第25話 自分と過去
食材を指定の形に切っていく古い機械。私の仕事はそこから次々に出される材料を盛り付け、隣の加熱調理機に入れてスイッチを操作するだけだ。
この喫茶店“ル・シャ・ノワール”に備え付けられている古いマルチクッカーは、私の家にある中途半端に人間に調理させるクッカーよりよっぽど高性能だ。今もキノコの和風パスタをプログラム通り、蒸気で加熱している。
この店で提供されるほとんどの料理に対応しているので、調理担当の店員の役割と言えば機械の補佐でしかない。むしろ機械様に仕事を分けてもらっている状態と言ってもいいかもしれない。
オーダーすらウェイター(性別を問わない表現としてのウェイター、ウェイトレス)から直接クッカーに送られており、調理担当の私にはどの料理がどこへ運ばれていくのかも分からない程だ。
人間が働かなくなって、学生バイトという文化が抹消されて久しい現代だが、正直に言えば学生の頃の方が遊びに勉強にと忙しかったな。この単調作業をしていると、徐々に意識が逸れて行ってそんな昔のことを考えてしまう。
出来上がった料理を配膳台に置けば、丁度良くその料理を待っていた萌が客の元へと持っていった。
今日のシフトは私と萌ともう一人の3人体制。体感的にはかなり珍しいが、今後はこのパターンが少しずつ増えていく予定なので、その内慣れるだろう。萌はこれから午前中の仕事が増える予定だ。
何でもつい数日前の話。
昼過ぎのシフトに誰か新しい従業員が加わったらしく、その関係で午前部隊の仕事仲間に萌が異動となった。いつもは二人なので調理と配膳と会計と……と昼時はそこそこ忙しいのだが、たった一人増えただけでやることが激減している。
ちなみに加わったらしいというのは、その新人との顔合わせがまだ済んでいないためだ。
名簿で名前を見たことはあるが、正直後輩が新しくできたという実感はなかった。夕方からしか仕事ができないらしく、これから先も基本的に午前中担当の私とは会う事は無いだろう。
ぼーっとしながら食洗器に使用済みの食器を入れると、突然静かに響く駆動音。
どこの誰が頼んだのか、パスタサラダをクッカーが調理している。それを配膳台に並べると、ホールでウェイターをしているはずの萌から声がかかった。
「あ、センパイ、それ私のです」
「ああ、そう……え? 私のってどういう事?」
一瞬そうなのかと思ってしまったが、突然何言ってるんだこの人。
目をぱちぱちと開いて萌を見るが、彼女は私の反応を気にすることもなく調理場に入って来る。ちなみに調理場は、クッカーが見えるとお洒落な雰囲気が台無しとのことで席から見えない場所になっているので、暇な店員の休憩所の様になっていることも多い。
彼女は食洗器の中からフォークを取り出すと、立ったままパスタサラダを自分の口へと運んだ。その様子はさも当然と言った調子である。
「いやー、さっきお客さんの前でお腹鳴って最悪でしたよー。めっちゃ笑われた……」
「……もしかして、それ自分で注文したの?」
「え? そうですけど……もしかして午前中だとやらない感じですか?」
「やらないわね……」
基本的にお昼ご飯は休憩中、つまり暇な午前中に済ませることが多い。私なんかは絵筆の相手をしているので、気付けば昼食を抜く生活が習慣になっていた。
しかし、どうやら午後の担当は時間が空いたら自分で料理を注文し、自分の判断で食べるのが当たり前らしい。あれ、もしかしてこの職場一番真面目に働いてるの私なのでは……?
「でも、お腹すいたら店員の判断で食べていいって店長が言ってましたよ」
「……あの人も大概ね。午前中は滅多に来ないから忘れそうになるけど」
どうやら敬語の撤廃と同じく、自由にしていいと言うのは店長の判断だったようだ。まぁ、店員第一の職場と言うことで良く受け取っておこう。午前中組に一切通達しないのはどうかと思うが。
この前来たのは……確かそれこそ、絵筆にVRの相談をした時だったか。あの時だって改めて考えると、別に店長が居るからしっかりしなきゃなんて一切考えてはいなかった。
いずれにせよ、店長がいいって言ったなら別にいいか。仕事の邪魔になっている訳でもない。
しかし、午後の店員は店長の権限でかなり好き放題に働いているらしいな。
私は午後の職場は短時間、それも忙しい時にたまに応援に行くくらいしか関わっていないので知らなかった。
ちなみに何度か言っている通り、この喫茶店の店員は大きく分けて午前の部と午後の部に分かれている。
午前の部は店の掃除や食材の受け取り、ゴミ出しなどの雑務がある。その半面客足は少なく、昼時までは驚くほど閑散としているので仕事に慣れればかなりの時間が待機時間となる。
作業時間も業務時間も短いのはこちらだが、現代人が朝に仕事をしなくなっているのもあって志願者が少なく、微々たる差だがこちらの方が少し給料が高い。客の来ない深夜バイトの様なものだ。
午後の部は昼下がりから業務が始まり、夜更かししがちな現代人のために日が暮れた後も続く。
面倒な業務は午前の部に任せているので、私達が準備した材料でひたすらに客商売をしていく担当と言える。ピークではない時間もだらだらと客足は続くので、結構休まる暇がないらしい。
三時のおやつとおしゃべりを求めた主婦や、時間の扱いが自由な職の人が主な客。そして近くにある高校の部活が終わると、軽食を求める若い子がどっと来る。
更に夜は店長の趣味としてお酒も出している。
この時間は一切関りがないのでどの程度客が来るのかは分からないが、シフト表を見る限りは店長ともう一人程度で十分に回る静けさのようだ。
ちなみに午後の部の方が圧倒的に営業時間は長いのだが、担当の店員の人数も多い。一人当たりの作業時間はほぼ同じと言っていいだろう。店に来てから交代の時間になるまで、つまり勤務時間は午前中の方が長いくらいだ。
働き始めた当初、どちらがいいかと店長に問われた時、私は午前中の方が楽そうだ感じたのだが、ほとんどの人は早起きを嫌って後者を選ぶ。おかげでどちらでもいいと答えた私は、この3年間ほぼ毎回確定で午前の担当になっていた。
しかし、それは昔から規則正しい生活をしてきた私の話。
午後担当だった萌にはまだまだ早起きの習慣など付いてないらしく、手早くサラダを食べながら朝が早い事をぼやき始めた。
その間にちらりとホールの様子を確認したが、一応暇になるタイミングを見計らってこちらに来たようだ。
「明日からママに朝ごはん作ってもらおうかな……」
「萌さん、実家住みなの?」
「はい。まぁ、両親が“いい人”いないのかってうるさいので、一人暮らしも考えたんですけどね……やっぱり実家って強いじゃないですか、コスパが」
それはそうだろうな。
賃貸だの住宅ローンだのと住居に関する出費はどれも大きい。それがチャラになる実家は最強よ。コスパだけ考えれば。私はそれ以外の理由で御免被るのだが。
固定資産税? 奴はデフレ経済で崩壊したまま帰って来ていない。いや、実際にはあるのだけれど、土地の所有権を実際に有している資産家しか払っていない。そもそも国民のほとんどが土地か住まいを借りている。
しかも土地代のインフレと同時に彼らは超金持ちになって、全体の資金から見れば税金など端金でしかないとの噂だ。あくまで噂だが。
萌はサラダを掻き込むように咀嚼しながら、私の事をじっと見る。ウェイターの休憩中はやることがない私は、それを黙って見詰め返した。
こうして見ると、やはり年上と言うのが信じられないな。いや、大した年の差でもないのだが、絵筆と同じ様な幼さを感じてしまう。
そんな彼女はパスタを飲み込むと、ポツリと呟く。
「センパイは一人暮らしって感じですよねー」
「どういう印象……まぁ一人暮らしだけど」
「やっぱり。親とか多少距離あった方が上手くいくって言うじゃないですか。仲いいんですか?」
彼女の何気ない質問に、思わず体が硬直した。
だがそれも一瞬の事だ。私はその動揺を悟られないように再び体を動かすと、特に今やる必要もない作業に戻る。
「仲は、あまり良くは……家を出てからもうずっと母とは連絡も取ってない。偶に向こうからは来るけど。それでも家の事は、兄から近況を聞くくらいには関わりないわ」
「へー、お兄さんがいるんですね。勝手に長女だと思ってました」
「いや、長女ではあるのよ……? あ、お客さん来たわ」
「はーい」
萌は食洗器に使った食器を入れると、元気にホールへと戻っていく。彼女が自分の仕事に戻ったことで、私は再び単調な、機械のお世話に戻ることになった。
しかし、私の頭はこの単純作業に集中してくれることはなかった。
私には兄は居ても姉は居ないから、長女には違いない。
妹も弟も居ないので同時に末っ子でもあるわけだが、そもそも私の家族は私を含めても3人しかいない。世間一般で言われている“長女”という印象からは少しずれているだろう。
それでも長女っぽいと言われる理由は想像が容易い。兄は大きく年が離れているので、長い事母と二人で暮らしていたようなものだった。
……母は厳格な人だった。
女手一つで私を育て、こうして一人で働ける成人にまでしてくれた。それ以外の社会的な功績も多く持ち、人々からは認められ、称賛されている素晴らしい人だ。
私は彼女に対していい思い出は何一つも思い出せないが、世間から見れば素晴らしい人だったと評価されている。人間としての評価と、親としての評価が食い違うなど別に珍しい事でもない。
私は父と一緒に暮らしていなかった。もう少し有り体に言えば、母と父は別居していた。
なぜなのか、原因は実際には知らない。予想は立つが、それが真実なのかは確めた事は無かった。
だから私が唯一覚えている父親と呼ばれる人物の顔は、棺の中でじっと横になっている姿だけ。
そんな記憶しかない私よりもずっと年上の兄は、彼と暮らしていた時があったらしい。父と母が同居していた時期だ。
彼は昔の父の事をたまに語るが、どうも母とは違って子供の様な人だったらしい。
子供と同じ目線で接する父と、子供を大人として扱う母。
子供への影響を考えた時にどちらが正しいのかは今でも分からないが、ある程度どちらも必要だったんだなという事は、捻くれてしまった自分と幸せに生きている兄を比べる度に感じてしまう。
父の葬儀の事はあまりよく覚えていない。
すでにあの頃は小学生だったので、人が死んだということは理解していたと思う。
それでも私があの場で記憶していることは、自称親戚の、母を見詰める冷たい目。涙一つ見せない母と、棺に縋りつくように泣いている名も知らない若い女。
大勢の人が悲しみに暮れる中で、私は、顔も見たことがなかった父親が死んでいるの見ても、初めて死体という“物”を見た恐怖しか感じなかったのだ。
そして私と同じく、悲しんでいる様には見えなかった母。彼女が邪険にされているのを見て、早く帰りたいとずっと思っていた。
ああ、そういえばあの後すぐだったか。絵筆が……
「センパイ? せーんぱい、どうしたんですか?」
「……え?」
すぐ隣で声が聞こえて振り返ると、そこには私服姿の萌が立っていた。
なぜ私服? と一瞬困惑してしまったが、時計を見上げれば既に私のシフトは終わっていた。どうやら随分と長い時間考え事をしていたらしい。
「もう交代の時間ですよ」
「……考え事をしていたわ。ありがとう」
私は交代の店員に挨拶をして更衣室に入る。既に次の店員は着替え終えた後のようだ。
シックなデザインの制服を脱ぎながら、私の頭は未だに過去から離れられてはいなかった。
同級生だった絵筆は、私が父親の葬儀で欠席した翌日に大失言をしてしまった。
それは彼女の他人からの扱いを決定してしまった事件と言えるだろう。
今思い出しても少し笑える。事実だけ思い返せば笑い事ではないし、彼女からすれば冗談でもなかったはずだが、当事者の私だけは笑えた話。
……そう、私があの時思い切り笑い飛ばしてさえしまえば、絵筆があからさまに避けられることも、なかったのかも知れない。
当時、とあるRPGを皆でプレイしていたんだ。あの時は私もまだそれに混じっていた。
主人公が父親と死別するシーンがあって……、だから死という概念が物語の中でしか意味を持たなかった子供心に感じてしまったのだろう。
『父親が死んだとか主人公みたいでカッコいい』
あまりに配慮に欠けた言葉だ。実際思っても口に出すのは馬鹿しかいない。
ただ、絵筆は馬鹿だった。当時、遺族に配慮が出来るほどの人生経験がなく、更に思ったことを何でも言ってしまえる程、私達の仲は良かった。
当然教師はこれを問題視して絵筆を叱り、“失態を犯した”と教師からお墨付きを貰った生徒達は正義感をもって絵筆と私、そして私に味方する自分自身を分断した。
かくして、学友の優しさと正義感、教師の倫理的教育方針によって、私は彼女と疎遠になっていった。
当然だが、私は顔も知らない父親が死んで面倒な葬儀に出席したことを悲しいとは思っていなかった。死体が今にも動き出しそうな程に綺麗にされているのを見て、怖いとしか思っていなかった。
そこで初めて貰ったプラスの評価。それがどれだけ馬鹿だとか、配慮に欠けているとか、そんなことはあの頃の私には関係がなかったのだ。
ただただ明るいと言うだけで、少し気が紛れた。
実際、あの時私を“庇った”連中は高校卒業と同時に働き始める私を見て、良くて一度激励しただけ。自分達は“私より良い未来”のために大学へと進学していった。
あの失言をした絵筆だけが、結果的にとは言え私と一緒にここに居る。
素晴らしい言葉より、弱者を慈しむ思想より、配慮に富んだ倫理より、その行動の方が私のためになっているのは明らかだ。
自分だけ明るい未来を歩く偽善者の言葉は、配慮は、一体私の何の役に立ったのだろう? 何とも嗤える話ではないか。
『自分の中の黒い嫉妬を軽蔑に変えて、プライドを守っている。私はどれだけ浅ましいのか』
私は、そう喉元まで出かかった言葉を、胃液と一緒に無理に飲み込む。
そんな価値観に育てた母を恨んで、自分の境遇はすべて他人の所為だと諦めて。優しさも正義感も倫理観もすべては偽善と罵って、私はそれを踏み付けては嗤うのだ。
そうしないと、自分が劣等なのだと……そう認めなければならないのだから。
昨日は告知もなく休載してしまい申し訳ありませんでした。
貧血気味だななんて思いながら階段降りたら転びました。痛いです。
その内二話更新すると思います。




