第49話 閑話
ちょっと長いですが補足説明のような話ですので、ざっくりとした読み方で問題ありません。
人のいない店内で、私達はティーカップを傾ける。
喫茶店の窓から外を見れば残暑の厳しい初秋も終わり、色気のなかった街に寂しげに並ぶ街路樹もすっかり色付いてしまっている。秋の葉を揺らす風も随分と冷たそうに見えるが、室内にいる私達が何より季節を感じてしまうのが空調が温かな風を送っている事だ。
随分と賑やかな秋の朝。去年の今頃はこんなことをしていなかったなと、私は目の前にいる二人を見ながら微笑んだ。
「いやー、昨日はホントに助かりましたー。わたし一人じゃ絶対無理でしたよ」
「思えば敵が妙に強かったな。事前に聞いていた話よりずっと」
「あれ絶対センパイのせいですからね。試験官に暴力とか何考えてるんだーって、強い魔物出したんですよきっと」
私の目の前に居るのは常連の絵筆……だけではない。今朝は新人の萌が私と同じ服を着て席に座っていた。悪いセンパイを手本にした見事なサボりっぷり。誰に似たのか。
午前中の仕事にも慣れて来た彼女は早朝に出勤するとテキパキ役目を終え、私と一緒に絵筆の席へとやって来てきていた。今日もこの時間帯から3人でのシフトなので、若干人手過多になっているのは否定できない。
最初は萌の登場に面食らっていた絵筆だったが、やはりゲームと言う共通の話題があるのが大きいのかすぐに打ち解けてしまった。もしかすると萌の人柄もあるのかもしれない。絵筆はそう人付き合いの好きなタイプではないので、その可能性は大いにあるように思う。
しかし、それでも彼女の交友関係にはいなかったタイプの人間には違いない。絵筆は私に文句を言う萌をじっと見つめると、ぽつりと胸中の疑問を呟いた。
「……しかし、こうして話してみても不思議だな。全然ゲームとかやりそうに見えないぜ」
「えー、女の子結構いますよ? VRが流行って女性プレイヤー増えてネカマ率下がったらしいですし」
「疑わしい情報だなぁ。あたしなんて出会った美少女とりあえずおっさんだと思って遊んでるぞ」
「……えっ、もしかしてわたしも、幼女好きのおっさんだと思われてたってことですか?」
絵筆の言葉に萌が目を丸くする。それを見て絵筆がおっとと口を噤んだ。その反応は今更遅いと思うが……。
それにしても、女装して幼女の匂いを嗅ぎ、頬擦りとキスを繰り返すおっさんは流石にきついな。知り合いでもご遠慮願いたい。
いや、正体が萌でも匂いを嗅がれるのは若干の……かなりの抵抗があるのだが。キスはまぁいい。何と言うか、慣れてしまった。
絵筆におっさんだと思われていた萌は、彼女なりの厳しい顔で反論する。彼女の場合は、顔の造り自体が甘めの童顔なので全く怖くはない。多分怒っているのだと思う。
「大体、VRには若い女子に人気な理由ってのがあるんですから。ね、センパイ?」
「え? 何? ゲーマー女子が増えた理由なんてあるの? ……VR不倫とか?」
急に話を振られた私は、内心少々慌てながらも言葉を返す。
数秒自分で“理由”考えると、この前何かのニュースで読んだ内容を思い出した。確かVR不倫で問題になった夫婦の裁判がこの前あったな。結局訴えが一部認められ、賠償金だか何だかの支払い義務が発生したはずだ。その話か?
そんな下世話な発想しかなかった私を見て、萌がため息を一つ。どうやら違ったらしい。
「違います。何で最初に出て来るのが不倫なんですか」
「でも、ニュースとかで偶にやってるじゃない。有名人が密談とか」
「都市伝説レベルだが、そういう話もあるな。実質的にハニトラ以外のパパラッチ完全無効だから、裏では絶対やってると思うが」
絵筆も私の話にうんうんと頷く。少し話がズレている気もするが、私と同じく他の理由が思いつかなかったようだ。
それを聞いた萌は、憤慨した様に机をパタパタと叩く。人数分用意された紅茶が零れない様になのか、かなり穏やかな叩き方だ。
「本当に女子ですか? もっと女子としての発想持って下さい」
「……それで? 正解は何?」
流石に不倫はなかったか……私も少し反省するとしよう。
しかし他の理由が思いつかないのも確かだ。私は早々に諦めて萌に問い返す。私達もしかすると女子じゃなかったかもしれない。VRゲームが女子に人気な理由などとんと思いつかないのだ。
彼女は二人分の視線が集まったことを確認してから、胸を張って正解の理由を発表する。
「正解は……生理痛の解消です」
「……それ女子としての発想なの?」
下世話な発想をして反省していた所へ、この回答。まぁ不倫よりは多少綺麗な話題とは言え、これを女子としての発想と胸を張られると微妙な気分だ。確かに女子特有の話題ではあるのだが……。
「あれ不思議ですよねー。現実の痛覚が消えたわけじゃないのに、どうして痛くなくなるんでしょう」
「え? 現実での痛覚は消えてるでしょ?」
「そんな事ないですよ?」
私と萌の意見が食い違い、二人で首を傾げる。
私はVR中、現実での痛覚は遮断されているつもりだった。しかし萌にはそんな認識は一つもなかったのだという。私は自分が痛覚が無くなっていると感じた根拠を述べる。
「だって、ベッドに横になりながら遊んでも、横になってる感覚ないじゃない」
「あー……言われてみれば確かに。でもわたし、VR中に親戚に蹴られて起きたことありますよ?」
「そんなことあるの?」
「はい」
お互いにお互いの話を聞いて、私達はもう一度首を傾げた。
何とも不思議な話だな。もしかすると現実での痛覚が完全に消えて居るわけではないのだろうか。何らかの感覚の閾値があってそれを超えると痛覚として脳が認識するとか……?
しばらく悩んでみるが、私にはこれと言って正しそうな理由が思いつかない。萌も特に理由を知っているわけでもなさそうだ。
しかし、幸いこの場にはこういう話題に詳しいのが一人いる。
「ふっふっふ……それはな、実は認知のゼロ地点説という話があるのだ」
「……オカルトの話ですか?」
私がチラリと絵筆を横目で見ると、彼女は自慢げに語り始める。萌はその聞き慣れない単語に対してまたしても首を傾げていた。
私にとっても耳慣れぬ言葉だ。どういった意味なのだろうかと彼女の話に耳を傾ける。多少話が長そうなのはこの際気にしないことにするとしよう。
「科学的な仮説だ。まぁ簡単に言うと、VR空間に“入った”当時の感覚を基準にして、そこから“認識の上書き”が始まるって話。
意識が現実から離れた瞬間を基準にするから、布団も生理痛もゼロ地点、つまりあって当然の感覚として脳が“認識しなくなる”。
でもVR空間内での五感はゼロ地点から“上書き”されていくから、基本的になくて当然、あったら異常として認識する。だから仮想だけを見たり聞いたり感じたりする事が出来るわけだ。現実で蹴られた時もゼロ地点には蹴られた時の感覚はないから、上書きの範囲内に入ってしまうって話だな」
私は彼女の簡単な説明を聞いて軽く納得する。私達はあって当然の物は見えないわけだ。
例えば、服を着ている時に服の感覚を常に意識してしまう人間がどれほどいるだろう。コンタクトレンズを付けている感覚は?
そこに意識を向けない限りは、感じない感覚。それを意識のゼロ地点と呼ぶのだろう。仮想空間ではその上から刺激を与えるから認識できるし、ゼロ地点として認識しない感覚になっていない、例えば現実で蹴られるといった痛覚は認識してしまうわけだ。
何となくだが話は分かったように思う。絵筆の話が本当に正しいかは別にして、話の筋自体はそうおかしな点が無いように思えた。
しかし私と一緒に絵筆の解説を聞いていた萌は、まだ一人首を傾げていた。納得できない点があるらしい。
「むー……それっておかしくないですか? だってVRって意識がコンピューターの中に入っちゃうんですよね? だったら……」
「入ってないが」
「え?」
「あたし達は別にコンピューターの中は入ってるわけじゃねぇ。意識の電子化なんてまだまだSFの世界に決まってんだろ。それこそオカルトでしか語られてないぞ」
絵筆は萌の勘違いを聞いて、少々自慢げに自分の知識をひけらかす。
……間違った認識を持っていた萌を馬鹿にしたような口調なのは、きっと自覚はないんだろうな。後で何か言っておく必要があるだろうか……。ただ今遮ると機嫌が悪くなりそう……というか自省を始めてしまうだろうから後でだな。
「人間の意識はあくまでも脳にある。現代の神経接続型VRってのは、神経と脳を騙して新しい現実を見せているだけの、言ってみれば夢を見せる機械なんだよ」
「はぁ……つまり?」
「冬場とか静電気が流れるとバチっとして……えーっと、物質に触れたわけじゃないのに痛いだろ? それってつまり、人間は電気を感覚として認識できるって事なの。神経を通して信号が送られて脳が、何か知らないけどそこが痛かったぞってな。
それを使って全身の神経に微弱な電気と振動を流して人間の五感を騙す技術が現代のVR。VRマシンっていうのは意識をコンピューターの中に持って行くんじゃなくて、あくまで現実と同じ様な感覚を電気で神経と脳に与えるだけの機械だな」
「えー? でもそれじゃあ皆と一緒に遊べなくないですか? 一人一人別々に何かを感じてるだけなんですよね?」
「あー、なるほどそういうことか……えっと、VR空間ってのは電子的な……サーバーっていうコンピューターの中にあるのは確かなんだ。
それは物理演算を延々として各プレイヤーが取った行動に対する“物理的な回答”を出してくれる。その結果をインターネットを通して各個人のVRマシンに伝達して、世界の見え方感じ方をVRマシンが再演算して、更にその結果が人間の神経に伝わるんだ。
何て言うか、世界と意識が同一の場所に存在しないって言い方で伝わるか? だからたまーにラグい時とかがあるんだが……」
「……?」
絵筆は何とか萌に説明を試みているが、反応は芳しくない。どうやら絵筆の話が難し……いや、分かりづらかったらしい。
幸い、語っている内容は私も既に知っている知識だったので、この程度なら説明できそうだ。それにこれ以上彼女に説明をさせるのは時間の無駄だ。絵筆の話は無駄に長い。
私は自分のデバイスを開くとメモ機能を読み出し、そこに図を書き始めた。
「いい? ここに居るのが現実の萌さん。ここにあるのがサーバーで、サーバーとあなたを繋いでいるのがインターネット回線とVRマシンだと考えなさい」
「え、センパイ今の話で分かったんですか?」
「概要くらい最初から知ってるのよ。
で、さっきも言った様にVR空間を管理しているのはサーバー、つまりここなの。あなたは直接そこに“いない”から、VRマシンとインターネットを通してそこと“通信”しているわ。
例えば、あなたがパンチしたいから右手を動かしたいと考えた時、それを脳波からVRマシンが読み取る。実際には現実側の“自分の体”を動かさないための細工もここにあるわけなんだけど……それは直接関係ないから今回は省略。
インターネットを通してサーバーに辿り着いたあなたの“要望”は、VR空間で実際の物理現象としてサーバーで演算、つまり計算されるわ。ここであなたがパンチをして、対象の物がどれだけ壊れたかとか、自分のアバターの体勢が変わったとか、自分の拳にどれだけの衝撃が返って来るのかが決まるのね。
この時点でVR世界、仮想空間内での現実が確定するわ。でも、まだあなたはそれを知覚できていない。
その演算結果と他のプレイヤーの……いえ、ここではあなた一人の話にしましょう。
次に、パンチの結果がVR空間にどういった変化を及ぼしたのかがインターネットを通ってVRマシンに届くわ。届いたら、VRマシンが“自分の視点から”どう変わったのかを再演算して、あなたの現実の体に電気信号を送るの。
ここで初めて電気信号を“現実の変化”として脳が認識して、あなたはパンチをした“実感”を得る事が出来るのよ。
これを大人数で同時に行っているのが、所謂VRMMOってことね」
「……」
私は手書きのメモ機能で、通信と演算の図解を示しながらざっくりと説明していく。こんなところで無駄に大きな3面のワイドモニタが活躍するとは思わなかった。
黙って私の話を聞いていた萌だったが、ようやく説明を飲み込んだのか顔を上げる。
「え、遠くないですか?」
「そうだよ。遠いんだよ。実際、オンラインの最適環境でもオフラインゲームでも、現実とは比べ物にならないくらいラグい。
ところが人間の脳っていうのは曖昧さと慣れに関して信じられんくらい高性能でな、しばらくVRやっているとそのラグを“認識の遅さ”として脳が自動修正するんだ。VR初心者って滅茶苦茶弱いだろ? あれはその“速度”に慣れてないのが一番大きいんだよな」
「へー……二人とも何でそんなの詳しいんですか?」
「いや、一般常識の範疇だからな」
「あなたの偏った知識を常識にしないで。私はこの前調べたから偶々知っていただけよ」
私はそう言葉を締めくくると、やや冷めてしまったハーブティを口へと運ぶのだった。
ご愛読、ブックマーク、評価、そして感想ありがとうございます。
えー、何だか最近連続で後書きに何かしらを書いている様な気がしますが、今回は嬉しいお知らせがあります。
実はこの度、拙作がジャンル別(VRゲーム)日間ランキングで第9位になりました。見逃していたのですが、もしかすると昨日や一昨日も高い順位にランクインしていたかもしれません。
更に、評価ptもまさかの4桁突破。私の作品では初となります。
これも偏に皆様の温かいご支援、ご声援の賜物と存じます。本当にありがとうございます。
裏設定という程でもないのですが、本作の“現実世界”は自分が約一年前に連載していた「天上の大樹に舞う」という作品とほぼ同一の世界観を持っています。VRの連続接続制限や年齢制限等はそこから引っ張って来ていたり、本作序盤のCMに主人公ラクスが出ていたり、向こうにフルーツサンドの美味しい喫茶店が出ていたりします。
本当にちょっとした繋がりでしかないので、もちろん話の本筋には関係しません。その点はご安心ください。
多分近くの高校で今頃あの子たちが学園祭してるんだろうな、くらいの感覚です。向こうが作中の秋で最終回を迎え、こちらでは同年の秋に同じ街で第1話が始まっていたりします。
しかし繋がりがあるとはいえ、本作を書き始めてから新たに追加した世界観設定もあるため、多少の矛盾も生じてしまっているはずです。学生バイト時代を知っている瑞葉のお父さん年齢何歳なのかとか。あくまでも別作品なので、その点はご容赦願います。
「天上の大樹に舞う」は話の内容もやや特殊な女の子がVRゲームを遊ぶ話なので、同じ様に楽しめるかもしれません。もし本作の進行が遅いと感じられた場合はそちらをどうぞ。完結済みです。
最後に、ご愛読、評価、ブックマーク誠にありがとうございました。本作はまだまだ続きます。というか現状、第0話にも追いつけていません。
引き続き拙作をお楽しみいただければ幸いです。




