第35話 逃走劇
増援を相手にし始めてしばらく。
私達はその数を前に圧倒され始めていた。
既に前衛ではセイカが2体、エリクが3体、そして本来前衛ではないはずのティファニーが1体のガラクを受け持っており、とても手が足りているとは言えない状況だ。
ここまでに前衛の活躍で何体か倒しているとはいえ、それ以上の頻度で増援が来ているのだ。これでは万に一つも勝ち目がない。魔物が尽きる前に、私達が押し潰されてしまう。
今となっては、私とコーディリアが本気を出す出さない以前の問題で、そもそも私達5人の数値上の火力が足りていない。一体一体は苦戦するほどの強い力を持っていないが、瞬殺できる程に弱くもない。一体に集中砲火しても横から攻められる。増援に次ぐ増援を前に、私達は着々と追い詰められていく。
もちろん、現状が良くないというのはこの場に居る全員が分かっていた。
想像以上に軽い身のこなしで攻撃を躱しているティファニーが、ちらりとこちらに視線を飛ばす。
右手に弓と剣を同時に持ち、左で矢を引きつつ剣の切っ先で斬り付け、更に追撃として矢を放つという曲芸染みたことを難なく行っている彼女は、困難を前にしていつになく笑顔だ。
しかし、そんな彼女も打開策があるわけではない。
「サクラちゃん! 一緒に逃げよう、これ! 無理!」
「確かにこれは不味いな……」
同意するのは隣にいるエリクだ。彼はリーチを押し付ける独特な立ち回りで、多数を相手に取っている。その動きにはティファニーの様な派手さはないが、無駄な動きのないロザリーと言ってもいいもの。普通に上級者として十分な力量な様だ。
竜騎士自体、“竜の力”という自己強化系の魔法で自動回復と能力値上昇を行うことが出来るので、持久戦自体は性能的に得意。この状況で最も余裕を持って戦線を張っていた。
私もティファニーとは同意見で、逃げることについては異存はない。
ただ、一つ不安なのが……
「紗雪、お願い!」
真っ白な蛾が、私達の“真正面”に居るガラクに突撃する。
彼女のその捨て身の連続攻撃は、現代人が号泣するだけの十分な迫力はあるのだが、如何せん相手が悪い。牙も爪もない彼女の体当たりでは、体力の数%も削れないだろう。
私は新しくやって来た集団に向かって黒い霧を放つと、透かさず混乱の魔法の詠唱を開始する。
混乱と暗闇が効果的なのは、視界が狭まった上にその狭い視界に映ったものを攻撃対象として認識するため。陣形を組んでいる相手にこの二つを当てれば、十中八九味方か自分を攻撃することになる。
私の魔法を合図に、彼らは近くに居る同族同士で争い始める。これであの集団は無力化できたか。近付かない限り大丈夫だろう。
尤も、同士討ちでは死に至るまでの火力に程遠いのは間違いない。これもただの足止め、時間稼ぎにしかならないのだ。
既に私達は包囲されている。右に敵だとか左に敵だとか、そういうレベルではなく四方を囲まれてしまっているのだ。
それでも私達にこうして喋っている余裕があるのは、私とコーディリアがエリクの指示を無視して後方の足止めに専念し、ようやく一時的な均衡が保たれていると言うだけ。
これから後ろの集団に昏睡、暗闇、混乱の累積耐性が付いて足止めが不能になってしまう。
つまり、このままどれだけ上手く出来ても、最終的には潰されてしまうのだ。そうでなくとも包囲網は徐々に狭まって来ている。
こんな状況で全員無事に逃げられるだろうかといえば……可能性はかなり低い気がするな。
「ふっ……殿は男の中の男、お姉さんに任せなさい!」
「……僕も残るよ。この中では唯一、囲まれても大丈夫な性能だからね」
私の悲観的な考えとほぼ同時に、そんな自己犠牲を主張し始める二人。
何とも都合がいいので、彼らにはさっさと死んでもらうことにしよう。ここで「全員で生き残ろう」とか頭お花畑なことを言い始めたら、黙って、いや、騙してでも置いていくつもりだった。
手間が省けて助かったな。
しかし、逃げると言っても一体どこから逃げれば……いや、囲まれているのならば一ヶ所崩すしかないか。私には極めて有効な手段がある。
私はようやく再使用時間が終わった、切り札の一つ昏睡の魔法の詠唱を開始した。
「私が足止めします。そこから何とか逃げましょうか」
「僕もできる限り敵の注意を引き付けるね」
「よし、じゃあわたしが二人を抱えて走っちゃうぞー? うへへ……」
いつの間にか武器を仕舞って極限まで軽装になったティファニーが私とコーディリアを両脇に抱える。彼女の動きに合わせて揺れる視界を前に、私は少し顔を顰めた。
確かに私が走るよりもこっちの方が速いのだろうけれど……変な所触らないだろうな、こいつ。
私のそんな不満の隣で、コーディリアはスカートがどうたらを気にして何か反論していたが、それが終わるよりも早く私の昏睡の魔法が組み上がった。
一番包囲が薄そうなのは、さっき来た新手。混乱と暗闇に陥っている辺りか。一応無力化しているとはいえ、お互いにこの数だ。彼らの視界に入って、攻撃対象として認識される可能性は非常に高い。この格好ではティファニーに頑張って避けろとは言えないし。
昏睡には無耐性のガラクは、私の魔法にかかって崩れ落ちていく。まだ暗闇の霧が残っているのも多少は好都合だ。
私の魔法と同時にティファニーが走り出す。今は気にしないことにしたが、こいつ妙にこういう状況に慣れていそうだ。もしや“冒険者”としてはかなり優秀だったのだろうか。
混沌としていた同士討ちの戦場に響くのは、今はいびきと軽い足音だけ。これでようやくこの場から逃れられる。
そう思った時の事だった。
凄まじい音が、振動となって戦場を駆け抜ける。
音の発信源を見れば、いけ好かないエリクが空に向かって叫んでいる所だった。
……最悪だ。私達はどこまでも意見が合わない。自分で脱出できるから、お前はそこで一切動くなと言いつけておけば良かった。
私はこのスキルが何なのかを知っている。
これは竜の咆哮という魔法。今の所は竜騎士しか覚えない専用の魔法になっている。
効果は音の届く範囲に対して魔法判定の攻撃をし、自分に敵からの注目を集めるというもの。
そういえば、今日初めて見たな。すっかり忘れていた。
タンク役としてそこそこ強い竜騎士が多用する傾向のある便利な魔法ではあるのだが、彼以上に前に出なければならないセイカが居たり、自分に敵意を集めるには数が多過ぎたりと、今までこの魔法を使用を一切してこなかったようだ。
強いスキルだと思う。竜騎士でタンクをやるなら必須級の魔法だろう。それは分かる。
ただ、“タイミング”が最悪だ。私達のためにと言いつつ、こちらの都合は一切考えていない。
なるほど。これも上級者の教えだろうか。
タイミングが悪いと、スキルは無駄になるという典型例を実演してくれたのか。クソが。
私達はどこまで行っても相容れない。
これは攻撃スキルだ。つまり、昏睡させた魔物を覚醒させてしまう。
更に言えば、ここは……
私がエリクに恨み言を言う前に、視界が大きくぶれた。さっきまで足の動きに合わせて大きく揺さぶられていた体が、あっという間に宙へと浮かぶ。
隣を見れば、コーディリアも驚きの表情で着地点を見定めていた。その先にあったのはやや見慣れた醜い肉の塊……。
私達はガラクの上に落下すると、数十キロの肉の塊をぶつけられた彼は大きくのけぞった。私はぶよぶよとする肉を踏みしめると、急いで起き上がる。
後ろを見れば目をそむけたくなる凄惨な光景。
ティファニーが頭から魔物に丸飲みにされている所だった。
「このっ、口臭ぇんだよ、デブ!」
あ、意外に大丈夫そうだ。
ティファニーは右手でガラクの顔面を殴っている。ただ武器を仕舞っているし、HPの残り残量的にあれはもう助からないだろう。いくら上級者でもあれは無理だ。そもそも前衛ではない上にレベルも低いので、彼女の耐久力は私以上に紙である。
プレイヤースキルを含めた回避性能は比ぶべくもないが、普通に殴られるだけだったら私の方が強い。
えーっ、竜の咆哮効いてないやんけーっ、みたいな表情でエリクが驚いているが、当たり前だ。
足止めと聞いて麻痺しか思いつかなかったお前の浅薄さを恨むぞ。
昏睡が無駄になっただけならまだいい。この辺りのガラクは昏睡の前に混乱状態になっているのだから、敵対値を変動させるスキルはほぼ無効。完全にランダムで攻撃対象を選ぶのだ。
その上暗闇状態で視界が閉ざされている。ほぼ確実に目の前を通った物に攻撃をするだろう。自分と私達しか認知圏内にいなかった場合、単純計算で3/4の確率でこちらに殴りかかることになる。
思わずティファニーがバリバリ貪られる光景を眺めてしまっていたが、幼女二人のフライングボディプレスを顔面に受けて倒れていたガラクがのそりと起き上がった。
一気に暗くなった視界を前に、私は迷わず踵を返す。
……一人犠牲になってしまったが、私達が包囲を抜けられたのは事実だ。おそらくだが、ティファニーが攻撃を受ける寸前で私達を放り投げたのだろう。
あの状況でよくもまぁその判断ができるな。自己犠牲ではあるが、完全にファインプレイだった。
未だに状況を整理できていない様子のコーディリアの手を引き、私は深い森の中へと駆け出した。
「お前なんかと二度と組むか!! この愚物!」
そんなエリクへの罵倒をしっかりと残して。
コーディリアの手を引いて深い森の中を駆ける。ただひたすらに駆け抜ける。
どこからやって来たのか、後ろには追撃するガラク数匹が私達を追ってきている。混乱状態では追撃できないだろうから、そもそもエリクの足止め自体が上手くいっていない可能性もあるな。
……まぁ私怨を抜いて考えれば、新しくどこかからやって来た個体なのだろう。
「ガキ、ウマい……食う……」
「生、食う、ガキ、好き……」
「ナマガキぃぃぃいいい!!!」
「いい加減しつこいのよ、変質者!」
私は後ろ手に毒液を投げるが、当たっても別に何ともない。そもそも影響力が50しかないので、偶然一発当たっても深度は1にもならない。
逃げ出したのは良いものの、これからどうしようか。
戦闘中は万象の記録庫に帰還できない。何とか逃げ切らなければならないのだが、こんな状況では魔法も使えない。
ティファニーが居れば、抱えてもらいつつ昏睡の魔法で一発なのだが……。コーディリアに抱えてもらえば同じことが出来るか? ……止めておこう。“私”と同じ速度で必死に走っている以上、運動ができるタイプとも思えない。
しかし、意外に敵が機敏なのと、私達の敏捷性がのステータスが低いのとで徐々にその差は詰まって来ている。このままでは不味い。
「どうっ、しましょうかっ……このままでは……」
「……片方が囮になるとか?」
「それくらいしかないですよね……」
どちらが囮になるにしても、詠唱時間すらまともにないこの状況では、囮役だって長く生きていられない。
見たところコーディリアに良い案はなさそうだ。結局出たのは、私が提示したその一つの案だけ。
……私だって死にたくはない。死にたくはないが、どちらかが立ち止まって何とかなるとすれば、私の方なのだろう。
召喚系である蠱術師は耐久性能が伸びにくい。対して呪術師は、スキル性能が乏しい代わりなのか能力値の上り幅自体はそこそこだ。私のプレイヤースキルのせいで回避性能は無いに等しいが、それでもすぐに死ぬわけではない。
敵は黄色判定。後ろから戦いを見ていた限り、両腕の攻撃は素早いが弱く、噛み付きは強力だがリーチが短い。
私は限られた時間の中で、ある結論を弾き出す。
「……二手に分かれましょう」
「え?」
「お互い、あれの半分なら足止めして逃げ切れるかもしれません。別れたら振り返らずに走り抜けなさい」
もちろん大嘘だ。お互い一人ではあの半分の相手なんて出来はしない。二人で協力した方が足止め自体は簡単だろう。
ただし、二人でもあの数を相手にできる可能性は低い。どちらかが全てを引き付け、片方が逃げた方が確実だ。
しかし耐久性能の差からコーディリアでは囮役は難しく、私が囮をやる正当性を彼女に一々説明している暇は残っていない。
故にこの嘘は、吐くだけの価値がある。
進路前方に巨木がそびえている。
私はその手前で彼女の肩を押し、体を右へと方向転換をした。
「じゃあ、また学院で」
一方的な別れを告げて、私達は右左へ別れる。
もちろん私はそのまま直進するわけではない。できるだけ小さく右に曲がり続け、そのままガラクの正面へと躍り出た。
「ガキ……つかまえた」
「食うう、食わせろ……」
「死ね、変質者」
私が詠唱を始めると同時に、ガラクの腕が振り上げられる。もしかしたら先手で魔法を詠唱して完封、なんてことも楽観的に妄想していたのだが、悲観的に予想していた通り、魔法は間に合わなそうだ。
しかし、私だって死にたくはない。できる限り足掻いて見せようじゃないか。




