第250話 知識欲
蛮族の掃討は恙なく完了し、私達は隊長や兵士達を戦場に残したまま一足先に馬車に揺られていた。
馬車には私達と副隊長が居るだけで、荷物も一部下ろされた。隊長もいないので行きに比べると車内の空間には圧倒的な余裕があり、私達は“肩を寄せ合って”座る事が出来ていた。
動いている馬車は全部で3台。馬車の大半は戦場に置かれたままだが、先に帰っている馬車が私たち以外に2台もある。
そこに乗っているのは、御者と救護係以外は全員負傷兵だった。一部重体と言って然るべき兵士もいるようだが、馬車が動き出す前に覗き込んだところ、軽い手当を受けた程度にしか見えなかった。
彼らはこのままの状態で町まで生きていられるのだろうか。それとも私達と同じく、これ以上“攻撃”を受けなければ瀕死のままで生き続けられるのか?
まぁ、その疑問は町に着いてから確認するだけでいいか。態々今確かめる必要性は感じられないな。
私達は長々と続く副隊長の感謝の言葉を聞き流し、意外に揺れの少ない馬車に体を委ねる。
彼は一人になってからも、やれあなた達がいなかったらだとか本当に強くて羨ましいだとか、更には王都で働いてみてはどうかなどと勧誘までしてくる有様だ。それに対して律儀に相手をしているガードナーも大変だな。
私はそんな二人から視線を外し、御者台が少し見える窓から二頭の馬を見やる。
そこに居る動物は記憶にある馬と比べて、首は短いし脚は太い。シルエットだけ見れば不細工とさえいえる様な馬だ。
ここからでは大きさまでは分からないが、馬車から降りた時に改めて見たその馬は、近付くのが少し恐ろしい程に巨大な生き物だった。
兵士としても懸命に戦っていた(らしい)御者の話によると、なんでも馬車や農耕器具を牽引するために長い間品種改良され続けた馬であるらしく、とにかく力強い走りをするのだとか。
今もそれらは1頭当たりで自分の5倍近い重量の馬車を引いており、そのまま森の中を軽快に走り続けている。この光景を見ればこの二頭の力がよく分かるだろう。文字通り馬力が違うのである。
ちなみにあれは肉も美味しいらしい。優れた労働力兼食料。家畜かくあるべしとでも言うような動物だな。軍馬の場合食料というか非常食になる可能性の方が高そうだが。
出発前に聞いたそんなどうでもいい話を思い出している私の隣では、レンカとシラキアが町の特産品や美味しそうな料理の話で盛り上がっていた。いや、盛り上がっているというかレンカが一方的にシラキアをおちょくっている様な感じもするが、そこは些末な違いだろう。シラキアの態度から考えると意外に思えるが、二人の仲は結構良いようだ。
その更に奥に座っているリサも、延々と続く副隊長のお礼の言葉に辟易しつつも、ガードナーと一緒になって話を聞いている。退屈はしているようだが、暇ではなさそうだった。
……さっきまで人を殺さねばならないという血生臭い戦場に居たとは思えない程に、落ち着いた雰囲気だ。
私達は無意識に、この休息がもう少しだけ続くと思い込んでいた。少なくとも町に着くまでは……いや、そろそろこの課題も終わるのだと、気を抜いていたと言ってもいいだろう。
町まで行ってあの太った男に報告し、対価として魔法兵器の詳細を得る。それでレポートを書いて終了だ。私達に残されたやるべき事もそう多くはない。
しかし、そんな休息の時間も長くは続かなかったのだ。
自分が動いているのだと認識できていれば、馬車の加速度は十分に体で感じ取れるものだった。発車に比べると停車はかなり緩やかなものではあるが、それでも意識して馬の様子を見ていれば、速度を落としているのだと十分に判断できる。
……もう砦までたどり着いたのか。相変わらず速いな。
私はそんな呑気な事を考えつつ、僅かに見える窓から外を覗き込む。隣で美味しい料理屋がどうだとか言われて、少しだけ気になり始めてしまったのだ。
しかし、そこには私が期待していた景色などはなく、ただただ広がる草原と青空ばかりがこちらに顔を見せていた。どうやら馬車は町の手前、つまりは壁の外側で停車しているらしい。
ここにある物と言えばお菓子屋ではなく、町への門だ。……おそらくだが私達が予想外に早めに帰って来てしまったから、開門作業に時間が取られているのだろう。
「……副隊長。少し、よろしいでしょうか」
「ん? どうした?」
……御者が困った顔をして、座席にいる私達を振り返るまでは私もそう考えていた。
しかし、町の様子が何やらおかしいのだと彼はそう口にする。
「ふむ……」
馬車を降りる副隊長に続き、私達も外へと出た。
見れば、確かに門が完全に閉じられているし、堀にかかっていたはずの橋は落ちている。
もちろん橋は壊されているわけではなく、固定されていた留め具や縄が外され、支えを失ってしまっているだけだ。元々跳ね橋のようにこうして落とす事も考慮されている設備ではあるので、これ自体が何かおかしいというわけではない。
しかし、日が落ちているわけでもない“今”そうなっているという事や他の状況を合わせて見れば、その違和感は明白だった。門番はいないし、見張りの櫓にも兵士の姿が見当たらない。
つまりこの門にはこちらの状況を伝える相手すらおらず、私達は完全に締め出されてしまっている形なのだ。
こちらには重篤な負傷兵もいる。折角戦地から帰還した兵士に対する仕打ちとはとても思えない。
しかし、私には……私達にはそれ以上に不思議な事が一つあった。
「……あれは、陣か?」
空を見上げたレンカが、困惑の表情でそう呟く。
そう、魔法陣。町全体を埋め尽くすような巨大な魔法陣が、空に描かれているのだ。一見した限りでは形だけは先に完成しているので、今すぐにでも発動しそうにも見える。
尤も、それがただの魔法陣ではないという事を、この中で唯一私だけが知っていた。
「三次元……立体魔法陣。まさか、こんな大物を見られるとは思わなかった……」
空高く立ち上がる杖のような形のあの陣は、私達が慣れ親しんだ平面の物ではない。ある一点を中心に球や正多角形で構成された、一つの立体図形なのだ。
それを見た私は思わず頬が吊り上がるのを感じていた。そんな私を誰かが隣で眺めている気がするが、私はもっと近くで観察したいと上を見上げる事だけに集中する。
この世界には、平面の……二次元の陣を複数組み合わせる事によって、一つの魔法陣を形成する技術がある。
それが立体魔法陣。文字通り立体、つまり三次元図形の魔法陣の事だ。
私達が普段使っている平面の陣に比べて圧倒的な効率化が可能であり、一つの魔法として使える魔力量の上限も桁外れ。利点だけ見れば素晴らしい技術である。
尤も、複雑過ぎて個人ではまともに扱えたものではないし、入念な事前準備が必要で魔法の展開速度も出ない。陣を組み上げるだけでも大量の魔力を使ってしまう。
そんな欠点が大き過ぎ、平面の魔法陣の大規模化についての研究が進展したことで、ついに現代では見向きもされなくなってしまった物でもある。
魔法の同時詠唱について調べている時に偶然見つけた知識だが、見捨てられたのが太古の話過ぎて、今の今まで碌に情報が無かった物だった。
……精霊核の内部構造は更に高次元の形式だったようだが、これは私の持つ知識のたった一つ上なだけ。この程度なら手が届きそうな気がしてしまう。
そう簡単な事ではないのは分かっているが、こうして陣として成立しているのを目撃すると、興奮が抑えきれない。戦い以上に心臓が高鳴り、そこから目が離せない。
やはり、本を読むのと実物を見るのとでは大違いだ。
これを組み上げた者が、この世界に居るのだと実感できる。それを思うと嫌に腹立たしく、そしてどうしようもなく知りたくなってしまうのだから。
立体魔法陣は現世では既に廃れた技術だ。人間はこれをどうしても“小さく”できなかった。魔力源の確保や維持費用、そして魔法の結果が生み出す効果の大きさ。すべてが人間にとって、そして国家にとって大き過ぎた。
しかし未だその技術の概要すら分からぬ精霊核がそうであるように、過去の物だから、敗者の物だからと言ってそれが劣っている根拠にはならない。
……まさか、こんな所で見られるとは思っていなかった。
この魔法が理解できた時、私はもしかすると同時詠唱が可能になる知識を得るのではないだろうか。そんな浅薄とも思える期待さえ抱いてしまう。
もっと近くで……いや、そうだ。あれを制御している場所があるはずだ。それもおそらく、陣を読めば場所が辿れる。まさかこれを外側から制御しているはずがないのだから。
「ねぇ、リサ」
「……何よ」
私は彼女の顔も見ずにただ声だけを掛ける。その要求は最早命令に近い物ではあるが、今の私にそんな事を気にする余裕などありはしなかった。
「あの壁、崩してくれないかしら。方法は何でもいいのだけれど」
「……本気?」
「今すぐよ」
「はぁー……どうなっても知らないからね」
何とか内部と連絡を取ろうと画策する副隊長や、それに付き合うガードナーには聞こえない所で、私達はそんな言葉を交わす。
それから程なくして道は切り開かれた。
彼女らは他にも色々と方法を検討していたようだが、もう私には関係のない話だ。早くしなければあの魔法が発動してしまうかもしれない。それは出来れば避けたい。悠長な手段は選んでいられない。むしろ選択肢の中から選び出す時間すらも惜しい。
一瞬で目の前の問題を解決できた私は、意気揚々と町の中へと踏み入っていく。
……その先に、ある種の地獄が広がっているのだとは想像もせずに。




