第265話 家族と幽霊
店の前で立ち止まっているのも迷惑かと考えた私達は、街灯が明るく照らす夜道を歩きながら家族の話を続けて行く。
どうやら父方の祖父母は既に亡くなっているらしいが、母方の祖父母は未だ健在のようだ。しかし当然と言うべきか、血縁があるとは言え他家の話なのでお兄様はそもそも彼らについて詳しくはないらしい。ウチと違って領地を離れる事も少ないのだとか。
ちなみに我が家も領地はあるが、お父様は王都での仕事のために自分の領地を空ける事も多い。あちらは基本的にお母様が一人で暮らしているが、領地の運営は優秀な側近に任せてあるようだった。
帝国貴族、というのも大変な様だな。仕事云々という話の前に、深い人付き合いが必要という時点で私には務まりそうもない。そもそも私には結婚生活すら想像できていないというのだから。
お兄様の目的地への道すがら家族の話をしていると、笑顔だったお兄様がぽつりと呟く。
「……お前は変わらないな」
「え?」
「いや、何でもない……」
変わらない。これは何度目の言葉だろうか。
そう呟いた彼の表情はどこか嬉しそうな、寂しそうな色を感じさせる。今までとはまるで違う雰囲気に、私はそれ以上問い返すことを止めた。
……自分の事を忘れてしまった家族。どういった感覚なのだろうと、ふと考えてしまう。
止まってしまった会話の糸口を探すように、お兄様は小さく言葉を続ける。
「俺、学院派という集団が好きじゃなかったんだ」
学院派というのは、魔法学院と積極的に関わっていくべきだと主張する青の帝国の貴族や政務官達の事だ。特に青の帝国では皇帝派と貴族派それぞれに学院派という集団が混じっているようで、彼らは実質的に合計四つの集団として政治を進めている。
皇帝派は反学院派、貴族派は学院派が多いそうだが、その逆が全くいないわけではないらしい。彼らはそれぞれの問題に対してお互いに手を取ったり取らなかったりと、結構バチバチにやり合っているようだ。
そして彼が学院派が嫌いと言う事はつまり、自分の家が嫌いと言う事で相違ない。
私は突然の告白に驚いてお兄様の顔を覗き込むと、彼は少し意外な程に明るく笑っていた。
「昔から好きではなかったと思うが、明確に意識したのはお前が記憶を失うと聞かされてからだ。それを自分から選んだお前の気持ちは理解できたが、その度胸が信じられなかったし、それに対して親父が政治的で個人的な理由で喜んで背中を押したのがもっと信じられなかった」
「……」
……それは、そうだろうな。
私はその言葉に素直に頷くしかない。それは家族を失う事に等しい選択だ。事実、私は学院生活の中で、帝国に帰ろうという気になる事は一度もなかった。学院生の何%が“自分の家族”に会おうと考えただろうか。それを考えれば、その選択はほとんど生贄の様な物だと思える。
父親の夢という一言で片づけてしまうには、あまりに残酷な決断だった。
それに……もう一つ。気付いてしまった。
私は彼の妹ではない。その“死体”の上に生えた、別の“何か”に過ぎない。
……サクラさんはこの考えを笑って流すだろうか。ティファニーさんは何と慰めただろうか。
私は一人のままで、茫然とその事実を受け止める。彼が私の家族ではないのではない。“私”こそが、最初から彼の家族でも何でもなかったのだ。
「だがな、お前を見て考えが変わったよ」
「……え?」
「記憶が消えても、可愛い妹は妹のままだった。昔と変わらず俺の事を兄と呼んでくれるし、可愛いと思えん悪癖もそのままだ。少し明るくなった気さえする。……実は、突然家族として呼び止めたら気味悪がるだろうなと、お前を送り出してからずっと考えていたんだ」
……それは。
そんな事を言われても。
「……俺も、貴族としての義務を果たすとするか」
私に向けられたとは思えない言葉を口にすると、お兄様は悪い笑顔でこちらを見下ろす。
「よし、コーディリア。家名もないコーディリアよ。お前は今から俺の金稼ぎの道具だ」
「……えっと?」
「我が国では、貴族と何かしらの縁がある学院生というのは大変貴重でな。例え貴族の出であろうとも家と無関係でなくてはならん。……俺からのプレゼントの分、しっかりと働いてもらうぞ?」
私は足を止め、こちらを振り返る彼の顔を見詰める。
突然の豹変振りに驚いていたのだが、しばらく彼の意図を考えて……思わず笑みが零れた。
「……はい、“お兄様”。何なりとお申し付けください。聞くだけは聞きますわ」
***
「数日前、この王都で行方不明者が出た。ただの平民の子供だったが、迷い込んだとされる先が特殊だったため、衛兵による捜索が行われた」
「この国は普段、迷子探しもしてくれないのですか?」
「規模が大きかったという意味だ。妙な所で突っかかるな」
お兄様に連れられてきた場所は、王宮のすぐ近くにある大きな建物。どうやら王都での我が家のようだ。王宮から近いのはそこで働く父のための利便性というだけでなく、どうにも政治的な影響力を表している様に見える。
途中顔見知りらしい番兵に驚かれたり、出迎えの使用人に驚かれたりと色々あったが、結局他の家族とは顔を合わせていない。
今夜家族は私達二人だけだ。父親と二号さんは別の貴族の屋敷で外泊、上の兄もそれに付き添い、下の兄は騎士団の駐屯所、妹は領地で母親と一緒とのことだ。
私は応接間らしき場所でふかふかのソファにちょこんと座りながらお兄様の話を大人しく聞く。目の前のテーブルには飲み物すら置かれず、老年のメイドさんが数枚の紙を彼に差し出した。
ここまで連れて来られたのは、外ではできない儲け話をするためという事だったが、その話の切り出しはなぜか迷子の紹介から始まった。
「この国の地下には迷宮が広がっていてな。これは大昔に、王宮から王族が逃げ出すため各地へ伸びる地下道を掘った跡なんだが、子供が二人そこに迷い込んだ。王宮へ不法に侵入できるかもしれないという事で衛兵が必死に探したから、結果的にすぐに子供は見つかったんだが……一つ新しい問題が発見された」
彼は受け取った紙から首都、つまりこの街の地図を抜き出して広げるとペンで数ヶ所に印をつけて行く。街の南部に3か所、西部に2か所。その場所を覚えているというわけではなく、他の紙の情報から大体の位置を描き写した様だ。
「地下道の壁が崩れ、謎の空間に繋がっていた。何だと思う?」
「……古い王家の隠し財産、とか?」
「違う馬鹿。……大きな蜘蛛が居たんだとよ。しかも人食いのな。地盤の調査員二人が死体で発見されている」
蜘蛛。
それを聞いた途端私はぐっと身を乗り出す。
人食いの蜘蛛。しかも現実に居るってことは魔物じゃない。魔物じゃないという事は……。
私の分かりやすい反応を見て、お兄様はにたりと笑う。それは何とも悪そうな笑顔だ。
きっとこれについて私にタダ働きさせたいのだろう。そしてそれは私にとって非常に好都合となる事が予想された。
「気になるか? 実はこの地下道、一ヶ所我が家が管理している出入り口があってなぁ。この事件、俺が直々に相談した学院生が、俺と解決したら……それは学院派の大きな後押しになるだろう?」
……直接のお金が儲かるわけではないが、学院生がスピード解決する事に意味がある。簡単に言えばそういう話らしい。
王宮へと繋がる道に部外者を入れてもいいのかとか色々と疑問はあるが、その辺はお兄様が何とかするだろう。
それより問題なのは、私が解決できるかという点だ。まぁ最悪解決できなくとも、様子を見て来るとか数を減らすとかだけでも十分そうな話でもあるが……事前情報はあるに越したことはない。
「……蜘蛛、というのがどの程度の力か分かりますか?」
「さてな。我が国の最大戦力、機工騎士は閉所での戦闘が不得意だ。大型、大振り、高火力、長射程しか考えていない。お前は連中と戦ったことがあるか? あいつらは討伐までに必要な犠牲が大き過ぎるという理由で、地下道の封印を進言したらしい」
「きこーきし……というのが試合に出ていた機械兵の事なら、正直あまり参考になりませんわね」
「ああ、大型の……何と言ったか。秘蔵の秘密兵器まで出しても、学院の圧勝だったらしいからな。お前もそう感じるのか」
お兄様も学院と帝国の試合については多少知っているようだ。そうなると結果ももちろん知っているか。
学院派の貴族にとっては大変有難い結果だった事だろう。もしや、お父様がお忙しいのはそれが原因かも?
……そういえば、試合では学院生や教師陣はレベル制限という手加減までしていたはずだ。
青の帝国は軍事国家としては独自技術を持ち、世界でも有数といった実力のはずだが……魔法学院はそれを単体で圧勝してしまう実力があるわけだ。
改めてこの事実を考えてみると、凄まじいという他ない。学院長とか、何の障害もなしに世界征服できてしまうのでは? もちろん教師や生徒は戦士ではなく本質的に研究者だという事も考慮しなければならないし、世界経済から締め出されると学院の維持が出来ないので下手な事は出来ないだろうけれど。
そんな青の帝国の正規軍、機工騎士の実力は私と比べても大きく劣る。これは間違いないだろう。
しかし、それを考慮しても、機械兵に犠牲が出るレベルの相手を私一人で倒すのは無謀な気がする。
サクラさん達に声をかけてもいいが……何となく、この話に巻き込むのは気が引けた。
それは彼女達が自分のやるべきことに集中してくれるようにという願いでもあるが、それ以上に……
「お兄様の頼みですから、出来る限りはやってみましょう」
「ふん。そうこなくてはな」
……私はこの人に頼られるのが、嬉しいのだと思う。




