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第1話 VRマシン

 昼過ぎに仕事を終えた私は、“兄からの相談に対する私の相談役”を引き連れてとある店にやって来ていた。

 少々マニアックな機材を置いてある、所謂電器屋と呼ばれる場所だ。


 ネットショッピングが主流になっている現代、こうして実際に物質的な店舗を構えている店はそう多くはない。オンラインでの売買は、在庫の倉庫とサーバーがあればそれだけで全世界規模の商売を可能にしてしまうからだ。

 その上、その数少ない内のほとんどが、性質上ネット販売のメリットが薄い飲食店である。更にその過半数がチェーン店ではなく、安くなった土地代で細々と経営している個人経営店。私の勤め先みたいに。


 そんな理由もあってか、この電器屋の店内も閑散としていると言ってもいい程に空いていた。客と言えば時折難しい顔をした男が商品を吟味している程度で、店員は暇そうに椅子に座っている男性が一人居るだけ。

 そんな空間でも音が途切れないのは、無駄に大きなマッサージチェアや、些末な性能差から値段が青天井になっているオーディオ機器、人間の視力では適正距離から識別できない程の高画質を売りにしている多目的モニタ(人感センサ付き)が、数少ない客のためにガヤガヤと賑やかに動いてくれているからである。


 私はその異様な、そして何より慣れない光景に面を食らいながらも、勝手知ったるとばかりにずかずかと歩いて行く知人の背を追っていた。

 やがて、彼女の足はある場所でピタリと止まる。


「着いたぞ、桜子。これが現代の最新VR機器だ!」

「……ええ、それは売り場を見れば分かるわ」


 堂々とした振る舞いで振り返った彼女の言葉に、私はやや気が抜ける思いで言葉を返した。


 そこに並んでいたのは、彼女の言葉通り神経接続型のVRマシンの数々だった。ゴーグル型のスタイリッシュな物から、フルフェイスのヘルメットのようなゴツイ物、中には人が寝そべる巨大なカプセル型まで様々だ。

 この店では販売元の会社順に陳列されているらしく、比較的似たようなデザインの商品が連続して並んでいた。


 私とて何も知らないわけではないのだから、これがVRマシンであるという程度は説明されなくとも見れば分かる。おそらくこの国の国民なら誰でもそうだろう。


「遠くまで来た甲斐があっただろ。ここはマニアには有名な店でな、初心者向けの王道マシンから、本体のセッティングと追加機器次第で驚異の解像度を叩き出す隠れた名品まで、品揃えだけなら凄まじいぞ。まぁ、その分ネットで大炎上したクソ機材とかもあるんだが、これに関しては……」

「はいはい、良く調べたわね……で? どれがいいの?」


 立て板に水と言った勢いで語り始めた彼女を早々に止め、私は結局一番大事な部分を聞く。


 彼女の長話は元からあまり真面目に聞こうと思ったことがないのだが、今回は特にあまり意味がないだろう。そもそも、彼女自身怪し気なネットのレビューで聞きかじった程度の知識しかないはずなのだから。

 実家暮らしで年中遊び歩いている彼女に、高額なVRマシンをいくつも買って自分で比べるなんて経済的な余裕があるはずがない。未だに父親と一緒に趣味にお金を使い過ぎて、母親に怒られる立場なのだ。


 そして早めに終わったとはいえ一応仕事帰りの私が今欲しいのは、そんな大して役にも立たない蘊蓄(うんちく)ではなく、手っ取り早い結論だった。

 しかし私の期待とも予想とも違い、彼女は不満顔、ではなく困ったような表情で私を見つめ返した。


「それは非常に難しい質問だ」

「はぁ?」

「まぁ、“イイ”にも色々あるんだよ」


 彼女は私に軽くそう語ると、自分のデバイスから店頭に並んでいるマシンのスペックを呼び出した。チラリと横から見えたその内容は、良く分からない数値がズラリと並んでいる表だ。


 これでも昔はそれなりに頭の良い学生だったが、もう数年はドリンクと軽食の値段の足し算しかしていない。そんな私には、少々疎ましく思えるような内容だ。難しい計算なんて精々消費税の税率程度だが、残念ながらル・シャ・ノワールはすべて税込み価格で値段を表記しているのでそちらも怪しい。

 まぁ、流石にじっくり見れば理解できるとは思うが、ここに調べた張本人が居るのでそいつを頼れば良いだけなのである。必要なのは長話を聞かされる覚悟くらいだ。


「まず俗に解像度って言われてる出力方式と出力幅だけど、これが強い程……まぁ何て言うの? 基本的には“現実味”が強い」

「じゃあその数字が大きい方が良いの?」

「そうとも限らない。人それぞれ相性ってやつがあるから、初めての場合むしろ上から下までの可変域の広いマシンにしておくのが無難って言われてる。それにこれが強い程“酔う”しな。自分の特性を把握……と言うより強出力のVRは慣れてからって感じ」

「ふーん……」


 私は彼女の解説を話半分に聞きながら、カタログに書かれたスペックと実際の製品、そして何より値段を見比べていく。


 基本的には彼女の言う出力の値が大きい、そしてその幅が広い程に値段が高額になっていく傾向があるようだ。そしてこの二つは主に出力の方式、つまりは人間の神経と脳に対する情報の送り方によって変動しているらしい。

 その先は正直専門用語ばかりでさっぱりだが、基本的には高度な技術を使っている程高級機と言うことなのだろう。


 プロエディションとなっている最新ハイエンドモデルに至っては、廉価版に比べて桁が2つ違う。その廉価版でさえ、まだまだVRに馴染みのない人間からすると高いと感じるほどの値段だというのにだ。


 今回の話で最も重要だったらしい出力の話の後も、くどくどとスペックの話は続いて行く。

 相談役の隣でその解説のほとんどを聞き流していると、唐突に陳列棚の内容ががらりと変わる。ここから先はレトロな玩具が並んでいるエリアらしい。

 ボタンを押すと音が鳴る往年の変身セットをはじめとして、家庭用ゲームからアーケードゲームの筐体まで並んでおり、そう遠くない場所で男の二人組が肩を組んではしゃいでる姿も見える。あまり近寄りたいとは思えない光景だ。


 ……とにかく、どうやら結構広いVRマシン売り場の端まで来てしまったらしい。

 その事に気付いているのかいないのかまだまだ解説を続ける彼女を置いて、私はVRの売り場へと踵を返す。


「……だから、ゲーマーとしては出力は最大の問題じゃなくて反応速度と演算機能こそ最も重要となっているのは避けられない結論で……」

「……よし、じゃあ安いのでいいか」

「しかしゲーム体験に出力が決定的な……良くなぁい!! 良くない! 良くないぞ、そういう考え! そもそもこんなディープな店に来ておいて選ぶ理由が安いからってのが良くない!」


 大量の品揃えや、あまり断言のされない、それでいて小難しいアドバイスを聞いてやや選ぶのに飽きてきていた私は、スペックが低くて一番安い型落ちのマシンに手を掛ける。彼女の話では初期タイプは規制前の黒い品として逆にプレミアがついているらしいので、これはおそらく少し前にあった規制強化直後の品なのだろう。

 そうなると十年近く前か。どうせあまり真剣に使う物でもないのだから、とにかく安ければ安い程いいのは間違いない。


 しかしこれでいいかという私の言葉を聞いて、相談役はひどくご立腹のようだ。店内であると言うことも忘れて声を荒らげ、私の腕を叩く始末。


「あたしの話を聞いてなかったのか貴様!」

「だって、結局どれも一番とは言い難いって話でしょ?」

「そうだけども! そうだけど違うじゃんか!!」


 ……まぁ彼女の言わんとすることも分かる。流石の私もこんな骨董品で現代のVRゲームが快適に体験できるとは思っていない。

 しかしそうは言っても、こちらとしては大して使う気もないのだから、あまり大仰な代物を買って置物にしたくはないのである。


 そんなことを考えていると、彼女は私の目の前で深々とため息を吐いて見せた。


「まぁ、自分の趣味じゃなくて兄弟からの相談だからってのも、多少は理解してるつもりだけどさ、そこそこ良い物買っといた方が良いって。絶対」

「そう思う?」

「うん」


 随分と久し振りに聞いた気のする、彼女の真剣そうな声を聞いて私も少し考え込む。


 私の、やや年の離れた兄からの相談はこうだった。

 曰く、彼の子供、つまりは私の甥にあたる子がVRに興味を持っているらしく、年齢制限の解除される誕生日のプレゼントとして欲しがっているが、私と同じくそういった物に疎い彼と義姉では今一つVRゲームの実情が掴めないらしい。

 そこで相談役として、昔はゲームが好きだった上にそこそこ暇のある仕事をしている私に話が回ってきたと言うことだ。


 つまり、私は自分がVRをやりたいのではなく、甥っ子の誕生日までにVRゲームの実態調査をすることが主な目標なのだ。

 当然これから購入する機材は、一ヶ月とそこそこという短い時間しか使う積もりのない物なのである。いや、実際には誕生日前に調査結果を報告しなければならないのでもっと短いのかもしれない。

 ついでに、既にゲーム関連から引退して久しい私としては、久し振りに友人との間に気兼ねなく話せる話題が……という程度にしか考えていなかった。今更私が本腰を入れてゲームにのめり込むとも思えない。


 しかし、こうして真剣に私のためを思って品を選ぶ協力をしてくれている彼女を思うと、下手な物を買ってしまうのが多少悪い事のように思えて仕方ない。

 ただただ数字が増えていくことに喜びを覚えていた貯金の楽しみと、それをこんなことのために切り崩す覚悟。それらを天秤にかけて悩んでいると、ちょんちょんと小さな手が肩を叩いた。


「……なぁ、あんまり会ったことないんだけど、兄貴から調査依頼料とか出てないの?」

「あるわけないでしょ。あの人まだ私の事小学生か何かだと思ってるんだから」

「……あ、そういえばさ」


 しかし彼女の勧めならばここは思い切って……などと考えていると、隣で当の本人はデバイスをこそこそと操作し始める。怪訝に思って画面を覗き込んでみると、そこに映し出されていたのは、どうやらとあるゲームのティザーサイトらしい。

 尤も、既に作品に関する情報は推奨マシンのスペックも含めて粗方出尽くしているらしく、ティザーサイトとしての役割を果たしているのかは怪しい所だ。


 彼女は前々からブックマークしてあったらしいそのサイトを開き、私が予想もしていなかった事を語り出す。


「あたし今、実はVRは一人用しかやってないんだよ。でも大方、機械に疎い両親がする子供の心配ってオンゲの対人トラブルとかだろ? 安全性なんてもう何人も証明してるんだし。だからあたしも、今回気になってたMMO作品新しく始めようかと思って」

「……それ色々意味なくない? あなた、相談役なんだけど」

「まー、大丈夫じゃね? 気になってたのは本当だからβテストの情報は仕入れてるし、VRのオンゲなんてどれもそんな大差ないって。これはちょっと特殊なやつではあるけど」


 そう言うと彼女はちらりとこちらを窺ってから、とあるページを開いて見せた。

 それは見覚えのある数字の羅列が記載されているだけのページだった。そしてこの数字、そして表はついさっき見たな。


「でもな、推奨スペックが結構高いんだよなー。安いのじゃ足りないんじゃねぇかなぁ……」

「……」


 で、必要な最低スペックは? 推奨スペックが高いなんて当たり前の事でしょう。重要なのは最低スペックの方。


 ……そんな言葉が口から出かけたが、不思議と喉につかえて言葉が出ない。代わりに出て来たため息は、どこか軽過ぎる諦念のような響きであった。


「……分かった。冗談みたいなハイエンドは無理だけど、使わなくなったら甥のプレゼントにして、半額くらい兄から貰うわよ」


 結局私はその最新ゲームの推奨スペックをピッタリ満たす機材を探し出し、月収の数倍の金額を支払ってしまう羽目になったのだった。


 しかし不思議と無駄な出費には思えない。

 それどころかこれからの事を考えると、少しばかり気分が明るくなるような、そんな気配すら感じてしまう。こうして彼女と同じゲームで遊ぶなんていつ以来だっただろうか。


 そんなことを考えていると、ふとある考えが頭を過る。

 ……これは決して、お互いいい年をして一緒に遊ぼうが素直に言えなかったとか、そういう話ではないだろう。きっとそうに違いない。



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