第249話 不平等な平和
“今”から50年前。この場所は戦地であった。いや、正確に言えば戦地となる予定もあった。実際にここで起きた出来事は、戦いにすらなっていないものだった。
半世紀という時間は、怒りをそのまま持続させるにはやや長く、同時に、昔々と過去の話としてしまうには短い時間だろう。
戦争が終結する直前、とある一つの兵器によって焼き払われ、人間も建物もすべてが灰燼と化したその場所に、勝者であるかの国がまず最初に建設したのは、周辺地域の管理用の一つの都市だった。
そこには残党からの報復に対応するための設備と兵力が置かれ、そしてある種の暴力の象徴として戦争の趨勢を決した一つの兵器が移設された。
何もかも無くなってしまった地に、瞬く間に建造されていく城壁や堀、そして頑強な砦。
僅かながらも逃げ延び、生き残ってしまった敗者達は、それを見て二手に分かれる事になる。既に戦争は終結し、つい昨日まであったはずの国の中枢はここ同様に灰となっている。連絡を取れる手段も、そして取るべき連絡先もない。
そんな絶望的な状況であっても、侵略者に首を垂れる事を拒んだ者達とその子供達の集団がいる。
彼らは老若男女問わず常に腰に刃を携え、いつでも侵略者の首を掻き斬れるのだと自らを鼓舞し、その腕を磨き続けた。
故に彼らは、残党でも蛮族でもなく、刃の一族を自称するのだ。
尤も、彼らさえも“集団としては”積極的に支配者と戦わない道を選択している。
そうでなければ“蛮族”である彼らが、今日まで勢力を保ちつつ生き永らえる事など出来なかっただろう。弱い加護があるとは言え、元は兵士でも何でもなかった彼らと、新たな支配者の間にある戦力差は歴然だったのだから。
そして、敗者にはもう一つの道がある。
それは勝者にその身を差し出す事。当然生き残りの中にはそれを選んだ者達もいた。
彼らは都市の中に入る事を許されず、新たな支配者が送り込んだ“見張り番”によって監視され、狩りと農業を続けるだけの生産者となった。その拠点が都市の周囲に点在する村である。
ある日突然家も畑も失ってしまった彼らは、厳しい監視の中で作った作物の大半を税として納め、そして何より“都市の中の人間”に頭を下げ続ける事によって生きながらえていたのだ。それが彼らにとって良い扱いであったかどうかは、言うまでもないだろう。
尤も、半世紀という長い時間の中で、働き手の世代交代もあり現在の“都市と村”の関係は以前ほど悪くはなくなってきてもいた。かの国からの“移住者”が村で働く事も珍しくなくなり、何より、畑や森の環境が安定してからは税も納めやすくなっているためだ。
村の若い者達の中には、都市に嫌悪感を持っていない者も珍しくはない。むしろ、都市が派遣してくれた見張り番は自分達の監視などではなく、保護のために来ているのだという認識さえ強まってきている程だ。
刃の一族も積極的に戦わない事で生き延び、村人も服従する事で生活を続けている。皮肉な事に、二手に分かれた彼らはいずれにしても、都市と敵対する道を選べなかった。
それが良いか悪いかはともかく、そこではある種の平和が保たれている。
しかし、何事にも例外という物は存在する。
例えば、刃の一族から離反し、昔の同胞の子孫でありながら都市に組する裏切者を皆殺しにする計画を立てる蛮族のはぐれ者達。彼らは“先祖代々の恨み”を大義名分とし、積極的に都市へ抗う選択をした。
……たった今彼らのその願いは潰えたのだが。
そして、もう一つ。
蛮族の中にも例外が居るのだから、もちろん村で頭を下げていた者達の中にも、仮初めの平和を良しとしない者がいた。
***
「……ふん」
一人の男が、彼の誇りである剣を腰に差したまま、さっきまで外から見るしかなかったはずの門を内側から振り返る。
この門が都市の裏手である事を差し引いても、見張りが一人もいないのは何かがおかしいのではないかと、少しだけ頭を悩ませながら。
彼の祖先は戦争に負けた時に誰よりも早く、そして深く平伏した、どこにでもいるような平凡な男だった。しかし、村の建設に携わっていた軍事指導者に気に入られ、村の一つの管理を任せられる事になった、当時としては唯一の例でもある。
そしてその初代村長は、頭を下げる事で手に入れたその地位を、ただただ喜んでいたわけではなかった。
彼はむしろ逆に、虎視眈々と反旗を翻す算段を立てていたのである。その強過ぎる面従腹背の意思を、村の同胞にすら感付かれる事がないままに。
その決意の表れが、この男の腰にある一本の粗末な“剣”。本来村人は戦いのための道具、剣や槍を持つ事を禁じられているのだが、半世紀の間彼の先祖は誰にも気付かれる事なくこれを隠し通していた。斧や鎌などの刃物とはまるで役割が異なるそれを、彼の先祖は代々秘密裏に受け継いでいたのだ。
それはこの都市の兵士から見ればあまりに粗末な物である。それこそ、村人が持っていてもおかしくはないと考える程に。
しかし、彼にとってこれは先代の誇りそのものだった。音を気にして金属を叩くことも碌に出来ない場所で、初代村長がいつの日か必ず侵略者の喉笛をこれで突き通すという信念で磨き上げた恨みの剣なのだ。これを誇りと言わずしてなんと言おう。
今となっては他の武装を家に取りに戻る事すらできないが、男は蛮族に襲われた村から逃げ出す際に、何とかこれだけを持ち出すことが出来たのだ。
しかし、村から持ち出したは良いが、今の今まで代々隠し持っていた一振りである。本来許可されていないはずのこの恨みの剣を仇敵に預けるわけにはいかないと、彼は考えていた。
外に居る門番はこれを見てもあまり問題視していないようだが、本来は許可されていない武装である。その上都市に入る前の持ち物検査では、刃物どころか杖まで没収されるとの噂なのだ。このままでは町に入る事が出来ない。
そこで彼は、仕事道具を奪われる事に忌避感を抱く難民を集め、“武装解除”に応じない集団として城壁の外に陣取る事にした。
一人よりは複数人の方がいいだろうと、半ば思い付きの浅知恵ではあったのだが、殊の外これが中々効果的であり、寒空の下で放置されている彼らは日に日に“都市への恨み”をため込んでいった。
このままいけば難民の反都市派として、この集団が一つにまとまる事も出来るかもしれない。
……そう考えていた矢先の事だった。
兵士達が慌ただしく門から出発し、その代わりとばかりに自分達が都市の中へと招かれてしまっている。あれだけ頑なだった武装解除について、何一つ咎められぬままに。
一見するととても平穏な街道。そこを歩く男には、この状況が良いのか悪いのかが判断できない。
あの高い壁を越えて町の中に入れた事自体は千載一遇の好機である。それは間違いない。問題なのは、このままでは男が再び一人になりかねないという事だった。
恨み言を呟いていたはずの難民仲間は都市側の突然の対応に戸惑い、折角積み重ねていたはずの敵意を早くも失い始めている。このまま憎き都市で暴動を起こそうと扇動したとしても、仲間の戦意は低いままであろう。最悪、裏切者が出るかもしれない。
男は、この状況は誰かが裏で糸を引いているのではないかと考える。
何せ男達にはついさっきまで、いつ門に突撃してもおかしくはない程の激情があったのだ。それを一先ず収めるために、あえて自分達を都市内部に招き入れたのではないかと。
男の先を歩く案内の女は、先に都市に入った難民であると名乗る小奇麗な女だった。着の身着のままの男達とはまるで違う風貌だ。
都市にとって目の上のたんこぶでしかないはずの彼らに、食料や寝床の援助をしていた恩人であり、『準備が整った』と言って彼らを兵士がいない門から都市内部に招き入れた張本人でもあるのだが……彼女を信頼していいのか、ここに来て急に判断が揺らいでいる。
それでいて、仲間たちが今までの支援を理由に彼女を深く信頼しているのだから、下手な事を口にしても反感を買うだけであろう。
何も解決策が思いつかぬまま、男は案内に従って町の内部深くへとゆっくりと進んでいく。彼女の思惑を読み取らせない無表情さが更に男の不信感を煽るが……それでも結論は出なかった。
……尤も、彼らが難民を騙る“王女の侍女”を信じるか否かなど、そこでこれから起きる事の前ではまったく問題ではなかったのだが。
ふと空が明るい事に気付いたら男は空を見上げ、そしてその歩みを止める。
「あれ、は……まさか……!」
男は空を仰ぎ、目を見開いた。
最初にそれに気付いた男の言葉からその呟きが伝播し、町中がその空模様を見上げて慌て始める。
その光景に慌てているのは彼ら武装難民だけではない。兵士の指示に従った正規の難民も、そしてこの都市に住む住人や、反対側の門で警備を続ける兵士達も。
彼らは揃って、一つの言葉を口にしていた。
「天の杖……!」
……50年前に戦争を一瞬で終結させた、史上最悪の魔法兵器の名を。




