第44話 第一の難所
この学院での生活をどう捉え、どう自分を表現するのか。アバターとプレイヤーを完全に切り離してしまうのか、それらを全く同一のものとしてある種のメタ的視点を世界観に構わずに使っていくのか。
その匙加減はプレイヤーに一任されている。
極端な例で言えばロザリーだ。
彼女は新丁 絵筆という存在と、ロザリア・P・なんとかかんとかを完全に切り離している。
もちろんロザリーをどう動かすのかは絵筆が考えているのだが、ロザリーとして“他人”と話す時、プレイヤーだから知り得る“メタ視点”を絵筆は一切持ち込まない。この作品は月額いくら払っているとか、最近別のゲームを始めたとか、ロザリーというこの作品の“登場人物”が知り得ない情報は口にしないのだ。
例外は私に指導する時くらい……というか、私と二人でいるとかなり甘くなるが、3人以上の時はこの辺りを徹底しているように思う。
運営側も本作をロールプレイ特化型RPGと謳っている所を見ると、ロザリーの自分設定はともかく、この辺りの発言、台詞回しは推奨される遊び方なのだろう。
私はその点をロザリーほど徹底しているわけではない。少なくとも、意識してはいなかった。
しかし、この世界で暮らしている内に自然と肉体とアバターの繋がりが希薄になって行って、いつの間にか“ゲーム”と“現実”の隔たりを思わせる発言に奇妙な違和感を覚える程になってしまっているのも事実だ。ここに居る間、私は喫茶店の店員であることを完全に忘れている。
だからこそ、ティファニーとコーディリアの自己紹介を聞き比べて、その違いに気付いてしまったのだろう。
ティファニーは、この辺りがかなり雑だ。ここに来て日が浅いからなのか、それとも他のVRゲームをプレイしていた経験があるからなのかは分からない。
プレイヤーが他のゲームで使っている用語は普通に使うし、現実とゲーム内を跨ぐ約束を取り付けて“連続的な話”にしてしまう。ロールプレイよりも自分の過ごしやすさを優先しており、もちろんロザリーの様にアバター自体に過去や家族の設定は存在しない。
あくまでも緑 萌と言う人格が、別の皮を被っているという形で遊んでいるのだ。
しかし、ここは世界観を優先する生徒が優勢な作品だ。おそらくだが知らず知らずの内に人間関係に割り込んでいるNPCがそうさせているのだろう。
そのため彼女も、世界観を全く気にしていないという訳でもない。“前のゲーム”での経験を「“昔冒険者”だった」と少しぼかして話していたりする。その見た目年齢で前職があるのかとか、冒険者は弓の扱いが上手いのかとか、そもそもこの世界の冒険者って何だとか色々とツッコミ所はあるのだが、それでも彼女なりの気遣いの表れには違いない。
ティファニー自身は気にしないが、世界観が壊れる事を嫌う人が居るから、多少は気を付けているというわけだ。
そしてそんなティファニーとは対照的なコーディリア。あの堅苦しい口調からも分かる様に、方向性が多少違うだけでロザリーの仲間の一人である。
どこからどう見てもどこかのご令嬢と言った形だが、家名はないと断言している辺り、何かしらの設定が眠っていることは間違いないだろう。話す単語も“この世界の正式名称”がほとんどだ。
彼女の世界観の徹底は凄まじく、毒性学の授業のノートを共通語と呼ばれる通常言語、つまりこの世界の文字で書いているほど。
その文字が間違っているかどうかは、自分の頭より前にシステムで判断される。そのため全く知らない文字よりは多少書きやすい。
書きやすいのだが慣れ親しんだ言語の方がよっぽどマシだろう。私だって不都合が無ければ日本語で書く。この前のテストも私の解答は日本語だった。
ロザリーも流石にここまではやっていないはずだ。
コーディリアとティファニー。この二人の間にはそんな大きな違いがある。こうして自己紹介を改めて聞いて、私は初めてそれを理解した。
しかしまぁ、これが問題になるかと言われると、この二人に関してはどうだろうな。ティファニーも多少気を遣っているようだし、何よりコーディリアが自分の主義や主張を前に出さない性格をしている。お互いに気持ち良くとはならないかもしれないが、問題が表面化するにはまだまだ時間が必要だろう。
私がそんなことを考えている間にも、作戦会議は進んで行く。
私が何か言わずとも、ロザリーがそのまま話し合いを進行させていたので半分程度聞き流していたが、話し合われている内容は、私が考えている作戦とほとんど変わらない。
ティファニーを合格させる作戦としては、些か不安の残る方針ではあるが、筆記試験と違ってこちらは何度でも受け直すことが可能だ。その上、会議中に聞いた事前情報を鑑みるに、私達にとってもそこまでの無理難題という訳でもない。
一通りの準備を終えた私達は、席を立ち早速行動を開始する。
向かう先は教室棟の奥、この学院の“体育館”だ。
***
体育館は課題置き場と違って、学院が設定した正式名称である。
私も入ったことはないが場所は知っていた。体育館と言うことで生徒は球技等のスポーツを楽しめるらしいが、腕力や敏捷性がステータスで決定されているこの学院ではそれらはまったく公平な遊びなどではない。
そもそも運動ができる人の方がVRゲームでは自由に動くことができるので、現実でスポーツが得意な人はここでも基本的に強い。そのためレベル上限に到達している暇人の間では、かなり高レベルな勝負として盛り上がっていたようだ。
それに身体能力が違う人間相手に“平等”な勝負をさせられるという“不公平さ”はVRに限った話ではない。むしろこちらの方が数値化されている分マシと思えてしまうな。
そんなマイナー施設が魔法学部の実技テストの会場として指定されている。
ここまでの混雑は想定されていなかったらしい教室棟一階から伸びる渡り廊下には、現在実技試験の受験者が溢れ返っていた。
「魔法と格闘学部で分けてもこの人込み……嫌になりますね」
前を歩いていた長身な男子生徒の筋肉質なお尻に顔がぶつかり、私は同じ身長のコーディリアの方へと身を寄せる。周りが高身長だと同じくらいの大きさで固まった方が多少は気が楽だ。
私の突然の接近にびくりと一瞬体を震わせた彼女だったが、すぐに逆隣の生徒にぶつかって私の方へと戻ってくる。小さい者同士、身を寄せ合っていた方がいいだろう。
私の隣で落ち着いた彼女は、人の間から僅かに顔を見せる天井の看板を睨む。
そこには私達にとって重要な事が書かれているはずなのだが、生憎人込みに流されている間に完全に見えなくなってしまった。
「案内の看板が見えません……」
私達“二人”は、結構な速度で進んで行く列の中で懸命に足を動かしていた。
無秩序な群衆は割り込み自由。私達の歩幅でゆっくり歩いていると、どんどんと後ろへ下がって行ってしまうのだ。
ちなみにティファニーとロザリーとは既にはぐれた後だ。ティファニーは放っておいても私達を見付ける気がしてならないが、ロザリーは私とはぐれて泣いていないだろうか。まぁ向こうから一番見付けづらいのは私達なんだけど。
今も上に掲示されている案内板を見ていた後ろの生徒が、私達の存在に気付かずに膝蹴りをしてきた。
これが魔法実技試験最初の難所、“受付”である。
私達は一応、既に4人でパーティ登録は済ませてある。全員が魔法学部の生徒なので誰か一人でも受付でパーティとして参加申請を行えば大丈夫なはずだが……少なくとも私達二人は受付に辿り着けそうもないな。
私達が人込みの中で苦戦していると、私の魔法の書が勝手に開かれる。
しかしそれはすぐに生徒の体に押されて閉じられてしまった。この混雑の中では、この大きな本の内容を確認するのは少々難しい。
内容は確認できなかったが、勝手に本が開く機能と言えば想像がつく。呼び出しかメッセージ、それかチャットの着信かのどれかだろう。どれもフレンドと交流するための機能である。
そのため本が反応したということは、誰かが私に連絡をしてきたと言うことなのだが……。
私が魔法の書を開こうと苦戦していると、隣から小さな手が差し出される。
「あの、お持ちしましょうか?」
「……ええ、お願いします」
コーディリアは私の魔法の書を受け取ると、それを頭上で開いて私の方へと内容を向けた。多少気の抜けたポーズだが、私達の手の届く範囲で唯一空いている空間がそこしかないので仕方がない。それに子供がやっているので多少は微笑ましいという見方もできるはずだ。
魔法の書の呼び出しの内容は、思った通り音声チャット機能の着信だった。
誰からかも読まずにとりあえず応答すると、本からロザリーの声が響く。この喧騒の中でも聞こえる結構な音量だったが、確か、音声チャットで通話中の声は他の人には聞こえない設定だったか。
『盟友よ、お前は何処におるのだ? 迷子か?』
「……迷子と呼ばれるのは業腹ですが、人が多過ぎて現在地が廊下のどのあたりなのか分かりません」
『なるほどな……こちらは受付に辿り着けそうだ。ティファニーと行動している。コーデリアも一緒だな? そのまま列の流れに乗って行けば会場に辿り着くだろう。人込みを抜けたらマップで現在地を知らせるのだ……さすれば我らがそこへ参上しよう』
……まぁそれが一番か。
私はロザリーの声を聞きながら、コーディリアに掲げられた魔法の書の設定を弄って、コーディリアにもロザリーの声が聞こえる様に調整する。パーティ内での聞き耳の許可という項目がある。これだ。
私はそれからロザリーといくつか追加で約束を交わすと、通話の終了ボタンに手を伸ばす。
「じゃあ、会場で」
『待て待て、切るな! 何故かお前らに通話が通じにくいのだ!』
「……そうなんですか?」
「……もしや、魔法の書が開く十分な空間がないと音声通話も通じないのでしょうか。これは知りませんでしたわ……」
なるほどな。コーディリアの仮説に私は小さく頷く。
それはあるかもしれない。無駄に現実的な作品なので、本が開けないと通話に応じる事が出来ないとか……。これ何か問題ありそうだな。現に私が不便している。
「……では繋げたままにしておきます。ロザリー。こういう時は何か時間の潰せる無駄話でもして下さい。頼りにしてますよ」
『我がお喋りのようなことを言うのは止めよ。我は寡黙で冷酷な天才死霊術師、ロザリー・P……』
「もしかして今、名前間違いましたか?」
『違う! ……おほん。では奇術師と知り合ったのだ。奇術科という学科名について少しトリビアを紹介してやろう。奇術科は実際のマジック、手品とは関係がないのだ。元々は道化師と呼ばれていたようだが、この呼び名の発端は……』
自称寡黙なロザリーは、立て板に水といった調子で滔々と語り始める。……この辺りはヒューゴ先生にちょっと似ているかもしれない。
私は聞いたところで何の役にも立たない古代の話を聞き流しながら、ただひたすらに通路を進んで行く。正直これがどこに向かっている列なのかも分からないが、何度か方向転換を試みている生徒ともぶつかったのでいくつか列が分かれているのだろう。
しばらく進んで行くと、私達は一際喧騒の大きな場所へと流れつく。
そろそろ目的地か……と思いきや、どうやらそうではないらしい。誰かが何かを叫んでいるようだ。しかしその声は不思議と“口論”という印象は感じなかった。
ロザリーの話を完全に無視してそちらに耳を傾けると、面白い単語が耳に入った。
「風紀委員です! 無秩序な列のまま進むのは、受付をされている先生方にも迷惑になります! 生徒は一旦立ち止まり列の整理、整列に協力を……」
「風紀委員?」
喧騒の中で誰に対してという訳でもないが、私は小さく聞き返す。聞き慣れない単語だ。学園モノにはありがちだと思うが、少なくともこの学院で聞いたのはこれが初めてかもしれない。そう言えば、私の高校にも中学にも“美化委員”や“環境委員”は居ても風紀委員は居なかったな。
もちろん私の呟きは姿の見えない本人には聞こえなかったと思うが、聞こえていた二人の反応は私とほぼ同じだった。
「この学院に、風紀委員なんて居ないと思っていましたが……」
『風紀委員だと?』
「自分が風紀委員だと主張している生徒が近くにいるようです。ロザリーは知っていますか?」
『我の記憶にはないな……生徒主体のサークルか何かか?』
どうやらコーディリアもロザリーも知らないようだ。
まぁ気にする程の事でもないか。自称“最悪の死霊術師”に比べれば、自称“風紀委員”という肩書の方がまともそうだ。
私は一向に誰も従わない風紀委員の言葉を聞き流すと、前に進んで行く生徒の背中を追いかける作業へと戻るのだった。




