第272話 気付き
喫茶ル・シャ・ノワールの冬季限定メニューは女性客、つまりはこの店の大抵の顧客にとって非常に好評だ。
特にスイーツ系。可愛らしい見た目と軽めの量、そしてやや重い甘さ。この店で作っている部分はほぼないに等しく、店員としては飾り付けの手間がある分普通の料理に比べて面倒な品である。
流石の私もこれは何となく漠然と可愛いなと思っていたのだが、萌曰くこれは“町のケーキ屋さんみたいな可愛さ”との事。正直何を言っているのか分からない。ケーキ屋自体が可愛い事は稀な状況だと思うのだが。
そんな冬季限定メニューが始まった日の最初の客は、もちろんそんな洒落た物は注文せずに、紅茶だけでどしんと椅子に陣取っていた。
「あー、もうそんな時期か」
「そんな時期というか、この店の冬商品ってむしろ遅いんだけど」
「いやいや、冬が四ヶ月続くって考えると暦の上ではこんなもんだろ」
絵筆は去年と少しだけ違う冬季限定のメニュー表をちらりと横目で見た後、自分には関係ないとばかりに紅茶へと手を伸ばす。冬に限らず期間限定品は他の品に比べて少し高い傾向にあるので、彼女は基本的に手を出さない。彼女は常に金欠みたいなものだ。
そして、店員も作る手間を考えると自分から注文したいと思える品ではない。
特別な今日この日、このテーブルに目新しい物が何もない事は改めて考えてみればある意味当然の事であった。
「それで、萌さんは何をしているの?」
私と絵筆がそんな些末な話をしている隣では、萌は難しい顔で端末の画面を覗き込んでいる。それはいつも楽しそうに話題を提供してくれる彼女にしては珍しい行動で、私の問い掛けに対しても彼女の反応はやや鈍かった。一体何の心配事だと尋ねてみれば、返って来たのは何とも迂遠な答え。
「うーん……いえ、この前アプデあったじゃないですか」
「あったわね」
「それに合わせて有志が学科の評価を付けてたんですけど……」
彼女は結局私の問いに直接的な回答をする事は無く、ただ私達の前に薄型の端末を差し出した。
そこに映し出されていたのは彼女の言葉通り、賢者の花冠の主専攻学科すべての評価だった。誰が作ったのかは知らないが、よくもまぁこんなに手間のかかる事をしてくれた物だ。主専攻、つまり学科はかなり多いので、一つ一つ調べるのはかなりの手間だったことだろう。
しかもアップデート込みでの話のようだし。
評価基準は、総合的な強さと言う訳ではなく初心者に対するおすすめ度合いが主題らしいが、それは結局強さと繋がる話でもある。
咄嗟に探してしまった呪術科は……最下位ではない。もちろん下から3番目なので低いと言って相違ないが。
派手な部分がない奇術科は平均からやや低め、死霊術科は平均よりは上に位置していた。蠱術科は奇術科より少し上か。
狂戦士科はこの中では一番の上位に居た。狂戦士は分かりやすく強いし、順位が高いのも納得だ。苦手な相手がはっきりしているというのも、初心者向けとしては逆に高評価だろう。
ちなみにこの評価での最下位は暗黒術科。……おかしいな。昔は死霊術も私達と仲が良かったはずなのだが、今ではすっかり格差が広がってしまっている。
呪術科のコメントには『絶滅危惧種。更に固定で組む人が多く、野良では全くマッチングしない。パーティを組んだ数少ない経験から評価すると、便利だが別に強くはない』と書かれている。評価に関しては私も概ね同意見。ぐうの音も出ないとはこの事だ。
珍しい所で言うと、歌詠みが異様に低く評価されていた。初期環境ではトップクラスの人気所であり、試合でもそこそこ数が居たはず。その上この前のアップデートで上方修正まで貰っていた記憶があるが……。
詳しく見て見ると、どうやらその上方修正によって戦闘の難易度が大幅に上昇したらしい。
曰く、『最強格の補助職。回復、強化、弱体すべてが扱える。ただし今回の調整で演奏しつつ回避や攻撃が可能になった。これからの歌詠みに求められるハードルは非常に高い』らしい。強化を貰って評価が下がるとは、また妙な話だ。
しかし、このランキング表を見て萌が悩んでいるのは、この人の評価基準などではなかった。
「それで、何が不満なんだ? 話は結構分かる気がするぜ? まぁ順位は色々言いたい事もあるが」
「ああ、いえ、この人の話は大体納得できるんですけど……納得できるからこそ、というか」
私達は彼女の要領を得ない話に首を傾げる。
彼女が気にしている部分がよく分からない。何の話をしようとしているのだろう。納得できるという事は、ランキングその物ではない部分で心配事があるという話なのだろうけれど……。
「……このゲーム、バランス悪くないですか?」
「……」
そして彼女がついに口にしたその言葉。
私達はそれを聞いて思わず顔を見合わせ、大きく息を吐く。
「「今更?」」
「えー!? 何ですかその反応!」
いや、だってねぇ。そんなの最初から分かっていたというか、呪術科で始めた私は最初期からずっと同じ事を考え、悩んできたのだが……。それは多分初期環境で仲良しだった死霊術師も同じ事を考えていただろう。
しかし彼女は、良くも悪くもカスタマイズ性が高く、自分(と私とロザリーの献身)で何とでも工夫できていた奇術師だ。萌は改めて一覧で学科の評価という物を目の当たりにして、何か思う所があったらしい。
冷めた反応をする私達に、意外にも熱心に突っかかる。
「いや、これ流石におかしくないですか?」
「今時のMMOなんてこんなもんだろ」
「だってこれじゃ何のためにバランス調整入ってるのか分からないじゃないですか! 全員がそこそこ活躍できる設定にするために調整って入るものですよね?」
「まぁあの作品、パーティ組んで協力して進めるのが前提になっているからね。ソロプレイとか想定されてないし、別にいいんじゃない?」
ソロがやりたいと言ってもあの世界、NPCとPCの区別が付かない……より正確に言うと、PCを与えられた自律プログラムが存在していて、自然と生徒同士の距離が近くなるように設定されている。パーティを一度組んだ相手には簡単に連絡が取れるようになるというのも、言ってみればそういう要素だし。
そして基本的に協力して事に当たるという事はつまり、役割分担が強く設定されていても問題はないという事。それがこうして総合的に見た時、キャラクター間のバランスの悪さとして出て来ているというだけだ。
別にこのランキングが低位だったからと言ってパーティ内で役割を持てないという事は無い。ここまで魔法医師や呪術師がパープルマーカーで死滅していないというのが、その何よりの証拠だろう。
そして、そういったバランスになっている理由は、絵筆に言わせればまだ他にもあるらしい。
「まぁ“フリーシナリオ”だからその辺かなり顕著ではあるけどよ」
「……? どういう意味ですか、それ」
「え? どういう意味ってそれは……まぁなんつーの?」
それから絵筆が語って聞かせた話は、ゲーム史とでも言うような物だった。
古来からオンラインゲームにはメインシナリオとサブシナリオがあり、それは一つの世界の中でプレイヤーキャラクターの数だけ同じ事が繰り返されてきた。プレイヤーの数だけその世界は危機に瀕し、それを免れる。全員が基本的には同じルートを辿る。
それが昨今のAI技術の向上により、プレイヤーの行動に応じて世界が変容し、それに合わせたシナリオが展開されるという、新型フリーシナリオシステムという物が実現可能になった。
これがゲーム世界にもたらした最大の変容は、“主人公の排除”である。
プレイヤーの動きに合わせて変化する流動的な世界の中では、誰もが世界の破壊を阻止する英雄になれるわけではない。自分だけの物語という物は大抵の人間にとって極めて凡庸な物である。
しかし自分が生み出した小さな揺らぎが世界に影響を与えるという快感は、この“人があまり必要とされない現実”では体験する事が出来ない現象として人々に受け入れられることになった。
更に、フリーシナリオ性が引き起こしたのはそれだけではなく、キャラクター性能の多様化にも少なくない影響を与えている。
プレイヤーの全員が全員世界を救う必要がなくなったことにより、必ずしもPCが世界を救い得る戦力を持つ必要がなくなったのだ。特にユニークな性能の補助職が増え、結果としてキャラクターの個性と戦力差は大きくなった。
……まぁそれがプレイヤーの弱クラスに対する見切りの早さへ繋がっていて、私が苦労する一因となった気もしないでもないが……それはまた別の話。
「だからまぁ、キャラのバランスが悪いなんてのは今更な話なんだよ。メインシナリオが全員で同じ話やるゲームなら補助職が火力出したり回復職がタンクしたり、全キャラのバランスを取るって理由で万能化している所もまだまだあるけどな」
「はぁ……そういう物ですか?」
「そういう物なんだよ」
萌はまだまだ納得できていないという反応だったが、絵筆の言っている事は尤もだ。
“そういう物だから”。世界の登場人物の一人として、出来ない事もあれば出来る事もある。ある意味でこの辺りもらしい形になっているのだと、あの世界に生きる以上、こちらとしては受け入れるしかないのだ。




