第28話 変人の授業
「まず最初に……毒性学と聞いて何を思い浮かべるかな。キリエ君!」
「え、毒性学……?」
私達の自己紹介の間に実験道具が教壇の上に設置され、人数分の新しい器具も私達の机の上に並べられている。これでついに実験が始まるのかと思っていたその時、ヒューゴ先生はいきなり私に質問を飛ばした。
その仕草には形容し難い“勢い”があり、私は少しばかり身を引く。
授業が始まった直後から元気だなこの人。結構苦手なタイプかもしれない。
とにかく質問に答えるべきか。毒性学と言えば、毒物以外の発想はない。そして毒、毒と言えばこの前読んだ小説に出て来た。確か、墓地によく植えられる、獣除けの植物で……
「えっと……彼岸花とか」
「うんうん、悪くない発想だ。僕も昔は薬草、毒草に興味があってね。若い頃に家に来た怪しい商人から“ウムドレビ”の苗なんてのを買っては栽培していたんだよ。結局マンドラゴラの変種で、商人は詐欺師だったって落ちなんだけど……あ、ウムドレビっていうのはね」
と、私が何となくで答えた単語は、思わぬところで先生の長話を引き出してしまった。これは、授業開始前から前途多難なようだ。
彼曰く、ウムドレビというのは毒性の極めて強い樹木らしい。強烈な毒性で周囲の生命を殺し、その死肉を栄養源として生きているとか。光合成をしないので葉は全て白化しており、実や樹液さえも生き物を殺すことだけに特化している。
植物ではあるが昼夜問わず歩き続けており、彼らが一本でも通った道は毒沼と化してしまう。もちろん毒沼ではウムドレビ以外の植物は育つことが出来ないので、この世界のどこかにはウムドレビ達の楽園があるのだとか。
いや、どう聞いてもそれ普通に魔物だろ。現世に魔物が存在しないのだから居るわけがない。……と、言い切りたくなってしまうのだが、彼は割と本気でこの植物の実在を信じているらしい。
彼らの“土地”はドーナツ状に広がっているはずだとか、中央には獲物が取れないウムドレビの枯れ木が乱立していて……と、かなりそれっぽい説を熱心に語っている。
彼の熱心な解説は、まだまだ終わりそうもない。そろそろ止めた方がいいだろうか。
「あの、ヒューゴ先生」
「ん? なんだい? 質問なら……」
「授業を始めませんか」
「……カリキュラムって従う必要あるのかな」
……ああ、これは変人だな。
シーラ先生と違うのは、この話が今後役に立つ可能性は極めて低いことだろう。何せ、私がよく使う毒液に植物なんて物は入っていないし、これから使う事もないだろう。
私ともう一人、コーディリアの視線を受けて、ヒューゴ先生は渋々実験器具を手に取った。そして深々とため息を吐く。
「はぁ……じゃあカリキュラム通り魔法毒性学教えるよ。まぁ確かに、物理的な毒草っていうのは魔法世界では実用的じゃないんだよね。何せ持っていけないんだから……」
「でしょうね……」
そもそも、魔法世界、つまり万象の記録庫の内部と、こちらの世界は物理的につながっていない。往復できるのは精神的な存在だけだ。
例えば人間。物理的な肉体も疑似的に向こう側へと行けるわけだが、これはある意味例外だ。道具などは基本的に持っていくことが出来ない。
詳しいことまでは知らないが、例外的に持ち込める装備やアイテムには魔法的な細工がしてある。魔法世界から魔石が持ち出せるので、それと同様の性質をどうにかして持たせているのだろう。
そして毒薬なども当然特殊な物しか持ち込めない。逆に言えば、毒草や動物で作った毒薬はその例外には含まれていないのだ。
では、この毒性学で教わる“毒性”の正体は何なのか。
それは魔法世界から持ち出せて、そして持ち込める物の筆頭……。
ヒューゴ先生は、小さな袋から鈍い輝きの宝石を取り出すと、私達の机に二つ置く。
「じゃあ、実験用の魔石をあげるよ。まずは一番簡単な抽出からね」
魔石。魔法世界で魔物や植物から採取できる魔力の結晶。それはこの学院で広く、様々なことに活用されている存在だ。
彼は魔石を粉砕用の器具に入れ、そこに透明なとろりとした液体を少量注ぐ。そして蓋をすると、ガリガリとハンドルを回し始めた。
「あ、勘違いしないで欲しいんだけど、僕は魔石から抽出した毒液も大好きだよ。植物はもっと好きなだけでね。実際鉱石、金属にも毒性という物はあって……」
「ヒューゴ先生、実験の注意などはありますか?」
授業を開始してからも早速話が逸れ始めた。そんな彼の話を隣の級友がすかさず止める。
彼はその質問を受け取ると、渋々といった調子で私達に指示を出した。
もしかしてこの教室、私達で“授業を進める”必要があるのだろうか……。少なくともあと6回は講座があるのだが、これはどれだけコーディリアと一緒に授業を受けられるかが運命の分かれ道かもしれない。
「この方法で魔石の毒性因子を抽出する場合、エーテル液は沢山入れない方がいい。単純に無駄だからね。こんな方法で使う魔石よりエーテルの方が高いんだよね。……あ、エーテル液って他の授業で使ってるかな。魔力因子の解説も要る……?」
見様見真似で実験を進めながら、先生の話を黙って聞く。うーん、毒草や鉱石の話よりは……?
これは脱線なのかどうかが判断が難しい所だ。自分で調べられる範囲ではあるのだが、そんなこと言い始めると授業自体が要らないしな。
私は判断に困って隣を横目で見るが、彼女も少々悩んでいるようだ。まぁ一応聞いておくかと、視線を正面に戻す。
「エーテルってのは、第5元素で……まぁ簡単に言えば存在するのかしないのかはっきりしない物質だね。本を正せば虚空の否定でもあるわけだけど、実際には虚空が存在するんだから……あ、こうしてここにあるじゃないかって顔してるね?」
「……」
二人ともそんな顔してないと思うが。というか、こいつこっち見てないぞ。
やはりと言うか、この話も脱線だったようだ。この授業の本筋に関係があるとは思えない。
話好きなのだろうが、彼の話はどうも飛び飛びで分かりづらい。話し方がどこか絵筆を思い出させ、つい聞き流してしまいそうになる。
「エーテルが存在しているのかしてないのかは議論の余地がある。我々はエーテルその物に触れることが出来ないんだ。こうして触れている、見えているのは魔法的な現象な訳だね。魔石に限らず魔力を強烈に吸収して“解かして”しまう性質を我々は大いに活用しているわけだけれど……」
「あの、先生。この次はどうすればいいですか?」
「え? ああ、砕き終わったね。じゃあ希釈用の霊水に入れちゃおう。一番簡単な毒液はそれで完成だよ」
適当な所で話を切り上げさせ、作業を進めさせる。
ヒューゴ先生は砂になるまで粉砕し切った魔石とエーテル液を、希釈用の綺麗な水に入れた。この際に溶け切らなかった魔石は漉して取り除く。一応魔石は魔力の結晶なので、こうして残った分にも活用法はあるらしく、学院にある専用のバケツに保存する決まりのようだ。
一応これで完成と言う訳か。意外に簡単だったな。問題はこの粉砕器とエーテル液の入手手段なのだが……
「毒性学を取っている生徒は購買でエーテル液の購入権限があるよ。器具の方はこっちで手配して寮に届けておこう」
と、そちらも問題なさそうだった。
他にも聞きたいことはいくつかあるのだが、この人に聞いていいものか少し悩む。ちらりとコーディリアを見やるが、彼女は初めての自作の毒液の性能を確認している様子だった。
まぁ、今ならいいか。前半で大きく時間を取られたが、まだギリギリ授業時間だし。
「先生、質問があります」
「ん? 何だい?」
「毒液の性能を上げるにはどうすればいいのですか?」
ちらりと隣の毒液の性能を盗み見る。試作品という事もあってかかなり性能は低く、店売り品の半分も影響力がない。希釈したのでその濃度を調節すればいいとは思うのだが、結局量が作れないと金銭的に困る。
ヒューゴ先生は私の質問にパッと顔を明るくした。生徒から期待していた質問が来て嬉しいようだ。今まで生徒いなかったもんね。泣けるね。
「いい質問だね! 方法はいくつかあるよ。魔石に含まれる魔力因子、毒薬を作る場合は毒性因子という物を使うんだけど、これが中々曲者でね。魔石毎に含まれている因子の種類と量が違うんだ! どういう意味か分かるかな?」
どういう意味って……それは普通に、
「魔石を変えれば効果が変わるということでは……?」
「その通り! だから毒性因子の含有率が高い魔石を使えば、それだけ強力な毒液になるね。逆に回復用の因子が多いと同じ方法で調薬しても回復薬になっちゃうんだ」
……へぇ。そうなのか。思えばエーテル液も希釈液も、あまり毒っぽくはないな。
同じ方法で回復薬が作れるという事は、毒性学と薬学って最初は同じ内容の授業やるのかな。一番単純な抽出方法が共通なら、その可能性は高そうな気もする。そりゃ毒性学が不人気になるわけである。
「でも、そもそも今時こんな原始的な方法で調薬なんてしないんだよね。魔石もエーテル液ももったいないから。次の授業ではもっと抽出率の高い、つまり性能の良い毒液の作り方を教えよう」
彼のそんな言葉と同時に、授業終了の鐘が鳴る。丁度時間が来たようだ。このまま続けて彼の話を聞いてみたい所ではあるのだが、この教室は次の経営学の授業で使う予定がある。
購買で働けたり自分の屋台を持てたりと金策として使えるので、意外に人気な副専攻の一つだ。間違っても毒性学なんかが時間をずらし込んでもいい相手ではない。
先生もそのことは十分に理解しているのか、鐘の音に慌ててガチャガチャと実験道具を箱の中へと片付ける。私達はガラス製に見える器具を割らない様に丁寧に扱い、その片付けを手伝った。
洗わなくていいのかな、これ。なんて思っていたら次の授業の生徒が入ってきて、3人で足早に教室を後にする。
彼は実験道具の箱を片手で抱えると、私達に向かって大きく手を振る。
「それじゃ、次回も楽しみにしててねー!」
「あ、はい……ありがとうございました」
「またよろしくお願いします」
私は手を振り返し、コーディリアは丁寧に一礼。
何というか、こういう雑な先生中学の時に居たな。うるさくなく課題も少なく生徒には人気があったが、私はどうしても苦手だった。……今度は仲良くできるだろうか。
先生がこちらに背を向けたタイミングで次の授業が始まったらしく、廊下は先程の喧騒をどこかへと消し去ってしまう。
廊下に残されたのは、まだ挨拶もしていない微妙な関係の級友と私だけ。
このまま何も言わずに別れるのも変かな。私は一旦ロザリーに合流しようと、一歩踏み出してから彼女に手を振った。
「それじゃ、次の授業で」
「あっ……」
一応次の授業で出会えることを祈ろう。時間割と様々な時間的な都合で欠席することもあるだろうけれど、二人しかいないのだからできれば次も一緒に居たいものだ。あの先生の相手を一人でするのは疲れる。
そう願いを込めつつ、一歩踏み出す。それとほぼ同時に私の袖が小さな手にくいっと引かれた。
「あ、あの、この後お時間ありませんか?」




