第39話 不良生徒
あった。
私の視線の先にあるのは学生掲示板。学院の各所に設置されている内の一つだ。
課題置き場や教室前にもあるが、私が現在見ているのは一番近かった学生寮に設置されているもの。
そこには端々が重なる様に雑多な貼り紙がしてある。不良生徒の一覧や、生徒が副専攻の授業を受けるための諸注意、購買の商品アンケートまで内容は様々だが、その内の最も目立つ位置にその告知は貼られていた。
“進級テストの実施”
そう書かれた白い紙には、黒字で詳細が書き込まれていた。
実施日は明日と明後日。いつからここにある掲示なのかは分からないが、全く気付かなかったな。こういった学生掲示板は全く見ていなかったし、最近は情報収集もあまり本格的に行っていなかった。シーラ先生もヒューゴ先生も、この事は教えてくれなかったし……。
その紙には更にテスト前日、つまり今日は生徒が教員棟に入れない旨が書かれている。理由はテスト作成のため。つまりカンニング対策の規則らしい。
これでは今日はシーラ先生に会いに行けない。昨日の気晴らしに、気の済むまで話を聞こうと思っていたのだが……。
しかし、そもそも進級テストとは何のことなのだろうか。それが分からない。
この掲示には実施日と受ける際の諸注意が書かれているだけだ。テストの更なる詳細については、各員の魔法の書に記載があると書かれている。
試しにテストについてのヘルプを呼び出してみると、そこには結構な内容が書かれてあった。
進級テストと言うのは、その名の通り生徒が次の級に進むためのテストらしい。今は全員が初級なので、中級へと進むためのテストと言うことになる。
テストが終わった翌日に結果が発表され、合格ならば晴れて私達は進級するわけだ。
中級に進級できれば、生徒は自分の専攻についての新しい授業を受講することができる。
つまり、今多くの人たちが血眼になって探している新しい魔法を、簡単に覚える事が出来るのだ。それだけではなくレベルの制限も一定まで解除され、課題の種類も万象の記録庫のフィールドも増えるらしい。
これを読む限りはいいこと尽くめだ。
テストの内容は筆記と実技。合計点が云々ではなく、どちらか片方に合格すれば晴れて進級になる。
筆記と実技と総合の成績優秀者には褒賞もあるようだ。記念品と書かれているので、あまり大した物はくれなさそうだが。
最初、つまり明日あるのは筆記テスト。明後日が実技テストだ。
明日の筆記テストに不参加、もしくは不合格だった者は、明後日の実技で合格しなければならない。実技でも不合格だった場合は、初級のまま次の進級試験を待つことになる。
予定では次のテストは一週間後。
当然その間にも他の生徒は先に進んでしまうので、落第者は、初心者以外とはパーティも組めない状態になってしまうだろう。幸い初心者は掃いて捨てる程いる現状なのだが、レベル上限である50で明日明後日用事があった場合は悲惨だな。
レベルが上がっているにも拘らず赤点だった生徒は、実質的にマーカー以上のペナルティを食らうわけだ。
一応一週間待たずとも追試という制度もあるようだが、こちらは不参加者のみが対象となっていて、不合格者は参加できない。更にテストの内容も実技だけだ。
その上成績優秀者として表彰されたりもしない。
ちなみに、明日のテストは別に生徒一斉の実施ではない。一定の時間に複数回に分けて行われ、生徒は自由に好きな時間にテストを一回だけ受けることが出来る。
そのため筆記に関しては、最後の時間に受けた方が事前に問題を知れて楽ができそうだが……まぁ何かしらの対策はあるのだろうな。
テストについて粗方確認した私は、勉強場所を求めて図書室へと向かう。
すっかり通い慣れた大きな扉を開け放つと、静かながらも少しの熱気があり、それが肌を撫でる。人の少なかった廊下とは違うその空気に、私は小さく息を吐いた。
ロザリーが有名になったあの一件以来、図書室はそこそこの賑わいを見せている。ただ、利用者が異様に大人しく、全員一言も大声で喋らないので、気配の数の割りに音が響くことはない。
勉強をしている生徒の真剣さを感じさせる静かな熱気も、テスト勉強をするにはいい環境であろう。
私は小脇に抱えていた数冊の本を、扉のすぐ隣に座っている女性に差し出す。
「……これ、返却です」
「はい。返却を確認しますね……」
顔見知りになっている司書に借りていた本を返し終えると、私は入口にも近いいつもの席に腰を下ろす。
一瞬いつもの癖で本棚に向かおうとしてしまったが、今日ここに来た理由は全く違う物である。
大きく息を吐くと、魔法の書から新品のノートを取り出す。
テスト勉強かぁ。
当たり前だが、高校卒業以来久しくしていない。それも高校生3年生の時は、就職が決まった後はかなり緩い生活をしていたので、まともな勉強なんて碌にしていなかったのだ。
まぁその頃の勉強が役に立つわけでもない。気にしないことにしておこう。
勉強から離れていた時間を思うと多少の気後れの様な物を感じてしまうが、私に筆記テストの勉強はおそらく必要になる。
私が実技試験を突破できるのかはかなり怪しい。
そうなると筆記試験を乗り越える必要があるのだが、私がシーラ先生に教えられている部分は、あくまでも個人的な勉強。呪術のテストには出題されないはずだ。
筆記試験に出題されるのはおそらく、私が既に忘れかけている呪術の基礎。呪術科初級クラスで教えられた、あの魔法陣についての問題なはず。
私はさっき購買から買ってきたノートを片手に、授業で習った魔法陣を抜き出していく。ついでに、授業では習っていない初期魔法、毒の魔法も。
……今見ると、結構読めるな。前まではただの模様の羅列でしかなかったが、今は何が書かれているのか理解できる。
もちろんそこまでの問題は出ないはずだ。まずは、シーラ先生の最初の頃の授業で5分で覚えろと言われた、陣の法則について……
「あら? あなたこんな所で何してるのよ」
私が早速勉強に取り掛かろうとした、丁度その時。
背後からそんな声がかけられる。私が怪訝な顔で振り向くと、どこかで見たような顔が私を見下ろしていた。顔を見て数秒、彼女が誰だったのかを思い出す。見覚えのあるクマの紋章。名前は確か……
「……ああ、リサさんですか」
「もしかして私のこと忘れてたの?」
一瞬誰だったかと頭を捻ったが、すぐに彼女の名前は思い出せた。
彼女はいつかの狂戦士、リサ・オニキス。全財産をリターンがない博打に突っ込むダメージ狂だ。
私が彼女に出会ったのは随分と前のような気もするが、実際には一昨日か。あのロザリーの作戦から、ログインの上限時間は20時間も超えていない。私なんかは昨日は早めに終わらせたので……まぁ関係ないか。
当然計算上、彼女はイエローマーカーのままであり、パーティも組めずに一人寂しく遊んでいるのだろう。その場合、図書館に来ると言うのはそう分からない事でもない。
ソロプレイに慣れている彼女はフィールドに出ている可能性の方が高そうだと思ってはいたが、不思議というほどではなかった。
私はノートに視線を戻すと、勉強を再開する。ただの復習なのでそこまで真剣でもないが、彼女と話すことを優先する必要はないだろう。
「ちょっと、返事くらいしてもいいでしょ?」
「あなたと私は、別に仲良しという訳でもないでしょう。私はテスト勉強中です」
「ふーん……というか、本当に言いたいことないわけ?」
私が魔法陣を分解し、陣に描かれた図形の法則を確認し直していると、リサは隣の椅子を引いて腰を下ろす。横目で見えたその顔は、まだ何か私に話があるとでも言いたげだ。ただただ見知った顔があったから声を掛けただけではないのか。
人が増えたとはいえ元々広いこの図書館には、空席はいくらでもある。調べ物をするだけなら隣に来る必要はないだろう。
彼女は何が言いたいのだろうか。……ああいや、待った。確かに言われてみれば聞いてみたいことが一つあった。
私は一つ話題を思い出すと、視線をノートから外さずに問い掛ける。
「更生施設ってどんな場所でした?」
「そこなの? 本当に?」
結構気になっていた点だったのだが、彼女のお気に召すことはなかったようだ。もう何も話題が思いつかない私は、仕方なく彼女へと向き直る。
「私に何を言って欲しいんですか? さっきも言ったように、私達は仲良くおしゃべりする程深い関係でもないでしょう」
「……報酬」
「は?」
ポツリとリサが何かを呟く。いつもの彼女らしからぬ、遠慮がちな、まるで怯えた子供のような声。何と言っているのか聞き取れなかった私は首を傾げるばかりだ。
その様子を見て、リサは少し苛立ったようにそっと近寄る。
「だからっ、報酬。あれが終わったら一緒に課題やろうって話だったじゃない。……よく考えたら私がペナルティを受けちゃったから、あれが延期になっちゃって……その、わ、悪かったわね。ずっと謝りたかったのよ」
「……ああ、そんなことですか」
「そんな事……そんな事よ。気にして悪い?」
私は呆れて勉強に戻るが、彼女は私の返答に納得している様子はなかった。
「あの一件、ロザリーにいいところ全部持って行かれましたからね。私は気にしていません。あなたさえ良ければ次の機会で」
「そ、そう? ……じゃなくて、ごめんなさい。あんまりよく考えてなかったから」
布の擦れる音に視線をずらせば、リサが頭を下げる姿があった。横目でみたその光景に私は少し驚く。
こういうことで謝罪する人間だったのか、この人。負け嫌いで頭を下げる事なんて絶対にしたくない人物だとばかり思っていた。
私は自分の中のリサという人間の印象を書き換えると、視線をノートに戻す。
「ペナルティが解除されたら連絡下さい。私は勉強しますので」
「もう……分かったわよ」
分かったと言って頭を上げた彼女だが、何かを考え込むようにして私の隣から離れない。さっきので要件は終ったのではないのか?
そんな事を疑問に思いつつも作業を続けていると、彼女は遠慮がちに私の顔を覗き込む。
「……ねぇ、あんた頭いいの?」
「さぁ? 知りません」
「自分の事知らないってことないでしょ」
そうは言うが、知らない物は知らない。別に嘘は吐いてないはずだ。
何せあの豊かな現代だ。世間一般の皆々様から見れば、高卒の飲食店の店員が“頭がいい”判定になることはそうそうないと思う。
実際、ここに来てからは、自分がどれだけ勉強から距離を置いていたのかと言うことを身に染みて実感している。
ここに来てから人よりは座学を多めに受講しているものの、胸を張って頭がいいです、なんて言えるほどの実績は持っていないのだ。
だが、バカよりは物を知っているつもりではある。
だから知らない。どちらとも言えない。
私のそんな返事に困惑していたリサだったが、しばらくすると自分の魔法の書を取り出して私の隣に置く。彼女の正面からは微妙に外れており、自分で勉強する……という位置ではない。
リサは魔法の書を私に押し付けながら、予想通りの、そして納得できない提案を口にした。
「私に座学教えなさいよ。テスト勉強なんてしてるってことは暇なんでしょ?」
「は? 私の専攻は呪術です。狂戦士科の魔法なんて真面目に見たことも……」
見たこともないので私には教えられない。その旨を告げるために口にした、自分の言葉が引っ掛かる。
そういえば、見たことないな。格闘学部の魔法陣って。
格闘学部に知り合いがいないと言うのが最大の理由だが、思い返せばこの図書館の書籍にも格闘学部の魔法陣は載っていなかった。もちろんそれと知らずに見落としている可能性はあるのだが、おそらくはカスタムの対象外だからなのだろう。
私は完全に自分の勉強の手を止めて、彼女の魔法の書を眺める。
ふむ……見てみようか。
私は彼女の使用可能な魔法の一覧をパラパラと捲る。狂戦士科に限らず格闘学部は、魔法のカスタムに対応していない。ここにある物はすべて授業で教えられたままの状態なはずだ。まさかレベルカンストで授業を受けていないという事はあるまい。
「……」
……見たところ、召喚系のように複雑そうではない。中には私の知っている法則に従っている様にも見える陣まで存在している。
興味深いな。格闘学部の魔法陣は勝手に何もかも異なるモノなのだと思ってしまっていたが、こうして見るとかなりの部分が読める。
「それで? 教えてくれるの?」
私の反応を窺っていたリサは、机に頬杖を付いてそう問いかける。
「……いいでしょう。あなたのテストの出題範囲と私の知識がどれだけ被っているのかは分かりませんが、これなら魔法陣の基礎くらいなら教えられるかもしれません」
これはもしかすると、検証のしがいがあるかもしれないな。
連休中は更新頻度を上げて行きたい気持ちはあるのですが、一向にストックが増えないのでただの希望です。




