第54話 新たな知識
嫌に古臭い鍵を右手で弄びながら、つい先ほどまで見ていた文献を思い出す。
あれは、一体何だったのだろうか。いや、事前に学院長とシーラ先生に概要としては聞いていた。それでも私の中で、あそこに乱雑に積み重ねられた記録の数々が、少しだけ引っかかる。微かな、しかし忘れられない違和感。
私が手に持っている鍵は、授与式で学院長から持たされた物だ。
曰く、シーラ先生と彼が私の成績について賭け事をしており、先生が勝った際の報酬の様な物らしい。それがなくとも学院長から証を授かった生徒は一つだけある程度の望みを叶えて貰えたらしいので、私はシーラ先生のせいでその報酬を選べなかったわけだ。
もちろんデメリットだけではない。私が報酬を選べないのとシーラ先生が多少のリスクを負う代わりに、この鍵は叶えて貰える限度である“ある程度”を超過した物であるらしいのだ。
私は実際にこうして鍵の先の“禁書庫”の中身を見て、それを理解した。
多少禁書という表現が仰々しいというか、的外れな面もあるのだが、あれは確かに易々と生徒に渡して良い物ではない。そして同時に、これがシーラ先生から私への贈り物であることも、その通りなのだろう。
特別棟の地下への扉を開け、地上の廊下へと出る。私はその扉をしっかりと施錠してから、報酬として受け取った鍵を魔法の書へと仕舞い込む。
私は自分一人で禁書庫に入る権利はあるが、他の生徒を招く権利はない。そのため私がこの地下に行くことができる事自体、ある程度秘匿した方が良いと教えられていた。そうなるとここで得た知識も、ある程度は秘匿する必要があるだろう。そもそも今すぐ使えるような物でもないのだが。
幸い、特別棟の最奥にある鍵のかかった扉など、生徒が頻繁に訪れる場所ではない。図書室に向かう生徒にそれとなく紛れてしまえば、私の行動がそう目立つこともない。
さて、次の授業は毒性学。それも今日が最終回だ。呪術科と違って遅れるわけにはいかない授業。
私は頭を切り替えると、教室棟へ続く渡り廊下、そして教室棟へと歩みを進めていく。
いつも使っている教室の前で、この教室の前の授業は魔法生態学、つまり魔物についての授業だったなとこの前調べた内容を何となく思い出す。教室の扉を開けると、既にコーディリアはいつもの席で待っていた。
「早いですね」
「あ、サクラさん。ごきげんよう」
「はい、こんにちは」
挨拶を交わしコーディリアの隣、黒板正面の椅子に腰を下ろす。
はて、彼女の挨拶はもっと普通の物ではなかったかな等と考えつつ、私は毒性学用に買い直したノートとペンを準備する。毒性学は呪術に比べて圧倒的に書く内容が薄いのだが、一応授業の真似事として実験の注意事項や、自分で毒液を作っていて気付いた工夫等をまとめてあるのだ。隣でお行儀よく座っているコーディリアも同じような事をしていたはず。
ちなみに、彼女に感化されたという訳ではないが、私も一応ノートはこちらの共通語で書くようにしている。文字は全く似通っていないが文法に関しては魔法言語と多少対応する部分もあるので、一種の訓練の様なものだ。
教室の正面に設置されている壁時計を見上げ、昨日習った呪術の考察でもしようかと別のノートを開く。
その時ちらりと視界に入った、少女の様子に私は思わず手を止めた。
「……どうかしましたか?」
「え? ど、どうしてですか?」
「いえ、こちらを見ていた気がしたので、何か話があるのかと」
「あ……申し訳ありません」
じっとこちらを見ていたコーディリアにそう問うと、彼女は少し俯いてから謝罪の言葉を口にした。
何でもない、とは言わないのだな。どうやら何か隠し事があるわけではない様子。本当に私について何か気掛かりなことがあるのだろう。
一つ思い当たることがあるが、それについては彼女が気にしてもどうしようもない事のはずだが……。
「もしや、私が急に有名になったから心配しているんですか?」
「……それも少し。ブローチをしていないので、目立ちたくないのだろうなと」
「ああ、あれですか。あれはほら、ここに」
私はしばらく鞄としての機能しか使わないであろう魔法の書を取り出し、その裏表紙を見せる。
そこには私が昨日獲得したブローチが整然と並んでいた。
一番目立つ右上に大きな学院首席章、その隣に学部首席と次席、準優秀が縦に一列。そしてその左側は呪術科の記章がズラリと12個並ぶ。魔法の書はかなり大きな本ではあるが、あまりに数が多過ぎるため裏表紙一杯をキラキラと記章が埋め尽す程だ。
個人的には中々壮観なそれを見て、コーディリアは目を丸くする。
「そんなところに……沢山ありますね」
「半分以上は自分のではありませんけど」
私達がそんなお喋りに興じていると、始業の鐘を待たずにガラガラと教室の扉が開いた。
まさか私達以外の毒性学受講者が、というわけでは当然ない。私達二人だけしかこの授業を受けていないのは、この前驚いてしまった呪術科と違ってある程度認識がある。
毒性学の最終回も私達が受けるのが最初で最後……いや流石に最後かどうかは分からないが、副専攻の進みの遅さを考えるとしばらくは現れないだろうな。
扉を開けたのは、珍しく時間前にやってきた毒性学の教員、ヒューゴ先生。
いつもとは違うその様子に、私は内心首を傾げる。
珍しく時間前に来たのもそうだが、もっと決定的な部分が異なるのだ。
毒性学はほぼ毎回実験を行う授業。私とコーディリアが出会った初回と同じく、毎回異なる毒液の抽出法、つまり毒性の魔力因子を魔石からエーテル液に受け渡させる手法を、実験形式で習って来た。
そのため彼は授業の度に人数分の実験器具を両手に抱えて移動していたのだが、最終回である今日に限ってそれを持って来ている様子はない。
最後の最後に座学か?
そう身構えたが、彼は実験器具の代わりに大きな紙を黒板に貼り付ける。マグネットで留める古いタイプの黒板のため、丸まっている厚手の紙に多少苦戦していたが、大きなそれを貼り終えると笑顔で私達を振り返った。
「さて、早いけど揃っているね。授業を始めよう。こんにちは諸君!」
「こんにちは」
「ごきげんよう」
「今日が最終だと思うと先生は寂しい。君たちは僕の唯一無二の教え子だ……けど、授業はやらないとね。
これを習えば、一応魔法毒性学のカリキュラム上で習うことになっている、すべての内容を修学したことになる。もちろんもっと高度な内容はあるにはあるんだけど……研究者にならないんだったら必要なのはこの時点までだと、僕も考えている」
珍しくヒューゴ先生がカリキュラムに従う方がいいという旨を口にする。
そのあまりに現実味のない発言に、私達は二人で顔を見合わせた。毎度毎度カリキュラムに従う必要はないと宣言していた彼とは思えない言葉だ。
私達が驚いている間に始業の鐘が響き、ヒューゴ先生は黒板に貼った用紙を指し示す。
「さて、これが最後に教える毒性因子抽出器、通称エル式と呼ばれる代物だ。設計された歴史は滅茶苦茶古いんだけど、再発見されたのは結構最近だし、何より昔は設計できても技術的に作れなかったみたいだ。古い物の実物は一つもない。一番古いエル式の実物は68年前に完成したけど、今とは精度が比べ物にならないものなんだね。
さて、こいつには一番重要な特徴があるんだけど……その前に復習しておこうか。コーデリア君。今まで毒液の影響力を強めるために使った手法があったね。それは主に“どうやって”毒性を強めていたかな?」
ヒューゴ先生はコーディリアを指名する。ヒューゴ先生は授業中にこうして生徒に質問を投げかける事が多い。受講者が二人しかいないので交互に当てられることは避けられない上、下手な事を言うとここから関係のない話に飛んでしまうので、地味に緊張の一瞬だ。
今回はやや問いの範囲が広いが、今までの授業を受けていれば分かる内容。彼女もそう的外れな事は回答しないだろう。
「はい。毒性因子を選択的に優性に、もしくは活性化してエーテルに優先的に溶かしました」
「そうだね。つまり、雑多に混ざり合った魔石の中の魔力因子の中で、毒性を持つ物だけをエーテルに溶かしやすくしたんだ。これで出来上がる毒液に含まれる魔力因子中の、毒性因子の割合を高めたわけだね。
では、もう一つ質問だ。選択的に活性化する……“なぜそんなことが出来るのか”。勘のいい君なら分かるかな? キリエ君」
私はヒューゴ先生の質問に、数秒頭を捻る。これは授業で習わなかった部分だな。
しかし言われてみれば確かに、すべて同じ魔力因子ならばなぜ毒性を持った物だけが今までの手法で“優先度”を上げられたのだろうか。エーテル液の中の毒性因子の割合を増やした結果、毒液の影響力が上がったのだから、エーテル液への溶けやすさを選択的に操作したということは確かで、つまり……。
ふむ。改めてなぜ、と問われると中々難しい質問だ。今まではそういう物だという話で流して、そして流されてきた部分だが、これが今回の授業に関係するのだろうか。
“聞かれた内容”なのかどうかは分からないが、一応考え付く部分までを回答する。
「……魔力因子が持っている性質によって、魔法的な現象に対しての反応が違うから、ですか?」
「そうだね! そうなんだ。うーん……ほぼ正解でいいだろう。
僕たちは実は一口に魔力因子って呼んでいるけれど、もちろんエーテル液に溶かした時に持つ力も違うし、その前、魔石の段階で既に自分に近しい魔力にそれぞれの魔力因子は反応しやすくなっているんだ。この性質を使って、ある程度選択的に魔力因子を操作することができるってことだね。
でも実は、この方法で作っても純度はそんなに高くないんだ。と言うのも、厄介な事に似たような因子は似たような反応をするし、因子自体が持っている魔力に共鳴して引かれ合う力は、エーテル液同士が結合する力に比べて非常に弱い。
あ、これって現実的に実験できる範囲での話なんだけど、もちろん規模が大きくなればなるほど少しずつ強くはなるんだ。だから僕は惑星規模の魔法陣作って地中で実験しようって話を学院長にした時にね、そんなのできないって言うんだよ。魔法陣は魔法陣と干渉するから、いくつの国家潰すつもりだってね。僕も考えたんだよ? だから学院の裏側でやればいいんじゃないですかって答えたんだけど、そこに国がないわけじゃないって酷く怒られてね。実験に犠牲は付き物。別に死ぬわけじゃないんだから、ちょっと貧民2000万人くらい星の裏側に引っ越してくれれば、それだけで良かっただけなのに……」
いつの間にかいつもの長話に切り替わっている。流れる様に話題が転換していったので気付かなかった。これ授業の本筋に関係しない話だ。
「先生、その話は必要ですか?」
「ん? ん-……知ってて、損はないかな」
「では、本筋に戻してください」
「はい……」
彼は生徒二人に叱られて、しょんぼりと話を“エル式”とやらに戻す。
「えぇっと、どこまで話したかな。そう、選択的に魔力因子を動かせるって話だね。でもエーテル液に溶かした段階で、エーテル液の見かけ上の質量や結合する力に対して反応共鳴する力が小さ過ぎて、あまり純度が上がらない。力を増やそうにも魔法陣や魔法的な仕掛けには物理的、現実的な制限がある。
……ではこう考えたらどうかな。エーテル液を軽くして結合から解放することさえできれば、更に純度が上がるのではないか、とね」
こういう話、書いている分にはスーパー楽しいし無限に書けるんですけど、残念なことにストーリーが進まないんですよね。
毒性学の最後の授業は次回まで続きます。禁書庫の話はまた今度。




