやすいけど使いにくい気化エーテルと、分けにくいけど扱いやすいエーテル液のいいとこ取りをした設備なんだよ」
そう言うとヒューゴ先生は黒板に貼り付けた図を叩く。
そこに描かれているのは、かなり簡易的な図だ。おそらくは先程からチラチラと話に出て来るエル式と呼ばれる毒性因子抽出器の簡略図なのだろう。
今まで習って来た抽出器は主に魔石を砕いてエーテル液に浸すという基本の工程に、純度を上げるためのあれこれを加えた形式の物だった。当然そこには気化エーテルなんて物は使っていなかった。
しかし、彼は最高傑作であるこれは違うと自慢げに語る。
「まずね、一つ注意しなければならないのは、これが“毒液”の純度を上げるための器具だってこと。つまり、魔石から毒液を生成するための物ではなく、今既に手元にある毒液をさらに強めるための道具なんだね。
では、エル式の原理を説明しようか。
ここの加熱部に元になる毒液、つまり毒性因子を多く持ったエーテル液を投入する。さっきも言った様にここでエーテルは火の属性を付与されて、気化エーテルになるわけだ。空気よりも軽いエーテルは上に上にと進んで、この管に入る。この管は冷却管と呼ばれる物で、非常に長いし、構造も特殊な物だから作るのに時間がかかるんだ。簡略図だからこうなっているけど、割ったらお金出して半年待つくらいの貴重品だから気を付けてね。
この冷却管の最大の役割は、火の属性の除去。エーテル液に火の属性を付与した物が気化エーテルだから、そこから属性を抜くと当然エーテル液に戻る。その際に、気化エーテルの特徴。分類しやすいという性質が効いてくる。
冷却管は“選択的に”特定の魔力因子を持ったエーテルから火の属性を抜き出し、エーテル液に戻すことができるんだ。ゆっくりゆっくりとね。戻ったエーテル液は二重構造になっている管の下側に入り込むと、冷却管下部に取り付けられた取り出し口に落ちてくる。これがエル式の基本の動きだね」
……なるほど。物理的な蒸留と似たような物か。違うのは沸点が同じなのに、液体に戻るタイミングが魔力因子毎に異なる事。
多分だが、動き自体は分かったと思う。工場が云々と言っていたのは、気化エーテルを気化エーテルのまま扱うという条件の話だったのだろう。気化エーテルは分類しやすいから分類まで気化エーテルで行い、エーテル液は集めやすいから集めるのはエーテル液。
そうしてエーテルの特徴を十全に活かした手法なのがエル式なのだろう。言われて見ると今までの手法がすべて原始的なものに見えてくるな。実際の効率は見て見ないと分からないが、こうして再度不純物を取り除けば……。
なんて考えた時、一つの疑問が思考に引っかかる。
「これがエル式の基本構造。簡単だろう? ただ、言うは易し、なんて言葉があるけど、冷却管が今まで技術的に作れなかったんだ。……ここまでで何か質問はあるかな?」
「はい。先生」
「何かな、キリエ君」
「この性質で魔力因子の“選別”を行った場合、毒液以外の、例えば回復薬などが作れる気がするのですが、実際には違うのですか?」
私の疑問に彼は笑顔で頷いて見せる。生徒から授業についての質問が来ると非常に楽しそうにするのも彼の特徴だ。やや甘い顔立ちなのもあって笑顔は良く似合う。
「うん! 実にいい質問だ! 君の発想は正しい。理論上は可能だと僕も考えているよ。でも一つ……いや、二つ問題があってね。
回復薬に使う因子を治癒因子と言うんだが、これが毒性因子と“殺し合う”性質がある。同じ魔石の中に同時に入っているのは極めて稀だ。双子魔石なんかのレア物でしかお目にかかれないし、嘆かわしい事に、そんな希少な魔石を毒性学なんかに使うなと言うのが学者の中でもまかり通っている。
そしてもう一つ。薬学を学ぶと分かるんだけど、実はこの治癒因子、炎の属性と極めて相性が良くて、逆に水と相性が悪い。あっちはむしろ人にとって扱いやすいエーテル液と治癒因子の結び付きを強める方法を模索している学問なんだ。で、そんな回復薬をエル式に突っ込むとどうなるかというと、何と気化エーテルがエーテル液に戻らない。いや、もちろん理論上は戻るんだけど、この方式で“選別”しようとすると冷却管の長さが今の4000倍必要だって言われている。今でも合計数百m近くの長さがあるから、技術者は他の方法を使いたいだろうね」
私はヒューゴ先生の話を聞きながら、顔に手を当てて考え込む。
彼の話で一番重要な部分は治癒因子とやらが毒性因子と同一の魔石に入っていないということだ。尤も、それ自体は私の疑問の解消の助けにはならない。むしろ“疑問の補強”へと繋がっている。
治癒因子が魔石に含まれていないなら、今まで私達が邪険にしてきた“不純物”とは一体なんだ。魔力因子なのは間違いないが、魔力因子とは一体何種類あるのだろうか。
チラリとエル式の図を覗く。
エル式は主に3つの要素で成り立っている単純な器械だ。もちろん魔法的な仕組みが“メカ”ではないという意味での単純だが。
純度を上げる前の毒液を入れる加熱部、毒性因子を選別する冷却管、そして取り出し口。見れば、取り出し口は冷却管の真ん中に置かれており、冷却管の先は簡略化のために切り取られている。
それをじっと見ていた私の前に、ヒューゴ先生はぬっと顔を出す。突然のことに驚いて身を引くと、彼は実に楽しそうに笑っていた。
「……納得がいかないという顔だね」
「納得がいかないというより、私の質問を治癒因子の話としてはぐらかされた気がしていますが?」
「なるほどなるほど。君は……僕の所に来て毒性学の研究員にならないかな? 君と授業が出来なくなると、やっぱり寂しいものだからね。
……でだ、君の予想は大いに当たっているよ。このエル式はね、今まで魔力因子の中の毒性因子と一口にまとめて呼ばれていた因子を、世界で初めて“細分化”した機械なんだ!」
***
毒性学の授業はついに教室を飛び出し、私達は特別棟にある実験室の一つへとやって来ていた。
そこに待っていたのはエル式の実物。大きさは天井ギリギリの高さと両開きの扉を優に超える横幅。この体積のほとんどを冷却管が占めているというのだから驚きだ。
これを見ればヒューゴ先生が実物を実験器具として教室に運び込まなかった理由が一目で分かる。大きすぎて運べないのだ。
ヒューゴ先生は白衣を翻すように、エル式を背にして解説を始める。
「さて、キリエ君のさっきの疑問に答えようじゃないか。治癒因子はエル式では扱えない。でも、他の因子なら、分類が可能だ。こんな風にね」
彼の指し示すエル式の取り出し口には、いくつもの瓶が並んでいる。一見中身はどれも同じエーテル液に見えるが、その上に取り付けられているプレートを見て私は小さく息を飲む。
プレートに書かれている文字は、純毒性因子、神経毒因子、腐食毒因子……と様々だ。おそらくだが“毒性因子”の中でも異なる力を持った魔力因子が細分化されているのだろう。
これが毒性因子の中の不純物の正体。毒状態の影響力を抑えていた物……そして同時に、純度が高ければ他の状態異常を引き起こす魔力因子。
つまりこの器械、“毒液の種類を増やす”ことのできる装置なのだ。
私は細分化と言う“意味”を正しく理解して、驚愕する。
毒液は今まで毒状態を付与する微妙な道具でしかなかった。それはある程度誰にとってもそうだと言わざるを得ない。何せ私が自作した毒液でも影響力は100が限度。敵一体に影響力100では、単独で全く使い物にならないと言ってもいいだろう。
私達がそれでも毒液を求めたのは、毒状態の深度という仕組みを把握しており、尚且つそれを戦略に組み込む必要がある程に貧弱だからだ。毒が無くても戦えるならば、こんな物に頼ろうとは思わない。
しかし、しかしだ。
もしも毒液に種類があって、“毒以外”の状態異常を付与する毒液があるのなら……?
「最後までこの授業を受けた成績優秀者の二人には、この研究室を自由に使ってもらって構わないよ。人数が増えたら予約制になっちゃうんだけど、二人なら問題なく使えるよね?」
ヒューゴ先生のそんな言葉で、私達の毒性学の授業は本当の本当に終了となったのだ。
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~~ 以下、今後の展開について。ちょっとしたネタバレを含む場合があります ~~
※※ 特に重要な話ではありません ただの雑談です もちろん読み飛ばし可 ※※
作中でも言及があった様にしばらくは強化パートですが、流石に呪術科中級の授業までしっかりやると長いのでそれ以外を中心にやります。禁書庫も長くなりそうなので後回しにした感じです。まぁ昨日も書きましたが、こういう話は無限に書けますので別にやってもいいのですが……これ以上授業続けるのもあれかなと……もう二日も使っちゃったし……。
上級には授業がない設定なので、もしかすると自習やシーラ先生の個別レッスンを除くとこれが最後の授業の話になるかもしれませんね。今の所、これから先授業だけの話を書く予定はありません。多分、大型アップデートとかイベントとか来てからになります。多分……。
もちろん授業で何かやりたい事が出来たらその限りではないのですが、あっても林間学校とか夏合宿みたいな特別授業! って感じにするように考えています。……何か、書いていて思ったのですが、この作品に出て来る主要キャラクター、夏とか似合わなそうですね。全員夏バテしてそう……。




