第2話 購入と身体
新丁 絵筆は、今回の相談役にして、現在でも付き合いのある学生時代の知り合いである。その旧友の中でも彼女とは何かと長い付き合いで、出会いは保育園まで遡る。
ただ、出会ってからずっと仲が良かったかと言えばそうでもない。これに関しては私に限らず、幼馴染と特別に仲が良い人の方が少ないのではないのかと思う。成長するにつれていつの間にか自然と話さなくなっていったし、それがとても自然な状態だと私達は……少なくとも私は思っていた。
それでもそうして離れていくまでは、そこそこ仲が良かったと思う。
保育所の頃からゲームや漫画が好きだった絵筆の影響で、私も小さい頃は男の子に混ざってゲームや漫画の話をしていた。
しかしそのまま小学校に上がり、段々と性差という物を気にし始める年齢になっていき、私はいつの間にか漫画やゲームにのめり込むことはなくなっていった。どうしてだったかは今一つ覚えていないが、単純にそういう気分ではない時期が長く続いただけだったのかもしれない。
気付けば私の周りには、そこそこ優等生と言われる大人しめの女生徒ばかりが集まっていくようになっていた。その中にはもちろん彼女は居ない。
そんな私とは対照的に、絵筆は小さい頃からあまり変わったようには思えない。
彼女のゲーム好きは本物で、小学校高学年になっても中学生になっても、男友達に囲まれてゲームの話題で盛り上がることを好んでいた。尤も、今にして思えば、男友達と一緒に居るのが楽しかったと言うよりも、単純に話の合う人間が男に偏っていただけなのだろうけれど。
それ以外にも色々あって女子からも一部の男子からもやや避けられ、何と言うか、学校でも少し特別な扱いを受けているような生徒だった思う。
そんな私達の距離が次第に離れて行ったのは、やはり自然な事であったのかもしれない。
***
『購入は終わったか?』
「……多分。予約出来てるのかしらこれ」
『気持ちは分からんでもない。あたしもさっきやったけど、何か全体的に地味で分かりづらいんだよな、このサイト……』
普段はニュースか音楽しか流していない多目的モニタは、聞き慣れた声を響かせながら、とあるショッピングサイトを映し出している。
今一つ購入前と変化の薄いそのページは、彼女から今回勧められたリリース直前のタイトル、“賢者の花冠”の予約画面だ。一応他の場所でも確認してみるとウェブマネーの残高が減り、購入履歴にも名前が入っているのでこれで購入の確定になっているのだろう。
そんな確認作業を終えてから程なくして、画面のポップアップがショッピングサイトからのメールの受信を通知する。無駄に不安にさせやがってとメールを開くと、そこには予約購入ありがとうという内容と、私の購入したゲームのIDと認証コードが書かれてあった。
予約購入後はどうやらリリース前からアバターの作成が可能らしく、私はメールに書かれてある手続きに従って公式サイトを開く。
『そいうや、初めてのVRはどうだった? 初期設定で一回起動してみたんだろ?』
「接続と切断の気持ち悪さがどうにかなれば、言うこと無しなんだけどね」
『あっはは! まぁぶっちゃけあたしもあれは慣れん』
いつも以上に口数の多い絵筆の話に相槌を打ち、天地がひっくり返ると言うか、上下に体が揺さぶられると言うか……夢から覚めるのとはまた違った奇妙な不快感を思い出しながら、公式サイトにメールからコピペしたIDとコードを入力する。
何でも自動の時代にこの仕様は地味に手間だなとは思うが、アバターの作成アプリを動かす公式サイトと、入金したショッピングサイトがまったくの別物なのである程度は仕方がない。
購入したゲーム用のIDを入力し終え、これでアバターの作成画面が起動する……のだとばかり思っていたが、そこで私は思いもよらない記述を目にすることになった。
「……VRって、ソーシャルID必要なの?」
入力の不備があると赤字で訂正をされたのだ。曰く、年齢確認のために行政の発行するソーシャルIDの入力は必須事項、とのこと。
ソーシャルIDとは、簡単に言えば行政が発行している身分証のナンバーだ。戸籍番号やら住民登録番号やら、半ば冗談で“人間製造番号”とも言われている長ったらしい番号である。
こういった制度を嫌う人間も居なくはないが、電子化に慣れ切ったこの社会で、人間を数字で管理する利点は忌避感に比べてあまりに大きい。
IDは生年月日、名前、性別、配偶者と言った基本情報から犯罪歴や海外への渡航歴なども可能な限り紐付けされており、その情報量故に度々サーバーから情報が流出した恐れがあるとかないとか言ってニュースになっている。
そんな個人情報満載のIDが高がゲームに必要になるとは思わず、私は少し戸惑う。
そして、それに対する絵筆の解説に更に困惑することになった。
『え? 必要だよ。だって成人向け作品だし』
「……成人向け?」
『うん』
成人向けと言うのはつまり、性的暴力的な表現が青少年に対して悪影響があると判断された作品と言うこと?
絵筆の言葉の確認のために別タブで開いた公式サイトを見ると、確かに下の方に成人向けの表記がある。
年齢制限の警告は、ホラー映画見るためにアドオンで年齢確認を全て切ってるので全く気付かなかった。もしかすると地味で分かりづらいあの購入画面でも警告があったのか? それとも生年月日の登録が済んでいるから出なかったのだろうか。
いや、そんな事よりもだ。
「絵筆、あなた私がどういう理由でVR始めるのか理解してる? 甥っ子にやらせてもいい物なのかを……」
『いやいや、そこは分かってるって。あたし色々VRMMOやって来たけど、正直成人向けも雰囲気変わんないし、今回のに至っては全年齢版もある作品だしな』
「そうは言っても……」
性的表現で成人向けということは、この作品は所謂エロゲというやつに分類されるのではないのか? 小学校でゲームらしいゲームをぱったりと止めてしまった私には、今まで全く縁がなかったものである。
公式サイトの警告を見る限り、暴力表現よりも性的表現の方で年齢規制されているらしいし……購入キャンセルしようかな。
そんなことを考えていると、流石に少々焦った声で更に追加の解説が入る。
『大丈夫だって! 今時のVRゲーって大抵年齢制限入ってるもんなんだよ。体感だと7,8割くらい成人向け指定入ってるけど、そんなセックスカーニバルみたいな作品じゃないから』
「そうなの?」
『そう! これ、ゲーマーの間で“現実は20禁”とか言われてる現象でな……』
絵筆曰く、現代の法律では電脳空間内でアバターの胸やお尻に触った、触られた感覚を入れたり、プライベートエリアなどで服を脱ぐという行為に年齢制限が入ってしまうらしい。
自分の体とは言えアバターの性器等の表現が不健全だということのようだ。他にも現実的な銃撃戦や差別的な罵倒なども、年齢制限の対象になっている。
しかしこれらは現実での生活を表現する上で、避けた方がむしろおかしな部分なのである。そのため現実味を強めるという一点だけのために年齢制限を掛けて販売し、未成年にはそれらの部分を除外した全年齢版を売ると言うのが最近のVRゲームでの流行になっているらしい。
そしてVRゲーマーの間では、現実を電脳空間内に正確に表現すると成人向けになってしまうこの現象を、皮肉を込めて“現実は20禁”と呼ぶらしい。
「つまり、プレイヤーが服を脱ぐことを制限しないために年齢制限かけてるわけ?」
『ざっくり言うとそう。まぁ普通にエロゲもあるけど、現状どっちも同じ年齢制限になっちゃうってことだな。全年齢向け作品は女キャラ使うと胸に当たり判定無くなったりするんだぜ』
うーん、まぁそういう事なら……いいかな。
彼女の解説に一応の納得をした私は警告が出ている部分に自分のソーシャルIDを入力し、ついに求めていたアバターの設定画面に辿り着いた。
最初に出て来たのは名前の入力欄だ。
必須項目となっているのは名前だけで、後は任意で姓を何個か付けることができるらしい。姓が一つではないのは、ミドルネームとかそういう設定も可能だと言うことなのだろう。
『まぁそう言ったあえて年齢制限を付けて現実感を増した表現をしようって作品はいくつもあるんだが、この作品の特徴はそこじゃないんだ』
アバターの作成を始めた私に構わず、絵筆は何かを自慢げに語り出す。
こうなると彼女の話は長い。その上特に大した内容でもない事が多いので、こういうトーンの時は大抵聞き流しておいて大丈夫だ。
私の気のない返事を聞いても絵筆は特に気にせずに話を続ける。“私が聞いているか”よりも“自分の話の内容”の方が彼女の中では重要なのである。
「へぇー……」
『何と言っても最大の特徴は、“ロールプレイ特化型RPG”という点だ。RPGというのはロールプレイングゲームの略称でありながら、いつの間にか根幹になっているはずのロールプレイがおざなりになってしまっているという問題点を抱えている。ストーリーが主軸でレベルや能力値の概念があればRPGというややズレた固定観念を打ち砕くために、この作品では多くの……』
アバターの名前は普通にサクラでいいか。苗字はキリエ。桐野江 桜子からのただのもじりでしかない。ほぼ本名プレイと言っても差し支えない程のクオリティだが、ここで時間を掛けても仕方ないだろう。
性別は女。さっきの話を聞く限り、異性アバターでのプレイはやや気恥ずかしさがある。
『……という訳でここからゲーム本編の話で、プレイヤーは全員魔法学院の生徒として入学することになるんだな。実はそういったフレーバー的な設定だけではなくて、ロールプレイと相性の悪いシステムの完全排除も気合が入ってる。レベルアップやスキルツリーによるスキルの獲得は“現実的じゃないから”一切無し。魔法の習得には地道な勉強が必須だ。学校だからもちろん魔法の授業も……おい、聞いているのか?』
「あーはい、それで学校が?」
『そう、学校だ。学校では魔法の授業があるんだが、これが大きく分けて物理型と魔法型があってな、他の作品におけるジョブシステムの“専攻学科”と言う概念があって、特に魔法系は魔法のカスタムが可能なんだな。基本効果を根底にして魔法陣を書き換えることで効果範囲や消費魔力、威力なんかをかなり自由に変えることができるんだ。理論上その数は……』
名前と性別が決定したら次はアバターの体格だ。
まぁ、随分前にゲームを止めてしまった私でも、こういった3D空間内で戦う作品における“当たり判定”というものの重要性はそれなりに分かっているつもりだ。2D格闘ゲームでも巨体のキャラは対専用コンボがあったり、設置技に引っかかって思う様に動けなかったりするもの。
小柄というのはただそれだけで強い。そこに更にZ軸が追加されれば、言わずもがなという話である。
私は身長のバーを思い切り下げ、それからも可能な限りアバターを小柄に設定していく。
途中途中で思い出したように絵筆の話に相槌をしながら、私はサクサクと自分の体を作り上げていくのだった。