第256話 天の杖
「クソが!! 王家も自分の保身しか考えていないではないか!! 最初から、俺を、俺を……っ!」
唐突な豹変を見せたケンドラを前に、王女は出てきた単語に対して目を見開く。……王家? 一体何の話だろうか。まぁこの国について正直あまり詳しくない私では、詳細を聞いても仕方のない事かもしれないが。
ケンドラは荒くなった息を整え、ふらふらと手摺に寄りかかる。その様子をどこか心配そうにしていた王女だったが、その姿をちらりと横目で見たケンドラは憐れむように薄く笑った。
それが心からの嘲笑なのかどうかは、私には分からない。きっと本人にしか分からなかった事だろう。
「……王女殿下、あなたは性根が為政者には向いていない。統治など家来にすべて任してしまえ。それが自分のためだろう」
「そんな事は……」
「できないか? ならば、好きなだけ苦しむと良い。気が変わったら、あなたはどうせいつでも止められるのだから……俺とは違ってな」
男はそう言って手摺から手を離すと、歪な笑顔を残して後ろへと倒れた。
「なっ……!」
彼の背後には何もない。床も壁も。当然支えを失った肉体は重力に引かれ地の底へと落ちて行く。それをじっと待ち受けているのは、幾百もの命を消し去って来た魔法陣。
そして一人の男が、嫌な水音だけを残してこの世界から綺麗に消え去った。
私はその結果を見守る様に、飛び込み台から身を乗り出して底を見下ろす。
二重になった魔法陣には、もう何も残されていない。そこには確かに百名を超える人間が落ちて行ったというのに、その痕跡は一切残ってはいなかった。どうやら肉体さえも綺麗に魔力へと変換されたらしい。
私もこれを実際に見たのは初めてだ。生贄の魔法というのはこういう感じになるのだなと感心していると、装置に変化が起き始める。
「どう、して……」
「どうやら発動までに魔力が足りないのは、計算間違いではなかったようですね。“計画通り”最後の一人が魔力へと変換された……つまり」
ケンドラの死に呼応するように、中央の装置は煌々と光り輝いていく。魔力供給用の魔法陣から今まで以上の魔力が、立体魔法陣を起動するための魔法陣へと注がれているのだ。
ついに動く。この魔法が。一瞬にして戦争の勝敗を決めてしまった、魔導兵器が。
球状の空間が光で満ちて行くのと同時に、足場が激しく揺れ動く。
「お、おい、これここにいて私達大丈夫なのじゃろうな!?」
「殿下! 危険です、お下がりください!」
後ろでは何事かを喚いている者達もいるようだが、私はその光景を一瞬でも見逃すまいと目を凝らす。天の杖その物は未だ記述の内容に見当もつかないが、周囲の装置の効果は見当がついている。
そして魔法陣ではなく歴史から、私は天の杖がどのような兵器であるのかも何となくだが予想はしていた。百人以上の人間を魔力に変換し、射出する。ただそれだけの魔法であり、その結果はそれだけではない。
……地上の様子も見てみたいが、今はそれ以上にこの機構が確かに“動くのか”が気になって仕方ない。
この魔法陣で立体陣を起動できるならば、もしかすると……
眩い光の中で、地面が揺れ動く。
そして、激しい衝撃と共に体が大きく浮き上がるのを確かに感じた。
「……!」
明滅する光と空間を揺るがすような轟音の中で、微かに誰かの悲鳴が聞こえる。もしかするとこの場に居た全員の物だったのかもしれない。
「どう……なった……?」
「今の、天の杖が動いたって事?」
そして気が付くと、光で包まれていた空間は本来の暗闇へと戻り、そして立っていられないどころか体が宙に浮き上がるような衝撃は収まっていた。ただ、完全に揺れが収まっているわけではなく、微かにだがまだ地面は揺れている。
……魔法の起動に成功した?
そして、どうやらこの地下空間はその衝撃に耐えられなかったようだ。天井や装置が大きく揺るがされ、崩落を始めていた。
私はその光景を見て立ち尽くす。
本当に……本当に、この仕組みで起動に成功したというのか。
「お、おい! 崩れているぞ! 早くここを出るのじゃ!」
「……動いた」
動くんだ。この仕組みで、立体魔法陣が。
私はその事実に呆然としていると、誰かに手を引かれる。おそらくはレンカだろう。そこでようやく私は、彼女達がここから出ようとしている事に気が付いた。
……確かに、外の様子を確認する必要がある。それには賛成だ。ただ最後に、一つだけ。
「ねぇシラキア、上に戻る前に“あれ”を取って来てくれない? 多分取り外せるようになっているはずだわ」
「……? 分かった」
……それから程なくして、私達は再び地上へと戻って来ていた。
尤も、砦の同じ場所へと戻ったのかは定かではない。今まで以上に砦が荒れていた……というより、半分以上が崩れて瓦礫の山となっている。天の杖の衝撃に耐えられなかったのだろう。
私は予想通りの姿を見せる空を見上げ、そして少しでも見晴らしのいい場所を探すように瓦礫の山を登る。
物見櫓はおそらく全滅だが、砦の階段や柱は所々残っている。これなら何とか二階か三階程度の高さまでは行けそうか。
「すご……何これ……」
「これも魔法……と言う訳か。これが人間に扱える力というのだから、信じられぬな」
感嘆する私達の目の前に広がっていたのは、圧倒的な光景だった。
それは視界を埋め尽くすほどの光の柱……いや、天から降り注ぐ光の“壁”と呼んだ方がいい代物だ。ここから観測するにはあまりに大きすぎるので、どこまで続いているのかは定かではないが、横幅も奥行きも山一つなんてちゃちな範囲ではないのは確かだろう。見た限り、山で言えばいくつか消し飛ばしているのは間違いないのだから。
空を見上げれば、それはこの砦直上、天高くから落ちてきていることが分かる。丁度さっきまで天の杖が向いていた先だ。既に杖自体は消えてしまっているが、あれが原因であったことは疑う余地もない。
そこから斜めに光は落ち、ソシハラの町を一部押し潰しつつ、一直線にずっと奥まで続いているように見えた。明るすぎて壁の中やその着地点付近がどうなっているのかも見えはしない。もちろん、ただ眩しいだけで終わっているはずもないのだが。
……刃の一族は、よくもまぁこんな兵器を持っている連中に盾突いたものだ。狙われた時点で死ぬことはほぼほぼ確定しているような物だと思わなかったのだろうか。
私達がその光景に感嘆していると、微かに瓦礫を踏む音が響く。光の壁の轟音によって近くの音もかなり拾いづらくなってしまっているが、それでも彼女の声を聞き間違える事は無かった。
「……ようやく会えた。これ、一体何なのよ」
「天の杖、まさかこれほどとは思いませんでした」
どうやらリサとガードナーが戻って来たらしい。いや、戻ってきたのはむしろ私達の方か。彼女たちを地下で見なかったという事は、地上でずっとこれを見ていたのだろうからな。
完全に偶然だったが、二手に分かれたのは良かったかもしれない。後で地上での詳しい話を聞くべきか。
「天の杖……今回調査すべき魔導兵器じゃ。こんなもんが“実際にあった”というのだから、信じられぬな」
「これが魔法ねぇ……私達が使ってるやつとは根本的に何かが違う気がするんだけど、どの程度分かったの? 調べて来たんでしょ?」
私がマップでどの程度が攻撃範囲に入っているのかを調べようとする隣で、リサがそんな事を聞いてくる。
根本的に違うとまで言われると首を縦に振りたくなくなるのだが、まぁ確かに、私が見た限り天の杖の力は私達の使っている魔法とは少々原理が異なる。それは何も立体魔法陣で発動しているからという訳ではない。
「天の杖は、上空に向かって膨大な量の魔力を打ち上げるだけの魔法ですよ」
「……今のこの状況を見て、それを信じろと?」
「事実だから信じてもらわないと困りますね」
そう、天の杖という魔法自体は、使われている魔力こそ膨大だがそれほど複雑な魔法ではない。ただ正面に向かって魔力を放つという、極単純な物だ。規模が大き過ぎるからこれほどの被害が出ているだけで。
マップでこの地の天脈の流れを調べた私は、それをリサとガードナーに見せながら解説する。この光の壁が消えるまではどうせ暇なのだから、このくらいは大したことではない。
天脈とは、世界を循環する魔力の大きな流れだ。天脈以外でも魔力の流れはあるのだが、その中でも空にある早くて大きな流れの事を私達は特別に天脈と呼んでいる。
現世では転移門として活用される物でもあるのだが、この時代にはまだ存在しない。ただ魔力が流れているという事しか分かっていなかっただろう。
そして、この砦はその天脈の真下に建てられた。
すべてはこの天の杖を放つために。
天の杖は先程も説明した通り上空へ魔力を打ち上げるためだけのもの。当然天脈の下に建築された砦から放てば、魔力は天脈へと合流する。
しかし、突然入って来た異物である魔力に対し、天脈は大きく揺らぐことになる。一度受け入れながらも反発した天脈は、新たな流れを自分の中に作り出す。
その結果が今、私達の目の前で起きていることだ。
天脈の乱れた流れはいくつか一時的な“支流”を生み出し、その内下を向いてしまった物を地上へと落としてしまう。天脈からすれば全体の一割にも満たない量だが、地上にとってはそれでも尋常ではない量だ。
莫大な魔力は光となって地を焦がす。天脈の下に居る限り、その圧倒的な破壊を防ぐ術はないだろう。これが現象として変換された“魔法”ではなく、魔力その物によって引き起こされているというのだから感歎する他ない。
「え、それどうやって相手の事狙うのよ」
「狙えませんよ。相手が天脈の“下流”に居れば当たるし、そうじゃなければ当たらない。これはそういう兵器です」
「今回は偶々、刃の一族があちらの方面に本拠地を持っていた……という事じゃな」
……レンカの言葉を聞いて他の連中は納得したようだが、私はそうは思わない。
最初からこうなる様に仕組んでいたのだろう。自分の国を削らないようにと国土の一番端、超ド田舎にこんな秘密兵器を置いたのも、蛮族の本拠地を天脈の下に誘導したのも、最初から仕組まれていた事のはずだ。
開拓村の場所や都市への資材の運搬路などによってそれとなく蛮族は下流へと追い出され、常に天の杖の射程内に留まる事を強制されていた。だからこそケンドラは、そこから外れたはぐれ者に対してあれだけの無理を押し通したのだろう。村に侵入されると、基本的には射程外だからな。
見れば、私達が討伐に向かった方面は光の壁から外れている。
……ああ、そういえば町が一部巻き込まれているが、どうやら兵舎がある部分が掠っているようだ。そしてその方面の門の前には、例の武装した難民もどきが待機していたはずだった。まぁ彼らは王女殿下の偶然の優しさによって難を逃れ……私達に大半が殺されてしまっているだろうけれど。
私とレンカがリサ達に天の杖の考察を解説していると、徐々に世界が暗くなり始める。
光が弱まってきているようだ。天の杖の効果も永続ではない。太陽よりも眩しかった天の光は町や草原の焦げ跡を晒していく。もはやそこに何があったのかは想像する事しかできない有様だが、きっとこれからあの花が咲く花畑でもできるのだろうな。
光の魔力とは、繁栄の祝福を司る物なのだから。




