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第36話 正義の味方

 詠唱が終わる前に、ガラクの爪が私の体を浅く抉る。鈍い痛みが走るが、それで詠唱を中断するなんてことはできないし、自分の体力を確認するために魔法視を使うなんてこともない。


 私には敵の攻撃を最小限の動きで左右に避けるなんて芸当はできない。もっと言えば、出来ると信じる事が出来ない。


 唯一取れる選択肢は、攻撃に合わせてひたすらに後ろへと距離を取るだけだ。

 詠唱中は移動に制限がかかるので避け切れないが、すべてを避ける必要はないのだ。今回は死ななければそれでいい。爪の攻撃は弱い。噛み付きはリーチがない。距離を取っていれば大丈夫なはず。


 尤も、敵の攻撃を何回受けると死ぬのかが分からないというのが、完全に賭けでしかないのだが。


 ただ私は、賭け事には強かったらしい。

 三回目の攻撃を受けた直後に詠唱が終了すると、私は透かさず魔法を放った。

 春の様な優しい風が戦場を駆け抜けて、巨躯の餓鬼を夢へと誘う。


 私に爪を振るっていた正面のガラクは、体を弛緩させて目を閉じた。

 四足歩行の体が元から低重心で前のめりに倒れ込む事は無い。後はこの巨体を盾にしながら、何とか昏睡の範囲外の連中相手に立ちまわって……。


 そんなことを考えながら次の魔法の詠唱を始めると、前方から突然湿ったような衝突音が響く。私は首を傾げながらも、何事かと奥の方を覗き込む。


 しかし、その正体が判明する事は無かった。

 覗き込んだ直後、何かに押し出された昏睡中のガラクが前に倒れ込んできたのだ。元から力の入っていなかったその体は、何の抵抗もなく重力に引かれ、私へと近づいてくる。


「うそっ……」


 慌てて逃げ出すが、時既に遅し。仰向けに押し倒された私は、下半身を数百キロはあろうかという肉塊に圧し潰される。

 それだけではない。更に何かがもぞもぞと動いている音がするのだ。左右を見れば、木に引っかかり寝ながらも押し出されるようにしてズルズルと動いているガラクが数匹。


 そんな物を見ていた視界が、突然大きく陰る。

 なぜか先頭のガラクにのし上がっていた別のガラクが、更にもう一体私の上に落下してきたのだ。


 直後に響く落下音。咄嗟に顔を守ったが、落ちてくる巨体から逃れる術はない。私はなす術もなく、悪臭を放つ巨体に全身を押さえ付けられてしまった。


 顔もぶよぶよの肉に潰されていて、目が開かない。そうでなくとも光の一筋も入り込まない完全な闇だっただろうからどうでもいいか。

 視覚以上に、強烈なまでに異常事態だと告げる五感がある。こちらの方が問題だった。


 とにかく臭いのだ。

 丁度良くガラクの口の中に顔の下半分が入っているので、呼吸自体は出来ているのだが、やつの口内は凄まじい腐臭がしている。歯ぁ磨けよ。

 異常な感覚に涙が滲み、胃はひっくり返りそう。幸いなのが、私がここに来てから何も食べていないことだろうか。


 ガラクの唾液が顔やお腹に滴っている。おそらくだがこれも強烈な臭いなのだろう。もはやどこが臭いのか認識することも難しい。

 魔物は人間と違って寝ていても多少は体を動かせるのか、私を押し倒している上の二体は時折ねばつく舌を私に這わせ、しゃぶるように私の体を汚していく。


 早くこんな場所から出なくてはいけないのだが、生憎指の一本も動かない。柔軟な贅肉が私と地面の間をぴったりと埋めてしまっている。

 唯一“隙間”があるのは、顔や腹。つまりガラクの口にある部位なのだが、そこを僅かに、無駄な抵抗として動かせるばかりだ。


 臭い舌が比較的敏感な首筋やヘソを舐め始め、本日最大の悪寒が全身を駆け抜ける。

 ……こんな状況でも魔法は使えるのだ。こいつらが起きる前に、何とかして抜け出さなくてはならない。不快であると同時に比較的安全な場所ではあるが、それも永続ではないはずだ。


 おそらく私の上に乗っているこいつらは、昏睡の範囲外だった個体に“押し出された”のだろう。

 連中にパーティアタックで昏睡を解除するなんて仲間思いの思考があるとは思えないので、多分私に迫ろうとして最短距離を進んだ結果、偶然私を潰してしまった。


 そして昏睡していない個体は私を見失っているとは考えにくいので、今は私を取り囲むようにして待っているはず。

 このまま何とかここを抜け出しても、格好の的だろう。もう私にはHPの余裕がないため死んでしまう。


 思考を回すために仕方なく深呼吸をすると、痛い程の悪臭が鼻を刺す。

 それどころか私の呼吸が煩わしかったのか、太い舌がぬるりと私の口を塞いでしまった。反射的に噛み千切りたくなるが、そんなことをすれば攻撃判定で起きてしまう。

 私は涙を呑んで、されるがままになることを選んだ。


 ようやくとりあえずの作戦が決まると、私は手始めに恐怖の魔法を展開した。場所の指定はとりあえず自分が中心で良いだろう。寝ていない他の連中がどこにいるのかはよく分からない。


 ガラクの恐怖耐性は3倍。混乱は素通りなので混乱の方がお手軽なのだが、その効果で仲間を襲われる、つまりパーティアタックが今は不味い。


 最初の一回が終わると、同じ範囲に毒の魔法を使う。それが終わると再び恐怖の魔法……と魔法を繰り返す。

 最悪の環境ではあるが、攻撃らしい攻撃が来ない安全地帯だ。魔法の詠唱だけ考えれば、隠れるよりもよっぽど確実だろう。


 この魔法で三倍の恐怖耐性を抜けて、周囲の魔物が恐怖状態になったはずだ。昏睡状態と重複しているので全く意味のないタイミングではあるが、もちろん次への布石である。

 恐怖の蓄積を魔法視で確認すると、私は次に毒の“攻撃魔法”を使う。


 そんなことをすれば上のガラクが起きてしまうが、そうでなくとももうすぐ昏睡の効果時間が切れてしまう。こんな状況なのでカウントが多少早くなっているかもしれないが、恐怖の魔法のサイクル時間を考えればそう的外れにはなっていないはずだ。


 魔法の発動と共に突如として体が地面に沈み込み、私は今度こそ息を止める。

 魔法の毒沼は、硬かった森の地面を瞬く間に泥濘(ぬかるみ)に変えてしまったのだ。


「おおぉお!」

「いたい、いたいいぃ!」


 結果、寝ていた魔物は飛び起き、毒沼から逃げ出すために暴れ始める。下からだとバタバタと動き回っているように感じるが、恐怖状態なのもあって多少大人しくなっている……はずだ。ちょっと怪しい。もしかすると敵の攻撃から逃れる時には関係ないのかも。


 私はそんなガラクの足を蹴って、岸まで手を伸ばした。

 あまり深くはない汚泥の中を泳ぐこと数秒。ようやく手にかかった岸を頼りに、無理矢理体を持ち上げる。すぐ後ろにはまだガラクが居るが、縁と贅肉の間に何とか細い体を滑り込ませる。恐怖が機能してくれている事を願うだけだ。


 汚泥で良く滑るようになった小さな体は、そこでようやく巨体の重圧から解放された。


 私は荒い息を何とか落ち着けながら、近くにあった木に手を添えて立ち上がる。何とか抜け出せたが、ここから何とか逃げなければ……。


「はぁっ、はぁっ……くそっ……」


 しかし、体が思う様に動かない。

 私は自分で思っていた以上に消耗していたようで、泥に足を取られて膝を木の根に打ち付ける。私はそのまま立ち上がれずに、地面へと座り込んでしまった。

 この状況は非常にまずい。包囲を突破できていないのに力が入らない。目がかすむ。VRなのにどうしてだろうか。もしかして窒息か?


 見上げれば、そこにぼんやりと見えるのは私に怯えながらも、じりじりと迫る大きな口。

 それを見ると同時に、さっきまでの舌の感触を思い出し、私は口に溜まっていた二人分の唾液を吐き捨てる。

 二度とあんな口の中に入りたくない。ティファニーと嫌な思い出の共有なんてしたくはないのだ。


 しかし、ここから立ち上がって逃げられるだろうか。恐怖にはしたし、ここから暗闇にすれば、何とか……なるかな……。

 使う魔法を決めた私は、さっき岸を掴んだ右手を見る。


「ああ……杖、落としたのか」


 ……クソ、こんな変態みたいなやつに負けるのか。

 そう考えた瞬間に、私は立ち上がる最後の気力をどこかへと手放してしまった。


 迫る牙を前に目を閉じる。このピンチで考えるのは、コーディリアの事だ。

 私がここまで酷い目に逢ったのだから、彼女だけでも助かって欲しい。そう願うのは傲慢だろうか。それとも、私の善意が骨折り損だったら普通に嫌だなと思うのは、仕方のない事なのだろうか。

 そう思うと、自己犠牲なんてやっぱり碌でもない考えだな。


 私は自分が助かる展開を考え、“最初の悪手”を思い出す。今にして思えば、あそこで全員で逃げるべきだったか。


 その直後、肉を断つような鈍い音が響く。

 しかし、覚悟していた痛みはいつまで経っても私を襲う事は無かった。


「……?」


 不思議に思って目を開けると、そこには長柄の武器を構えた人影。

 一瞬“盟友”の面影をそこに重ねてしまうが、すぐにその幻覚は消え去った。


「何とか、間に合ったみたいだね」

「……あなたですか」


 私に差し出される大きな手。

 服も乱れ汚泥と唾液に塗れた私と、そんな女に手を差し伸べる歴戦の騎士。

 何ともいい構図だ。素晴らしいな。泣けてくるよ。


 あまりにお前が輝いていて、私が哀れな弱者でしかなくて。


 恐怖状態のガラクは突然の乱入者を前に動揺している。よく見れば、エリクは私に迫っていた個体を一撃で倒したらしい。

 一瞬さっきまでは実力を隠していたのかと思える攻撃力だが、おそらくは何らかの攻撃スキルのだろう。そこに恐怖のダメージ増加効果で大ダメージになったのか。


 そこまで毒と魔法で削ったのは私だ。恐怖状態にしたのも私だ。

 それなのに何だ、お前のその顔は。自分のおかげで弱者を救うことが出来たという、達成感に満ち溢れた笑顔は。


 未だに立ち上がる気力のない私はエリクの手を払うと、視線を彼の後ろに向ける。


「さっさとあいつら殺してください。私が居なくともあの程度十分でしょう」

「……そうだね」


 彼は私の行動に小さく笑うと、槍を構えて動きの鈍い魔物を相手に斬りかかる。


 何とも格好いいな。仲間のピンチに駆け付けて、一人で解決してしまう“正義の味方”。

 何とも素敵じゃないか。どんな弱者にも構わずに手を差し伸べて、優しく接する“弱者の盾”。


 私は、その活躍を輝かせる舞台装置でしかないわけだ。

 お前のせいでピンチになって、お前のせいで一人犠牲になって、お前のおかげで助かってしまった。


 彼の“演舞”を見ながら、私は仄暗い事を考える。


 ああ、やっぱり私、こいつの事嫌いだな。

 例え彼が土下座で諸々を謝ったとしても、それはただの“優しさ”でしかない。そんなことがあったとしても、その後に残るのは、善人を許せない私という“枷”だけなのだ。


 構図だけ見れば、まるでラブストーリーでも始まりそうな展開だが、私がどうしてこんな彼を好きになるんだ? 一体どうやって?


 ……例えば、例えばの話だが。

 力で二度と立ち上がれない様に屈服させて、こいつが私の事を逆恨みで嫌いになって、それから、


 一方的に殺せたら、さぞかし気持ちがいいんだろうな。


 味方を守るために無双している正義の味方(エリク)の背中を見て、その時私はようやく、心の底から嗤う事ができたのだ。



明日、30日は投稿をお休みします。

次回更新予定は明後日、5月1日土曜日です。


~~今後のストーリーに関するお話・ネタバレが気になる方は読み飛ばし可・大したことは書いてないよ~~




この作品、章立てとかはあまり考えていないのですが、一応ここ、もしくは次の話で一つの区切りです。これまでは笑われたり役に立たなかったり役に立たないと笑われたりと何かと不憫なサクラちゃんですが、そろそろほぼ唯一の呪術師として頭角を現し始めます。

少なくとも現時点では始める予定です。本当にそろそろなのかは正直わかんない。

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[一言] 本当にこいつうざいな
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